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発がん性物質

 グローリアと名乗った男を一言で言い表すのなら、闇を払う金獅子と例えられようか。無風の中で揺蕩う金糸のような黄金の髪と、夜空を駆ける一筋の流星を思わせる切れ長の瞳。目鼻立ちはバランスよく配置され、小顔であるのに何故か異様な圧迫感さえ覚えてしまう。白地のダブルスーツを着こなし、肩に大袖のコートを羽織った青年は地べたに座り込むダナンへ手を差し伸べるとニッコリと微笑み、薄い唇の向こう側に生え揃う白い歯を見せた。


 「君、随分と傷だらけだが……立てるかい?」


 「……」


 「その見てくれから察するに職業は傭兵か兵士……それとも何かしらの戦闘行為に携わる人間と判断しよう。ほら、手を」


 「黙れ」


 グローリアの手を払い除け、壁に寄り掛かりながら立ち上がったダナンはドス黒い瞳を青年へ向け、口に溜まった血を吐き捨てる。


 「道案内が必要だと? 馬鹿が……下層街、それも歓楽区に身一つで来たワケじゃあるまいに……。グローリアと言ったか? 小綺麗な言葉を吐く前に自分の心配でもしたらどうだ? いや、その必要は無いか……どうせお前みたいな奴の周りには、何時も護衛が付いているんだからな」


 埃一つ無い純白のダブルスーツ、汚泥や血が付着していない仕立ての良いコート、綺麗な言葉を吐く口の向こうに見えた真っ白い歯……。恐らくグローリアは中層街に居を構える富裕層側の人間だ。己と住む世界が違う人間とどうして相容れようか。足を引き摺り、疲労に喘ぐ身体を前に進ませたダナンは機械腕を軋ませ歯を食い縛る。


 「君」


 「黙れよ、黙って上に帰るんだな中層街のお坊ちゃん。もう一度話してみろ、その綺麗な顔を滅茶苦茶に打ち壊してやる」


 ダナンの棘のある鋭い言葉に閉口したグローリアは肩を竦め、頭を振るう。そして手に持ったステッキを通りへ向けると「今は通りに出ない方がいい」小さく頷いた。


 「……」


 足を止め、視界の端に青年を捉える。裏路地では掃除屋達が火炎放射器を使って浮浪者達を掃除し、煤を掃除機で吸い込み融解タンクへ押し込んでいる。怪しいネオンに濡れ、売春婦が踊り狂う歓楽区表通りにはダモクレスが闊歩しており、もし見つかってしまったら戦闘は避けられない。行くも地獄、帰るも地獄……ダナンとグローリアの間に奇妙な沈黙が漂った。


 「警戒心が強いんだね、君は。うん、中々良い判断をしているよ。立ち止まったのは正解だ。間違ってはいない」


 「……」


 「私のことは信用してもいいし、しなくてもいい。だが……そうだね、君の信を得ようとするならば対等或いは双方とも利がある取引を提示しようじゃないか。どうだい? 私に手を貸してくれたら、目的の場所へ連れて行ってくれたら君を安全に歓楽区から送り出すことを約束しよう。勿論五体満足でだ。悪い話じゃないだろう?」


 そんな都合の良い話がある筈がない。中層街の富裕層を目的地へ送り届けただけで、取引を守る保証もない。機械腕の指を唸らせ、アサルトライフルの銃口をグローリアへ向けたダナンは薄い呼吸を繰り返す。


 「目的の場所だと? 麻薬や女でも買い漁りに来たのか?」


 「違うね」


 「アェシェマにでも会いに来たのか? 止めておけ、売女の狂人に喰われるのがオチだ」


 「興味も無いね」


 「なら何だ? どうしてお前は此処に居て、俺なんかと話している。時間の無駄だと思わないのか?」


 「ちっとも。ただ単に私は物見遊山に来たのさ」


 「物見遊山だと?」


 「そう、物見遊山。中層街じゃ私は中々の有名人でね、こうしてグローリアという個人を知らない場所に来たくなることもあるのさ。まぁ……確かに命の危険はあるけれど、来る度に何かしらの収穫があるのもまた事実。こうして齢が近い君と会えたのも幸運だと思わないかい?」


