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狂人、二人

 迫る熱がアーマーを焦がし、狂気に染まった双眼は死と怨讐を求め煮え滾る。


 小型ミサイルの爆撃がビルの外壁に直撃する。細かいコンクリート片がダナンの脇腹に突き刺さり、鮮血が宙に舞った。獲物を追い詰める狂獣が如く吼え狂い、脇装甲からチェーンガトリングを展開したダモクレスは周囲の建物を粉砕しながらブースターを吹かし、大きく飛び上がるとビルの隙間に身を隠すダナンを機械目で見据え、周囲に潜む肉欲の坩堝構成員ごとマルチ・ターゲッティング・システム(MTS)の範囲に収めた。


 「吹き飛びなぁダナン!!」


 流星が堕ちる……その表現が正しいだろう。重々しい駆動音、唸りを上げて組み上がる巨砲、ダモクレスの心臓と半融合化した機械が発する破滅的なエネルギー……。完全機械体が齎す超効率化されたエネルギー回路は、遺跡の遺産と下層街の科学技術の結晶。徹底的なまでに無駄を削ぎ落とし、非合理的要素を排除した戦闘兵装の未完成品は背部装甲に取り付けられた巨大レーザー砲の銃口をビル群へ向け、歪に笑う。


 吹き飛べ……確かにその通りだ。アレが発射されれば死は確実。迎撃しなければ死ぬ。空中で発射姿勢を維持するダモクレスを一瞥したダナンは歯を食い縛り、彼をうっとりとした表情で浮かべるアェシェマへ視線を移す。


 「……」


 ダモクレスはアェシェマを攻撃しない。それは何故か……理由は簡単だ、彼の復讐リストに彼女の名前は存在しないから。幾ら戦闘欲求が極限にまで肥大化した狂人であろとも、無関係な人間は攻撃対象に値しないと理解しているのだ。


 ならばと、ダナンはビルの隙間から飛び出すとチェーンガトリングの弾丸に貫かれながらアェシェマへ接近し、立ちはだかる護衛を斬り殺す。


 「貴男も私を求めるの? 黒い人」


 「誰が求めるかよ! 売女が!」


 「酷い人」


 お前は盾だ。狂人の殺意を逸らす為の肉壁に過ぎない。だから未だ殺さない。生かしておいてやる。ダモクレスを無力化し、撃退した後に殺す。ダナンの意を汲み取っとのか、それとも単なる気まぐれか。アェシェマはわざとらしい微笑みを浮かべ、青年を抱き寄せると己が豊満な胸に顔を埋めさせる。


 「いい子ね、えぇ可愛らしい赤子みたい……。生きたいのね、黒い人」


 悍ましい。


 「けど、生きていても辛いわね。辛いことから逃げてもいいの。逃げて、遠ざけて、泣いてもいい……。私はそれを責めないわ」


 黙れ。


 「このまま……私がダモクレスに対して危害を加えたら、どうなると思う?」


 「―――ッ!?」


 単純化する思考が、麻痺しかけていた脳細胞が正常な判断力を取り戻し、解毒剤の許容量を上回る空気麻薬からダナンの意識を引き上げる。甘美な囁きと狂った聖母のような抱擁……この世ならざる美貌を持つアェシェマの言葉は耳にするだけで死を招く深淵の手。脱力していた四肢に力を込め、アェシェマを引き剥がしたダナンはエネルギーを別武装へ回すダモクレスへ目を向ける。


 圧倒的に不利。馬鹿げている。戦いにすらならない。次の一手を考える隙も無く、その場その場で対応策を講じる他抵抗の手段は無い。アェシェマが発する思考を蕩けさせる臭気、ダモクレスの破滅的な破壊行動……。己に持ちうる手段を総動員したところで何になる? 強者として君臨する狂人二人を殺すためにどうしたらいい? 絶望と痛みに呻くダナンは遠ざかるアェシェマへ手を伸ばし、全身を撃ち抜くガトリング弾の激痛に叫ぶ。


 「ダァナン……前みたいに全力で俺を殺そうとしろ!! 殺さなければ死ぬんだぞ!? 惨めに、無意味に、無価値な塵屑とは違うんだろう!? 俺を殺せダナン!! お前は俺が殺してやる!! ハリィ……ハリィハリィハリィイ!!」


