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宮殿へ

 焦げたコンクリートと割れたアスファルト。幾重にも渡る罅を奔らせ、砕けたガラス。道端に転がる粉砕された数多の死体。皮膚が焼ける異様な匂いに混ざる腐った果実の香り……。ダモクレスによって破壊された歓楽区は爆撃を受けた焼け野原を思わせ、大通りに積まれた麻薬中毒者の死体は元の形を失うまで徹底的に破壊された挽き肉のよう……。アェシェマの居城を目指すダナンは歓楽区の復興に取り掛かる労働者を一瞥し、死臭が蔓延する路を駆ける。


 「ダナン、宮殿の方に生体反応を感知したわ」


 「ダモクレスか?」


 「いいえ、この反応はアェシェマね」


 ありえない。ダナンが一言呟き速度を落とす。


 ビル群から歓楽区まで戻って来るには二十分……少なくとも十分は必要だ。それに、アェシェマは己よりも遅く居城へ戻る筈。頬を掠めた火の粉を振り払い、闇に煌めく宮殿を見据えたダナンはリルスへ「他の生体反応を調べてくれ、場合によってはもう一度下水道を通って侵入することになる」と伝えた。


 「……」


 「リルス?」


 「一人よ」


 「なに?」


 「アェシェマは一人で宮殿に居る。多分……他の構成員は全員歓楽区の復興作業か新しい娼婦と商品を捕まえに行ったんだと思う。今がチャンス……いえ、罠の可能性が高いわね」


 壊滅的な被害を受けたのだ、肉欲の坩堝構成員が総出で立て直しを図るには十分な理由だろう。幾度となくダモクレスの襲撃を受け、他の無頼漢構成員による破壊活動に耐えた歓楽区であろうとも今回ばかりは想定の範囲外……。イレギュラーが重なった人為災害に組織的な混乱が隠せない。


 普通の組織……それこそ下層街の実質的な支配権を握る三大組織よりも格下の、脅威とも見られない組織ならば此処で終わる。抵抗する気力も失せ、圧倒的な力を前にしてトップの頭を差し出して許しを乞う。だが、流石は肉欲の坩堝と云うべきか……既に死者の羅列との労働力提供契約を交わし、無頼漢に破壊された区域の半分を安価な労働者の力で復興せしめている。


 後は売春宿で働く娼婦や臓器売買で売る子供達、依存効果が高い麻薬の流布と中毒者の把握、構成員の補充だけ。欠けた部位を補うように、失った細胞を再び取り込み、組織の更なる拡大と強化を狙う肉欲の坩堝は頭の欲望を成す為に蠢き回るのだ。


 だが―――リルスの言う通りこの状況は確かにチャンスと言っても過言ではないだろう。罠だったとしてもアェシェマ一人を殺すだけで終わる。歓楽区を支配し、狂人達を統べる女帝は人間なのだ。閃光弾に呻くアェシェマの姿を思い浮かべたダナンは、背を這い上がる恐怖を鎮め、アサルトライフルのグリップを握り締める。


 「……リルス」


 「なに?」


 「お前はどうするべきだと思う?」


 「……現状況から取れる選択肢は二つ。アェシェマを殺してハカラを奪取するか、殺さずに穏便な方法でハカラを奪う選択ね。どうせ貴男に撤退を提案しても素直に聞く筈がないでしょう? なら動くべきよ、イブを救いたいならね」


 「……そうか」


 うんと頷き、走り出したダナンは戦闘用アームを着用した兵器の動力部を機械腕から展開した超振動ブレードで貫き、火花を浴びて蹴り倒す。


 恐らく商品を引っ張り回していた改造兵器全機が戦闘武装に換装されているだろう。人的損失を出したくない、残った構成員を他の作業に集中させる為に殺戮兵器本来の仕事に従事させている。宮殿から飛来する自立飛行型ユニットを目視したダナンはアサルトライフルの照準を見据え、引き金を引く。


 乾いた発砲音と飛び散る火花、煙を噴きながら堕ちる機械……。命を惜しまず突貫する飛行ユニットは細いアームに取り付けられた誘導ロケットを発射すると直ぐさま戦闘から離脱し、宮殿へ戻る。


 炸裂する爆薬、弾け飛ぶアスファルト、視界を覆う真紅の業火。幾つかのロケットを撃ち落とし、十五機の飛行ユニットの内五機を撃ち落としたダナンは「リルス! 敵機の情報を寄越せ!」と叫ぶ。


 「飛行ユニットの名前は蜻蛉、戦線離脱と復帰を繰り返す爆撃ドローンね。それとダナン、背後から無人殺戮兵器が近づいているわ、注意して」


 ゴーグルの端に表示された縮小地図に赤い点が突如として現れ、重々しい鋼の音を響かせる。全身を特殊合金で覆い、鈍色の単眼を輝かせた殺戮兵器『修羅』の改造機は二本のヒートブレードを振り上げ、ダナンの生体反応を認識すると彼が潜む建物の壁をまるでゼリーを斬り裂くが如く容易に断つ。


