金属製の大型アタッシュケースをリズムよく揺らし、口笛を吹く派手な服を着た男、ライアーズは指先で回るマグナムの引き金に指を掛け、死体の臓物を貪る野犬へ銃弾を撃ち放す。
折り重なる射撃音と野犬の胴体を貫通する弾丸。歪んだ人面を頭に貼り付け、三つ目が印象的な野犬は短い悲鳴をあげると血を吐きながら倒れ、銃口から上る紫煙へ息を吹きかけたライアーズはシリンダーに込められた空薬莢を手慣れた手つきで落とす。
下層街の路地裏に駆け回る野犬が真面な造形を象っているところ等見たことが無い。毒素に汚染された遺伝子と変質した細胞、常に命の危機に晒される過酷な環境、増えねば絶える個体数……。一度の妊娠で二十頭を孕み、僅か一ヶ月で出産期を迎える繁殖力は下層街の野生動物、強いては人間の異常性。死に瀕し、個体数を維持する為に常軌を逸脱した生物は悍ましいの一言に尽きるだろう。
人間が人間同士で生存競争を繰り広げ、野生動物内でも殺し合いが常態化した黒い街。虚ろな目で空を覆う鋼鉄板を見上げ、口の端から血を垂れ流す男の顔を踏み潰しながら歩を進めたライアーズは、居住区のアパートの階段を上ると指定された部屋の扉を叩く。
「ダナンちゃん、リルスちゃん、来たわよぉ?」
扉の向こう側から返事は無い。小首を傾げ、機械腕の指関節を軋ませたライアーズは指先からロックピックを突き出し、同時にハックケーブルとコネクトケーブルを伸ばす。
沈黙は肯定と受け取ろう。自身の機械眼にコネクトケーブルを接続し、鍵穴の上にある電子ロックへハックケーブルを突き刺した男は、物理ロックを解除する間に電子ロックのキーを強制解除する。
こんな錠など障害にもならない。ものの三秒で扉の鍵を全て外したライアーズは強烈な殺気を感じ取り、身を仰け反らせると銀翼の攻撃を紙一重で回避する。
これはあの少女……イブの銀翼か? だが、彼女の翼は六枚だった筈。本体の存在が確認されないと云う事は、侵入者迎撃用の防衛装置と判断するべきか。
再び頭部を串刺しにするべく飛来した銀翼を見据え、アタッシュケースの蓋を開いた男は自動照準機能付きターレットを展開し、一本の金属棒を引っ張り出した。
「自己防衛よ、アタシに何の非があるものですか」
ターレットの弾丸を弾き、火花を散らしながらライアーズへ迫る銀翼が金属棒の一振りで空中分解する。細かな電子部品と銀の羽根が宙に舞い、その一瞬内にバラバラにされた部品を寸分違わず組み上げた男は鉄屑と化した銀翼を一瞥し、煙草を口紅が塗りたくられた唇に咥え、傷だらけのジッポライターに火を着ける。
人間離れしたメカニック技術。彼は己と銀翼の間合いを完璧に把握し、最適な遺産を手に馬鹿げた機動力を持つ武装を余裕で完封してみせたのだ。もしこの場に居る人間がライアーズではなく、別のメカニックかハッカーならば最初の一撃で頭部を破壊され、脳漿と砕けた頭蓋を飛び散らせていただろう。
戦闘能力が無い情報屋、突出した技能を持たない人間には価値が無い。生きたければ、死にたくなければ牙を持ちながら爪を隠すべきなのだ。人畜無害の皮を被り、必要な時に獰猛な顔を覗かせる。それがライアーズの友人が若い頃に話していた生き方。酒瓶を片手に煙草を燻らせる彼の姿を脳裏に過ぎらせた男は、部屋に足を踏み入れると銃を構える少女を視界に映す。
「あらリルスちゃん、アタシよア、タ、シ! そんなに警戒しなくても大丈夫よぉ!」
胸に溜まった息を吐き、脱力したように銃を下ろした少女……リルスは冷静を装いながら「もう来たの? 早いのねライアーズ」僅かに震えた声を絞り出し、小刻みに揺れる指でキーボードを叩き始めた。
「あったりまえじゃない! んもうこんな鉄屑じゃダモクレスの訪問は防げないわよ?」
「彼なら暫く来ないと思うわよ? 前の戦闘でダナンが手帳を燃やしたみたいだし」