 「ダモクレス……無頼の人、私を見てくれないの? ねぇダモクレス……」


 「貴様のようなゴミクソ便器に用があるわけねぇだろうが!! どっかの知らねぇ男に股を開いてガキを孕んでろ屑がぁ!!」


 どんな言葉で詰られようが、全力で貶されようが、アェシェマの心は変わらない。彼女の心はダモクレスの烈火の如く燃え盛る激情に焼き焦がされているのだ。どれだけ己という個を否定され、拒絶されてもその恍惚とした表情が崩れることはない。


 サディストとマゾヒズムが混濁する狂人。尽きぬ欲望を満たそうとする為にみんなを認め、個人の理性を飲み込み溶かす欲望の極地。麻薬に脳を破壊され、欲を開放する肉欲の坩堝を統べる女帝は、己の意志に従わぬ究極な個人主義を体現するダモクレスを求めて止まぬ。


 あわよくば……この二人が殺し合ってくれる方がダナンにしてみれば都合がいい。当たり前だ、凡人よりも強いだけの青年が人を纏め上げる強者に敵う筈が無い。持ち得う手段も、切れる手札も数に限りがあり、切り札と呼べる手は鬼札なのだ。本当のギリギリで、手を出し尽くした後にこそ意味がある。


 「……リルス」


 血を流し、傷を修復するルミナの蟲の動きを鈍らせたダナンはリルスへ通信を繋ぐ。


 「ダナン!! 馬鹿な真似を」


 「……周囲の状況を、地理的……詳細な情報が、欲しい」


 「逃げるためよね!? そうなんでしょう!?」


 「……違う」


 耳元で少女が息を呑む。ありえないと、理解できないと言葉無く言い表した音。


 例え逃げたとしても脅威は何時までも……影のように付き纏う。だから、完膚なきまでに、徹底的なまでに叩き潰さなければならない。逃げてばかりでは……何も変わらない。殺さなければ……殺されるのは此方なのだから。


 「殺す……奴らを、殺す。俺に、牙を剥いたことを、後悔させてやる」


 「そんな声で……馬鹿言ってんじゃないわよ!! 逃げなさい、撤退してよダナン……!!」


 動けるまで肉体を修復したダナンは再び立ち上がり、アェシェマによろけながら近寄る。その姿はまるで生まれたての子鹿、歩くことを覚えたばかりの赤子の様。痛ましく、情けなさが滲み出るダナンを見据えたアェシェマはゆっくりと青年へ歩み寄り、そっと抱き締める。


 「諦めてもいいわよ。もういいの。苦しい世界から、貴男を縛る理性を捨てて好きに生きればいい。そうでしょう? 黒い人」


 「……」


 「ねぇ、提案があるのだけれどいい? 私のモノになりなさい。苦しみも、痛みも、悩みも全部引き受けてあげる。だから貴男はダモクレスをおびき寄せる生き餌になって? お願い、黒い人」


 「……な」


 「え? なに?」


 「馬鹿言うな……クソアマが!!」


 瞬間、ダナンはアェシェマの背後に回り腕関節をキメると機械腕をダモクレスへ向ける。


 「リルス!! 周囲の状況を寄越せ!!」


 「―――ッ!!」


 通信越しにキーボードを素早く叩く音が木霊した。青年の眼を覆うゴーグルにビル群の立体的地理情報が映る。


 「ネフティス!!」


 『了解、生体反応及び敵性反応の索敵完了。敵性人員数二百、詳細不明人員百』


 ビルの中で射撃体勢を取る人間が二十、内外に立つ人間が百、他戦闘区域に近づく存在が百八十……。思考を冒す空気麻薬の香りに意識が混濁し、視界がくらりと歪む。だが、それ以上にダナンの内で燃え盛る生存欲求が上回る。


 女に手を上げ、言いなりにする奴は人間の屑、犬畜生だとダナンを育てた老人は言っていた。だが、命を脅かそうとする女はそれ以上の屑だとも。命の取捨選択を見誤るな、最優先にすべきは己の命。アェシェマの腕を締め上げ、骨を折ったダナンは「撃ってみろ! そうしたらこの女を殺す!」と叫んだ。


 「……」


 「全員出てこいよ!! 早く」


 「無駄よ」 


 「なにが―――」


 ゾッとする。腕を折られ、激しい痛みを脳が感じ取って居る筈なのに、微笑みを浮かべる美女にダナンの背筋が凍る。


 「だって」


 みんな、みぃんな、狂って、壊れているんだもの。そう言ったアェシェマは妖艶で、それと相反する子供らしい笑みを顔に貼り付け、声高々に嬌笑した。



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