 『ダナン、全自動人型戦闘兵器、修羅が投入されました』


 「見れば分かる……!!」


 『特殊改造……要するにオーダーメイドされた一品ですね』


 冗談を言っている場合か!! ネフティスの声を他所に蜻蛉の爆撃で右足を吹き飛ばされ、反応速度を超えた修羅の一太刀に胸を斬り裂かれたダナンは肋骨を焼く熱に叫び、吹き出す血が熱よって沸騰する瞬間を目の当たりにする。


 「ダナン、下水道へ向かって。地下から攻めるべきよ」


 『ダナン、戦闘続行を推奨します』


 「……ッ!!」


 鋼の唸りと軋む関節部。次の太刀が振られる寸前、失った右足をルミナの蟲が復元する。燃え狂う爆炎の嵐を突き進み、正門を突破するべきか否か。瞬時に後方と正面の状況を把握したダナンは爆風を利用して路地へ転がり込み、焼け爛れる傷に呻きながら路地裏を駆ける。


 「そう、まっすぐ。下水道へ降りれば殺戮兵器も追って来ない筈よ」


 『ダナン、撤退は推奨されません。蜻蛉を躱したとしても、修羅は設定された対象を抹殺するまで追跡します。狭い空間では此方が不利になります』


 リルスの指示に従えば修羅を振り払えない。ネフティスの助言に応じれば最悪な状況のまま戦うことになる。下水道のマンホールを持ち上げ、胴体をヒートブレードで貫かれながら下水へ落ちたダナンは血を吐き激痛に悶え狂う。


 「これで……いい」


 荒い息を吐き、蜻蛉の爆撃から身を隠したダナンは地面を木っ端微塵に斬り崩して侵入する修羅を睨む。


 イブが居ない状況では高度なプログラム・ハッキングやシステム・クラックを行えない。機械腕のハックケーブルを強固な装甲で守られた電子端末に突き刺すことも出来やしない。ならば、己に出来ることは壊し、殺すのみ。殺戮兵器を壊す。二度と追って来られないように、己の命を脅かす存在は排除しなければならない。


 「ネフティス……生体融合金属の起動準備に入れ。リルス、下水なら排水機構がある筈だ。其処まで案内しろ」


 『了解、生体融合金属解除、起動準備開始』


 「……排水機構」


 ハッと、リルスがダナンの考えに気づいたように息を呑み「二百メートル先を右折、その後百メートル直進、鉄柵の向こう側が排水機構よ!!」青年へ道を示す。


 汚水を跳ね飛ばし、鋼が歩を進める。その音が鼓膜を叩いた瞬間、ダナンは通路を駆け出した。右へ曲がり、真っ直ぐ進み、汚物を堰き止める鉄柵を視界に入れる。


 「……来いよ、鉄屑が」


 心臓が飛び跳ね、血が熱く滾っているように感じた。再生し、復元された傷が疼き、ヒートブレードが与える激痛に怯えている。だが、生き抜きたければ恐怖を捻じ伏せねばならないのだ。生きる為に、死を否定する為に、全力で足掻け。


 対装甲ライフルを抜き、一発だけ弾丸を撃ち放つ。甲高い金属音が下水道に木霊しネズミとゴキブリが闇へ散った。振り抜かれたヒートブレードが溶鉄のように煮え滾り、ダナンの首に当たる。しかし、皮一枚の隙に生体融合金属を起動したネフティスによって、凶刃はダナンの首を落とす事無く防がれ、代わりに抜かれた刀剣ヘレスの刃によって腕ごと断ち切られる。


 まだだ―――ッ!! ヒートブレードを奪い取り、鉄柵を焼き切ったダナンは修羅が持つもう一本のヒートブレードを視界に映す。赤熱する刃は青年の生身の腕を斬り飛ばし、肉と骨を焼き溶かす。気が狂れる程の痛みと脳を侵し尽くす狂気の中、ドス黒い瞳が見据えるは残った凶刃ではない。


 「堕ちろ!! 二度と這い上がってくるな、塵が!!」


 視線の先にあるのは動力部が位置する胸部装甲。捨て身の刃は修羅の装甲を突き破り、動力部へ致命的な一撃を与えるともう一太刀……超振動ブレードを突き刺し不可逆的な損傷を与えることに成功する。


 倒れ、鉄塊と化した修羅は排水機構の闇へ流され消えて往く。その様子を眺めたダナンは血を吐き捨て、斬り飛ばされた腕を切断面にくっつけると宮殿への道を急ぐのだった。



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