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 そこら中から聞こえる嬌声と喘ぎ声。宮殿を模した肉欲の坩堝本拠地は欲望と淫欲が入り乱れた堕落の園だった。


 股を開いては男を誘う娼婦と一人の女に群がる蝿のような男達、淫気を振り撒き性欲に濡れる人間の姿は何ら獣と変わらない。否、獣の方が純粋な生存本能を剥き出しにしている分多少……かなりマシな方。性行為に耽る独特な臭気に頬を引き攣らせ、銃のグリップを強く握り締めたダナンはモノクロと色とりどりなネオンに染まった通路を進む。


 目がおかしくなりそうだ。目だけじゃない、錯乱作用を齎す光線照明に脳が混乱し、一度気を緩めてしまえば、己も場所関係なく行為に没頭する狂人の一人になってしまうような気がした。奥歯を噛み締め、性を貪る男女から目を逸らしたダナンは「二階へ上がって、通路奥の部屋に目標がいるわ。ダナン、大丈夫?」と通信越しに聞こえたリルスの声へ意識を集中させる。


 「最低最悪、まだ表……歓楽区の大通りの方がマシだな」


 「仕方ないじゃない。今貴男が居る場所は肉欲の坩堝の本拠地……女帝アェシェマの居城なのよ? マトモな精神で居られる方が可怪しいわ」


 そうだ、とダナンは頷き肺に溜まった空気を吐く。


 宮殿に満ちる臭いは何処となく歓楽区に漂う甘い腐臭と似ているように感じた。脳の思考回路を麻痺させ、合理的な行動を狂わせる淫靡な毒。誰もが自分の犯した罪を悪と認識せず、一切の迷いを捨てさせ、本能に従わせる臭いの元凶は気体麻薬の一種だとダナンは推測する。


 麻薬の成分はヘロイン系の粉末を大量に使った神経精神薬と、下層街では滅多に見られない生花の花弁から搾り取った香料か何か。中層街との交流……独自のツテを構築している肉欲の坩堝なら生花を手に入れることくらいは簡単だろう。いや、ツテやコネが無くとも性と人体を商品として売り捌き、潤沢な資金で潤う肉欲の坩堝ならば、死者の羅列から大量に購入することも可能。


 どちらにせよ……腕を駆血帯で縛り、青紫色の麻薬を注射しようとしていた男の後頭部を機械腕で殴り潰したダナンは首に掛かっていたIDカードを奪い、ガスマスクを剥ぎ取ると強化部品を自身のガスマスクに付け換える。


 ガスマスク本体は奪えない。過去に一度肉欲の坩堝の構成員を殺し、ガスマスクや装備一式を奪ったことがあったが連中のマスク内には毒素除去フィルターではなく、液体麻薬を染み込ませたフィルターが装着されていた。それに気づかずに使用していたら自分も立派な麻薬中毒者……壊れた人間の仲間入り。故に、後頭部から血を垂れ流す男のガスマスクは既に完全汚染され、鮮血でぬらぬらと滑る頭蓋の奥にある脳は常人の二倍萎縮していた。


 鏡も見ずにマスクの部品を手慣れた手つきで交換したダナンは階段を駆け上がり、壁の影に身を隠す。鎖が引きずられる音と柔らかい皮膚が黒いタイルを擦る音……。重い駆動音が通路に響き、爆破首輪に繋がれ絶望した少年少女の内一人が青年を視界に収めた。


 腕に残る幾重もの注射痕、赤紫色に変色した白い肌、何処を見ているのか分からない右目と痣だらけの顔面。全ての歯を抜き取られ、薄い胸とは不釣り合いな腹を膨らませた少女は歩調を乱し、ダナンへ手を伸ばすと頭を起動した爆破首輪によって木っ端微塵に吹き飛ばされる。頭が無くなった首から鮮血が吹き出し、少年少女の鎖を握る機械は彼女の腹に宿っていた胎児を無理矢理摘出すると備え付けの人工子宮に放り入れた。


 未だ正気を失っていなかった少女は逃げ出す意思があると判断され、頭を爆破された。彼女の子は人工子宮で育てられ、娼婦か男娼として歓楽区で生きることを余儀なくされるだろう。もし少女が生き残れたとしても、死の間際に命を絶たれ移植可能な臓器類は洗浄ポッドにぶちこまれて誰かに買われる運命にある。生きるも地獄、死ぬも地獄、此処で生きたいのなら壊れた人間の一人になるしかない。少女の死体を一瞥し、解体要請を受けた構成員の男を影から襲ったダナンは直ぐさま腕を圧し折り床へ組み伏せる。


