紅蓮の業火を背に鳴り響く駆動音……全身機械体の狂人ダモクレスへ大手を広げたアェシェマは頬を焼く熱さえも快楽へ変換し、肉壁として立つ己が組織の構成員を下がらせる。一見してみれば部下の命を守ろうとする首領の鏡。だが、彼女の目的と力はそんな責務と義務とは全く別の……ダモクレスと云う無頼の巨人へ身を捧げることにある。
彼の熱に身を焦がされ、心と命を奪われようともそれは本望。求めるに値する魂が叫ぶ本能である。死を振り撒き、鮮血に濡れるダモクレスの前に立ったアェシェマは首元に迫った電磁クロ―へ濡れそぼった黄金の瞳を向け、熱く滾る超高密度炭素装甲へ頬を寄せた。
「退けェ女!! 貴様に用は無い!!」
「そんな事を言って……いいじゃない。もう少しの間、この逢瀬を楽しみましょう? ダモクレス、無頼の人……」
「離れろよ肉欲の坩堝の塵便器がァ!! 貴様は俺の手帳に書かれちゃいない存在、用無しの塵屑が俺に近寄るな!!」
手帳に名前が書かれていない……その言葉が意味するのはアェシェマはダモクレスの復讐対象では無いということ。ならば彼が求めるのはダナン個人。混濁した意識が次第に整い、溶けた思考が正常な形を取り戻した矢先にダナンは機械腕にテフィラを抱え、ゴミ箱から飛び出しダモクレスと正反対の方向……路地の奥へ駆ける。
「待て!! 俺と殺し合え!! ダナン、ダァナァぁン!!」
やってられるか……!! そう吐き捨て、路地の脇から飛び出してきた男へ刀剣ヘレスを振るったダナンは首を斬り落とし、銃を構える無頼漢構成員を視界に収めると転がるようにして建物の影へ逃げ込む。
「リルス!! 敵の位置を!!」
耳に流れるノイズ音。ダモクレスの機械体が発する電磁パルスによって機械腕の通信機が不具合を起こし、マトモに作動しない。軽く舌を打ち、ヘレスの柄を握り締めたダナンは考えを張り巡らせる。
今此処でダモクレスと戦ったとしても勝てない。単純に勝負の土台にすら立てやしない。テフィラの安全を確保する手段……保証が欲しい。それに、アェシェマが戦闘に介入したらどうなるかも見当がつかない。状況は絶望的。一人で生き残れる算段が立ったとしても、依頼対象が枷となる。
見捨てれば己は三大組織の一角と敵対することになってしまう。死者の羅列の規模と構成員の数は未だ不明……否、詳細な情報を得ることさえ出来ないように秘匿されているのだ。無頼漢と肉欲の坩堝と敵対出来たとしても、実体を掴めない存在と戦う程ダナンは愚かではない。弾丸が壁を削り、アーマーに弾かれ火花が散ると同時にビルの窓が割れ、三人の黒い影がダナンを取り囲む。
敵か―――!? 青年が刀剣を構えた瞬間、影は空気に溶け実体を消す。そして、路地の先で短い悲鳴が木霊すると連続して聞こえていた射撃音が止んだ。
「付いて来い」
「……何者だ」
「貴様に関係ない事。我々とて後が無い人間、この仕事が失敗すれば死は必定。死にたくないなら指示に従って貰おう」
向けられる銃口と鋭利な刃。腰に当てられた拳銃を一瞥し、首を撫でたナイフの存在を視認したダナンは生唾を飲み込み、生身の左腕を上げると溜息を吐く。
「……安全装置が外れていないぞ」
「冗談を聞いている暇は無い。早く動け遺跡発掘者」
「……」
「歩くか走れ。意見は不要だ」
「……そうか」
諦め、影の指示に従おうとした瞬間声が聞こえた。少女の声……私に構わず、脅威を排除する手段を取って下さい。私は、ダナンさんを信じていますから……。その言葉は脱力して項垂れるテフィラの声で、ネフティスと同じように脳に響くものだった。
機械腕から超振動ブレードを展開し、振り向きざまに拳銃を持つ影の両足を両断する。そして、煌めくナイフの刃を耳を斬り裂かれながら躱したダナンはヘレスの刀身を深々と影の胸へ突き立てた。