「あら? ダモクレスもアップデートされてるのによく勝てたわね。てっきり八つ当たりのせいで死んだと思ってたわ」
「……」
機能停止状態にある銀翼をデスクの上に放り投げ、椅子に腰掛けたライアーズは短くなった煙草を灰皿で押しつぶすとゴミ箱へ捨てる。
八つ当たり。ダナンの日課である無頼漢殺しは既に復讐の意味を喪失し、子供の八つ当たりのような意味の無い行為と化していた。毎日欠かさず誰よりも早く起床する青年は居住区を歩き回り、路地裏や通りに立つ無頼漢構成員を必ず一人殺してから家に帰る。彼の育ての親である老人を殺した人間がこの世から居なくなろうとも、関わりを持たない人間を殺す行為は辻斬りと変わらない。
ダナンの気持ちはライアーズとリルスも分からなくもない。大切な人を殺された憤りは痛いほど理解できるし、許せない人間が属していた組織を根絶やしにしたい気持ちも分かってしまう。だから止められない。誰かが止めたとしても、諭したとしても、説得したとしても……当人が納得しなければ意味が無いと理解っているから。
リルスにも殺したい、この世から滅ぼしたい組織が居る。父を殺し、母を奪い、最低最悪の辺獄へ己を突き落とした存在への憎悪と憤怒は絶える事は無い。しかし、彼女が生涯を掛けて罪を償わせなければならない存在は遥か遠く……下層街に居る限り手が出せない絶対的な壁で守られている。故に、激情と殺意を抑え込み、ひた隠しにして生きねばならなかった。
「で、リルスちゃん」
「なに?」
「あの子と少しでも関係は進んだ?」
「何の事?」
「とぼけないでよね、アタシには分かるんだから。ダナンちゃんと少しでも良い関係に成れたかって聞いてんの! もう長い付き合いになるんでしょ? セックスの一つや二つでも」
「馬鹿言わないで。この色狂い」
「んもぅ連れないわねぇ! じゃぁ何でアタシにそれとなく発育方法とかダナンちゃんの好みとか聞いてんのよぉ! しかも彼には知られない個人回線で!」
「―――ッ!!」
カァっとリルスの頬を朱色に染まり、耳の先まで真っ赤になる。一切動きを止めずに動かしていた指先がピタリと静止すると愉快に笑うライアーズを睨みつけた。
「そんな事関係ないでしょう!? 別に貴方と何の関係が」
「何よぅ少し聞いてみただけじゃない。で、どうなよの。あの子、前に貴女とは違う女の子を連れていたけれど、うかうかしてると盗られちゃうわよ?」
盗られるって!! リルスが声を張り上げ立ち上がろうとした瞬間、床の軋みと共にイブを背負ったダナンが部屋に足を踏み込んだ。
「来ていたのかライアーズ、リルスお前もどうした? 敵襲も無いのに慌てるなんざお前らしくない」
「―――ッ!! 別に貴男に関係ないでしょ!!」
「何なんだ一体……。ライアーズ、診てもらいたい奴が居る。ICEでヤラれた人間だ」
「ICE?」
ベッドの上にイブを横にしたダナンは煙草を口に咥え、火を着ける。
「遺跡のアース・ホログラム……投影装置にハッキングを仕掛けてカウンターを食らった。一応、念の為診てくれ」
「遺跡のセキュリティねぇ……診てみるけど、神経系がズタズタになっていたら殺した方がいいわね。お荷物になっちゃうもの」
「……」
そうだな。何時もの彼ならば躊躇いなく言い放ち、イブを切り捨てていただろう。だが、その言葉を吐かないダナンへライアーズは訝しむような視線を向ける。
「ダナンちゃん?」
「……もしイブが、彼女の神経系が焼き切れていたら、元に戻す方法はあるのか?」
「可笑しな事を言うわねぇ、神経を元に戻すのは幾らアタシでも無理よ? 貴男、リルスちゃんにらしくないって言ったけど、今のダナンちゃんの方がよっぽどらしくないわ」
紫煙を吐き、機械腕で火種ごと握り潰した青年は男と視線を交差させ。
「それでもだ。俺にはソイツを見捨てられない理由がある」
リルスの驚くような瞳を意に介さず、そう言い切った。