 「……馬鹿馬鹿しい」


 「うん、それもよく言われるよ」


 一体何を考えているのかサッパリ分からない。腹の内を読もうとしてものらりくらりと躱されて、決定的な言質一つ取れやしない。銃の引き金に指を掛け、少しずつ引き絞ったダナンはコートを脱いで少しずつ歩み寄って来るグローリアを睨み付ける。

 「来るな」


 「安心してくれ、私は君に危害を加えるつもりはない」


 撃つぞ―――その言葉を吐く前に、指が引き金を引いた。弾丸はグローリアの頬を掠め、コンクリート壁を砕いた。


 ダナンの背後で鋼の巨躯が路地を覗き込む。銃声に惹かれた無頼の巨人ダモクレスは怪訝な表情を浮かべると顎を電磁クローで掻き、重々しい機械の音色を響かせながら煌めくネオンの向こう側に消えた。


 「……」


 「間一髪だったね」


 「……何故俺を助けた」


 「人を助けるのに理由は要るかい? 私が君を助けようと思ったから、そうしただけさ」


 「……」


 グローリアが羽織るコートは認識阻害、センサー妨害装置が組み込まれている特別製。これを羽織っている限り彼は他者に存在を知られる事は無い。ダモクレスの生体センサーや機械眼さえも騙し通す技術の結晶体を惜し気もなくダナンの為に使い、命の危機を救ったグローリアは僅かに冷汗を掻きながら「けど、肝が冷えたね」と軽く笑う。


 「しかしまぁ……君も災難だね、完全機械体……ダモクレスに狙われてるなんてさ」


 「何故知っている」


 「君達の戦闘を見てれば分るよ。その時は私も違う場所に居たんだけど……彼はアレだろう? 無頼漢首領ダモクレス。鋼の巨人に追い回されるなんて災難極まりないことだと思うよ」


 「……」


 別にグローリアを信用したワケじゃない。信頼にも足り得ない関係性。だが……このコートは利用できる。この青年を殺し、奪えばいい。アサルトライフルの銃口を腹へ押し当てたダナンは獰猛な殺意を瞳に宿すと「私を殺すのは得策じゃないと思うな」グローリアの言葉を耳にする。


 「コートの機能群は私の脳波で起動できるようになっている。もし君が私を殺し、奪ったとしてもそれは最早見立ての良い衣類でしかないのさ。だから協力しようじゃないか、君。君が私を目的地へ連れて行って、私は君の身の安全を保証する。素晴らしい取引だと思わないか?」


 「……」


 銃を下ろし、舌打ちする。ダナンのその様子を見たグローリアはホッと胸を撫で下ろす。


 「何処へ行きたい」


 「やっと分かってくれたか、いやぁ良かった! 目的地は歓楽区にあるバーなんだけどね、其処に私の知り合いが居るんだ。少しばかり用事があってね」


 「名前は」


 「グローリア」


 「お前の名前じゃなくて、バーの名前だ。阿呆か?」


 「ちょっとした冗談じゃないか、そこまで言わなくても……」


 呆れたように深い溜息を吐くグローリア。彼はダナンの耳元で「ヒドロ・デ・ベンゼン」と囁き、バーの名前を言った。


 「……正気か?」


 「正気も正気、大真面目さ」


 「あそこはお前のようなお坊ちゃんが行く場所じゃない」


 「私が遊ぶワケじゃない。ただ知り合いの顔を見に行って、用件を話すだけ。どうだい? 連れて行ってくれるのか否か……ハッキリ話してくれれば助かるな」


 「……」


 バーというよりも、グローリアが話した場所は歓楽区最大級の娯楽施設。この世の楽園を体現したかのような桃源郷。ダナンは暫し逡巡すると溜息を吐き「どうなっても知らんぞ」と忠告する。


 「なら連れて行ってくれるのかい?」


 「一時的な協力だ。俺が歓楽区から出ていく為のな」


 「助かるよ、えっと、名前は」


 「ダナンだ。それ以上でもそれ以下でもない」


 「じゃぁ宜しく頼むよ、ダナン」


 そう話した二人を軽い握手を交わし、歓楽区の表通りへ目を向ける。目指すはヒドロ・デ・ベンゼン……区の発がん性物質にして、悪性腫瘍。輝く悪意と溝底に沈む罪の吹き溜まりへ足を進めるのだった。


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