「コイツ……!!」
驚き戸惑ったように影の双眼が見開かれた。それと同時にショットガンの銃口が火を吹き、ダナンの腹へ撃ち込まれる。
大量に血を吐き、激痛に視界が眩む。常人ならば即死の散弾、致命傷と感づく前に失血死かショックで死んでいた。だが、ダナンの心臓で蠢くルミナの蟲は瞬時に彼の傷を塞ぎ、修復する。夥しい量の血に染まり、半壊したアーマーを身に纏った青年は狂気を瞳に宿し、影が取り落としたショットガンを拾い上げる。
『ダナン』
「ネフティス、状況を―――」
『ルミナ・ネットワークに不正なアクセスを検知しました。第一セキュリティ突破、第二防衛障壁無効化、第三攻勢防壁突破……。正体不明の存在、脳内回線をハッキング中……突破。回線を繋ぎます』
ネフティスの機械音声にノイズが奔り、次第に消える。その代わりに聞こえた声は『ダナンさん! 逃走に最適なルートを検出しました、私の指示に従って下さい!』テフィラのもの。
「お前、何故この回線を」
『詳しい話は後です! 次の敵が来ます!』
敵? そんなもの何処にも『ビルから離れて! 早く!』刹那、ビルの外壁に罅が刻まれ砕け散る。
「ダナン、何処へ行くつもりだ? 少し遊べよ。なぁ……ダナン‼」
「ダモクレス……‼」
唸る電磁クローと回転するガトリングチェーンガン。今まさにダナンとテフィラを肉塊へ帰そうとしている兵装は不自然な角度に曲がり、あらぬ方向へ放たれる。クローは青年ではなくコンクリートを斬り裂き、弾丸は狂人を追う肉欲の坩堝構成員を撃ち抜いていた。
何だ? 何が起こっている? ダモクレスが標的を見間違う筈が無い。奴は殺すと決めた相手を執拗にまで付け狙い、ほんの些細な恥でも復讐要項に書き残し殺す人間だ。だが、何故己を殺さず違う人間を殺す。戸惑い、困惑するダナンはこれ幸いにと狂人の咆哮を聞き捨て走り出す。
『敵の武装制御機構を奪いました! これで少しは時間を稼げる筈です!』
「ダナン! 聞いた覚えも無い女の子の声が聞こえるんだけど誰よこの子!」
『ダナン、新規登録名テフィーの指示に従い、行動することを推奨します」
「お前等少し黙ってくれ! 五月蠅いんだよ!」
鼓膜を震わせるリルスの声、脳内に響くテフィラとネフティスの声……。ぐるぐると回る思考の中、大きく叫んだダナンは裏路地から駆け出し人で溢れ返る大通りに出る。
この通りを真っ直ぐ進めば歓楽区から抜け出す事が出来る。後は商業区へ向かえば依頼人がテフィラを回収するだろう。だが何だこの悍ましい感覚は。ありとあらゆる方向から視線が突き刺さる気持ちの悪い……吐き気さえ催す悪意。息を整える為に周囲を見回したダナンは、その視線の主達を視界に映す。
欲望に染まり、自我を見失った亡者の眼。通りを往く通行人全員がダナンを見つめ、涎を垂れ流す獣のような目つきで青年と少女を見つめていた。煮え滾り、暴発寸前の獣性を喉奥で堪え、振り上げた凶刃をか細い理性の糸で縛る様は餌付けされた猟犬の様。満ち満ちる罪悪の炎を瞳に宿す民衆はダナンを取り囲み、通りの真ん中を歩くアェシェマに海を割るが如く道を開ける。
「別にどうってこともないんだけど」
頭を垂れる男の頬を撫で、跪く女の頭を擦ったアェシェマは何も無かった風に呟き。
「やっぱり私の眼に狂いはなかったのね。ねぇ黒い人、お願いがあるのだけれどいいかしら?」
警戒を絶やさないダナンに近づくと咥えた煙管から紫煙を吐き出し、黄金の瞳を合わせ。
「その娘は私の為……強いてはみんなの為に必要なの。だから置いて行って貰えないかしら? その代わりに貴男が望むモノをあげるわ。いいでしょう?」
と、蠱惑的な取引を持ちかけた。