 「アェシェマの部屋は何処だ」


 「……」


 「吐け、吐かなければ」


 男はギョロリと眼球を回し、ダナンへ視線を向けると熱い息を吐き、身悶える。


 「もっと、もっと強く踏んでくれ……! 痛みを、その強烈な快楽をもっと俺にくれ!」


 「……アェシェマの」


 「もっと! もっと骨を折ってくれ! 頼む、頼むよ!! 内臓だって潰したっていい! 俺は」


 機械腕からブレードを展開したダナンは騒ぐ男の首を断ち、返り血を浴びる。鮮血がタイルに染み渡り、死体を階段下へ蹴り落とした青年は「あまり戦闘行為をしない方がいいわ。狂人相手に何を言っても無駄だもの」頷いた。


 歓楽区に住む肉欲の坩堝には話が通じない。僅かに……ほんの一握りの可能性で話が通じる構成員が居ようとも、常日頃麻薬を常用しているせいか一週間後にはアェシェマを崇拝する狂人へ堕ちる。痛みを快楽と認識し、性欲こそが絶対だと、本能が叫ぶ魂の証明であると信じる存在はみんなの為に、みんなを売るのだ。


 『ダナン』


 「何だ」


 『空気中に散布されている麻薬成分の分析完了。解毒剤を精製しますか?』


 「出来るのか?」


 『体内の生体融合金属を用い、ルミナの細胞変質、血清作用によって精製します』


 「リスクを」


 『はい、体内のルミナを使用することにより戦闘行為、探索調査の使用率が変動します。遺跡での活動状況と同様となります』


 「頼む」


 『了解しました、解毒剤精製に移ります』


 機械腕を生体融合金属が覆い、解毒剤精製装置の形となり『作業完了まで十分』ネフティスの声にダナンは小さく頷く。


 「おぉい! 交代の」伸びた声を張り上げる男の首をブレードで斬り落とし、心臓を刀剣へレスで突く「誰か居るのか? ……おい、何でこんなに」驚き戸惑う女を押し倒したダナンは顔面を滅多刺しにすると通路の奥へ走る。


 肉欲の坩堝のマトモ……脳を麻薬に冒されきっていない構成員が異変に気づき騒ぎ立てていた。悠長に事を進めている時間は無い。通路奥の扉を押し開き、白い少女を瞳に映したダナンはリルスへ「アレが目標か?」と問う。


 「そうね、ナノGPSが強い反応を示してる。見てくれを言って頂戴」


 「白い肌と薄い長袖のワンピース、目を閉じてベッドの上に座っている。周囲は……高そうな調度品に囲まれているな」


 「少し待って、依頼人に確認してみるわ」


 「出来るだけ早めに頼む」


 了解。そう言って通信を切ったリルスを他所に、ダナンは扉を閉めると鍵を掛け、ソファーや戸棚を乱雑に積み上げる。


 銃撃戦へ発展したらこの程度の壁は意味を成さずに崩れ落ちる。その前にケリを着ける。少女へ背を向け、アサルトライフルを構えたダナンへ「あの、まだお夕飯には早いと思いますよ? それに、どうしてそんなに焦っているんですか?」と少女が戸惑い混じりに聞いた。


 「死者の羅列からの依頼だ。お前を連れ戻すよう言われている」


 「兄の会社から? えっと、私は兄のご同僚の方から話を仲裁してくれとお願いされたのですが……」


 「会社だと? 馬鹿を言うな、死者の坩堝は商業区を牛耳る組織だろうが」


 少女が瞼を閉じたまま小首を傾げ、愛想笑いと困惑が混ざりあったように微笑む。


 「……あ、もしかしてお迎えの人でしょうか? すみません、まだ兄のご同僚の方がお見えになっていないので帰れないと伝えて貰ってもいいですか?」


 「俺はお前らの小間使いじゃない。依頼だから来ただけだ。勘違いするなよ」


 「そういわれましても……。でも私、貴男の事を見たことがありますよ?」


 「嘘を吐くな」


 「嘘じゃないですよ? だって、お兄さんはあの白い女の子、イブさんと一緒に居ましたよね?」


 その言葉を聞いた瞬間、ダナンの持つアサルトライフルの銃口が少女の眉間へ向けられた。


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