ポーチから煙草の箱を取り出し、その中の一本を口に咥えたダナンはライターの蓋を弾き上げ、フリントを回す。
細かい火花が舞い散り、黒ずんだウィックの先に火が灯る。煙草の先を火に近づけ、真っ赤に燃える火種を眺めたダナンは薄い紫煙を吐き出すと、くらりと眩んだ頭をエレベーターの壁に押し付けた。
非常脱出用エレベーターが何処に続いているのか、何処へ向かっているのかも分からない。低い駆動音が狭い密室に響き、最小限の電力供給で動く昇降機は冷たい闇に閉ざされ、沈黙と警戒を貫くダナンは腕に抱いたイブを一瞥する。
荒い呼吸と滝のように滲む汗。アース・ホログラムのハッキングに失敗し、セキュリティに弾かれた少女は胸を押さえたまま青年の腕の中で悶え、苦痛に歪んだ表情を浮かべていた。
強固な攻性防壁による逆流性侵入対策措置……。情報データを扱うハッカーやウィザードが対抗する電子プログラムに攻撃された可能性が高い。機械義肢を用いて視覚ハッキングを行う者が度々脳や眼球を焼かれ、肉体損傷を引き起こすセキュリティ・ウォールがイブを襲ったと考えるべきか。
「……」
銀翼が彼女の身体を覆い、生白い肌が病的なまでに青白く見える。攻性防壁に脳を焼かれ、神経系を全て焦がされたハッカーの末路は皆同じ。死ぬまで藻掻き苦しむか、生きたまま二度と情報データを扱えない身体にされるかの二択。イブの身体には一切の傷や変化が見られないが、神経は糸くずのように斬り裂かれ、少し動くだけで激痛が奔っている事だろう。
「……ネフティス」
『はい』
「イブの状態を教えてくれ」
『ルミナの活動率約七十%、神経及び肉体再生、身体装着型兵装の修復にルミナの六十%のリソースを注いでいる状態です』
「残り十%は」
『使用用途不明、第三者によるコントロールを受けている状態です』
「誰だ」
『補助管理者カナン。ルミナ・ローカルネットによって管理者イブとの接続状態にあり。しかし、相互通信は拒絶』
カナン……。カミシロのメッセージに残されていたイブが愚妹と呼ぶ少女。ルミナの蟲が構築する独自ネットワークを使っているのなら、此方の居場所は筒抜けというワケか。いや、相互通信を拒絶しているのならば、居場所と状態はバレてはいない筈。
濃い紫煙を燻らせ、火種を押し潰したダナンは銃のグリップを握り、銃身を指先で叩く。
もし、此方の動向がカナンとカァスの二人組に把握されているのなら、化け物染みた戦闘能力を持つ存在と一人で戦う事になる。イブの支援も無しに、ダナン一人で少女を抱えて無事に生き残れる保証は無い。嫌な汗が青年の頬を伝い、口角に垂れると舌で舐め取り逡巡する。
生きる為に手段を選ばない事は定石だ。イブを見捨て、足手纏いだと断じ切り捨てれば多少生存率を引き上げる事は出来る。だが、それは出来ない。己を信じてくれる……己が信じようとする少女をこの場に置いて去る事は不可能。
新しい煙草を摘む生身の指先が震え、それに気づいたダナンは内に蠢く恐怖を押し潰すように煙草を握り締め、エレベーターの減速に合わせて鳴り響いた短い電子音に耳を傾ける。
生きる為に何を犠牲にしたらいい。死なない為に何を求めたらいい。イブを背負い直し、銃を構えたダナンはエレベーターの入口に立つ遺跡発掘者を視界に収め、驚き戸惑う男女へアサルトライフルの引き金を躊躇無く引いた。
連続した射撃音と飛び散る血肉。後方に控えていた他の遺跡発掘者が武器を構え、凶弾を撒き散らすダナンに照準を合わせると撃鉄を弾く。
数発の弾丸がアーマーに弾かれ、壁に跳弾する。倒れた死体を掴み上げ、肉の壁として利用したダナンはイブへ「しっかり掴まってろ」と言い放ち、機械腕の自動照準機能を切り的確に敵の眉間へ銃弾を撃ち込む。
自動照準機能はただの保険だ。視界が悪く、急所を複数貫かねば殺せない生物相手なら自動照準機能を用いて銃を撃つ。しかし、複数人の人間を相手にした場合は自前の射撃技能に頼った方が手っ取り早い。銃口のブレによる射線誘導と跳弾によるトリックショット、肉壁に銃身を突き刺した臓物間射撃……。
ダナンの常軌を逸した戦いに敵対する遺跡発掘者は恐れ慄き、首輪を嵌めた襤褸を纏う少年少女を前に出す。虚ろな瞳でだらしなく涎を垂らす子供達は、首輪のランプが緑から赤に変わった瞬間狂ったように叫び、ダナン目掛けて駆け出した。
首輪型爆破装置―――。子供の眉間を撃ち抜いた時にはもう遅い。碌な探索装備すら身に着けていなかった彼等は自爆特攻の人間爆弾、使い捨ての生体兵器なのだ。視界を覆い尽くす爆炎と体内に組み込まれていた鉄片が辺りに突き刺さり、ダナンのアーマーを貫くと青年は血を吐きながら後方へ吹き飛んだ。
「やったか?」
「畜生……無駄に資源を消費した。クソが」
「おい、爆弾と弾薬はあと幾つ残ってる?」
「ガキ……爆弾が五つ、弾薬と資源は手元にある分だ。だけどよ、この野郎いい女連れてるな。見ろよ、この白い肌と綺麗な髪。コイツを売れば」
顔半分が焼け爛れ、血を流して大の字で倒れるダナンの横……イブに近寄った男の両腕が青年の機械腕から展開された超振動ブレードで断ち切られ「な、は? え―――」無くなった腕先を呆けたように見つめ、首を落とされた。
ルミナの蟲がダナンの傷を埋め尽くし、致命傷とも成り得る傷を再生させる。罅割れ、砕けたアーマーをも修復する白い線虫は戦闘不能状態に陥った青年を瞬く間に蘇生し、戦える状態に復元した。
化け物―――!! ある一人の男がそう叫んだ。撃ち放たれた弾丸が滅茶苦茶にダナンを貫き、四肢を弾き飛ばすが彼の体内で蠢くルミナはこの危機的状況に順応し、肉体細胞、遺伝子レベルで融合する。
死に瀕する程ルミナは適応者との融合を促進し、段階を引き上げる。死ねば死ぬ程、生存への渇望が強ければ強い程、ルミナの蟲という細胞融合型万能ナノマシンは自身と使用者を強化するのだ。
『ルミナ第二段階融合率四十%、使用率五十%、敵性勢力の迅速な制圧を推奨します』
「武装は」
『細胞レベルでの肉体強度の向上、筋繊維の一時的な異常発達、生体融合金属の部分的使用の無制限許可、以上です』
「そうか」
一瞬、ダナンの姿が揺らいだ。それと同時に銃を乱射する男の腹が鋼の拳に貫かれ、刃を形成した鈍色の腕で両断される。
叫喚と悲鳴、怒声と恐怖。未知の存在に恐れをなし、撤退する遺跡発掘者の背後から機械腕にアサルトライフルを取り込んだダナンの銃弾が迫り、対物ライフル弾頭以上の破壊力を以て敵をバラバラに撃ち殺す。
血溜まりが広がり、欠損した四肢や肉体から溢れた臓物が飛び散る地獄絵図。死亡した遺跡発掘者の装備を漁り、鼻血を流しながら腐った血を吐く子供達の首を一つずつ刀剣ヘレスで撥ねたダナンはイブを背負い直し、遺跡浅層の通路を歩き出す。
『方舟ローカル・ネットワークとの接続を確認。リルスとの通信を開始します』
「通信?」
『はい、リルスと管理者イブが黒鋼零式に組み込んだ機器とプログラムを介し、ローカル・ネットワークを利用した通信を可能としました。繋ぎます』
ネフティスの機械的な声とは対象的に、ダナンの脳に響いた声は何時も聞く少女の声。
「ダナン!? 無事!? 返事を」
「大丈夫だ、問題ない」
深い安堵の息と疲れが混じった溜息と……。落ち着きを見せるように咳払いしたリルスは「仕事、終わった?」と問い、ダナンもまた「あぁ、今から戻る」軽い返事を返す。
「ご飯準備してるから早く帰って来なさい。それとイブは」
「その事なんだが、ライアーズに連絡を入れておいてくれ」
「どうして?」
「用がある。機械義肢と兵装に関しては奴の腕は一流だからな」
「……分かったわ」
短い通信を済ませたダナンはイブを背負ったまま、遺跡の出口まで歩を進めるのだった。