散らばる肉片と飛び散る血飛沫。溶けた腐肉と皮膚を身に纏い、腐れ落ちた臓物を引き摺る生きる屍。過死性ウィルス、ネクロスに感染した人間の成れの果て、ゾンビはダナンとイブが発する熱源反応を感知すると、折れた足を砕き、腕を乱雑に振り回しながら滅茶苦茶な格好で走り出す。
自ずと足を踏み砕き倒れる個体、それを踏み台にして走り迫る個体、ニタニタと醜悪な笑みを浮かべ黄ばんだ歯を見せる個体……。己等を未だ生きていると思い込み、心臓が止まっているのに血を吹き出す矛盾。回生者とも呼ばれる存在は、脳を病床とするネクロスに美しい幻覚を見せられ、感染者を増やすために行動する。
心臓や肝臓と云った臓器を潰しても意味は無い。死体を操り、幻覚を濁った瞳に映し出す頭部を破壊しなければゾンビは止まらない。アサルトライフルのマガジンを交換し、ホローポイント炸裂弾頭が使用されている弾丸に変えたダナンは機械腕の自動照準機能を用い、次々とゾンビを撃ち殺すと伸ばされた腕を踏み砕き、イブと共に前進する。
「ネクロス罹患者がこんなに増えてるなんてね。意外だわ」
「ゾンビだろ?」
「昔は感染者とか罹患者と呼ばれていたものよ。ダナン、伏せなさい」
地面に這いつくばったダナンの真上を銀翼が通り過ぎ、立ち塞がるゾンビ達の首を一撃で撥ね飛ばし、舞った銀の羽根が突き刺さると木っ端微塵に粉砕した。
「昔?」
「えぇ、こんな悍ましい生物を創る為にネクロスはあるんじゃない。元々は医療用ウィルスなの」
「馬鹿げたことを……。イブ、それを何処で知ったんだ? お前は」
「色々な情報を読み漁って、銀翼に記憶しただけよ。勿論、ルミナにも必要以上のデータや情報が保存されているけどね」
イブが使用する身体装着型兵装の銀翼は圧倒的だった。銃を撃ち、接近戦に持ち込むことが馬鹿らしくなる翼の汎用性能。六枚の翼が一律稼働ではなく、一つ一つ自立稼働し、攻撃及び防御、空中浮遊、高速移動と多岐に渡り少女の戦闘を有利な方向へ運ぶ万能兵器。
ゾンビの群れに前後方を塞がれても、たった二枚の銀翼で道を切り開くイブは頼もしくもあり、何処か危うい胆さと自信に満ちている。ダナンは天井の亀裂から垂れ流れる粘液を視界に映すと少女を抱え、機械腕のブレードを展開する。
「なに? どうしたの?」
「厄介事が次から次へと……。イブ、銀翼を盾に使え。前のゾンビは俺が始末する」
透明な、それでいて中に鉄錆のような極小の心臓が混じる異物。ダナンの言葉の意味を理解したイブは攻撃にしようとしていた銀翼を防御に転用し、己と青年の身を守る盾を形成する。
炸裂する心臓とその大きさから考えつかない大規模な爆発。粘液の主成分はニトログリセリン化合物、心臓は起爆剤から成り、焼け焦げたゾンビへ天井の隙間から漏れ出す半粘液状の液体型実験生物が覆い被さった。
「あれは……甲種第一類生物兵器の亜種かしら?」
「爆破ミジンコの事を言ってるのか?」
黒ずんだゾンビの死体を貪り、融解した巨大なミジンコは重力に逆らうように天井へ戻り、ダナンとイブを執拗に追跡する。
微生物を巨大化し、特殊な細胞構造に組み替えた実験生物。単細胞生物の構造では多様な性質を付加する事は叶わなかった。だが、多細胞生物であるミジンコならば均一に並んだ細胞一つ一つへ複雑な性質を寄与する事ができ、実験と改造の果てに産まれた存在が爆破ミジンコと呼ばれる生物兵器である。
隙間を這い、機器類を傷つけずに表面をゼリー状の表皮で覆ったミジンコは、細胞構造を自由自在に組み替えながら姿形をも変質させ、獲物を追う。体内で無限に等しい細胞分裂を繰り返し、同一個体を乱造してはニトログリセリン化合物で満たされた体液を排出すると小型個体の心臓を起爆剤にして爆発する。
ナノマシン技術やウィルス制御を施されていない細胞改造技術の産物は、区画の侵入者を排除する役目を全うする為に、ゾンビと化した遺跡発掘者をも殺し尽くす。
連続する爆発と炸裂する爆炎。息を切らし、曲がり角を左へ曲がったダナンの視界に映った存在は先ほど退けた外生物、水分子結合型ナノマシンの暴走体だった。
瞬間的に放たれた液状チューブを機械腕の装甲で弾き、吹き飛ばされたダナンからイブがヒラリと飛び降り銀翼でジェットカッターを弾く。素早い身の熟しで立ち上がり、天井を這いずる爆破ミジンコとは別の異音に気付いた青年は、頭を噛み砕こうと飛び出してきた金喰い百足の鋭利な牙を紙一重で躱す。
「ネフティス!!」
『はい、何でしょうダナン』
「目的地までの距離と方向、敵の数を正確に言え!!」
『距離五百メートル、三時の方向、敵性存在はネクロス、影狼、林道、金喰い百足、爆破ミジンコ、水分子結合ナノマシン暴走体……修正、ウンディーネです。管理者イブへ提案。コード・オニムス或いは生体融合金属を使用しての戦闘を推奨します』
「……制限時間は?」
『先ほど申し上げた通りです。迅速な決断を』
爆発の熱と銀翼を貫こうとする高圧ジェット、迫るゾンビの呻き声。殺戮兵器の駆動音が通路に響き渡り、生存者を削り殺すチェーンソーの音が二人の鼓膜を叩いた。
「イブ」
「……」
「コード・オニムスを一部分だけ適用しろ」
「……」
「お前が決めないなら、俺が決める。ネフティス、コード・オニムスの起動準備に掛かれ」
『不可能です。管理者の許可が必要、個人による起動は許可されていません』
天井から飛び出した金喰い百足を機械腕のブレードで叩き切り、舌打ちしたダナンは逡巡するイブへ視線を向ける。
このままじゃジリ貧だ。幾らルミナの力で致命傷を回避出来ようと、次から次へ現れる敵へ対処出来なければ意味が無い。足元に散らばった空薬莢を踏み、爆風に身を仰け反らせたダナンは背に激痛を感じる。
「ダナン」
「―――ッ!?」
私を信じて。そう呟き、己の銀翼を青年の背に突き刺した少女は七色の瞳に輝きを宿し、翼を構成する羽根一枚一枚に電子の光を滾らせる。
『小型波動砲、展開』
「イブ!? 正気」
「大丈夫」
「何故そう言える!!」
「私が貴男を信じてるから。それだけじゃ不満?」
機械腕の形態が銃型を形作り、手掌装甲が展開されると鈍色の銃口を覗かせる。
今此処でルミナの半暴走状態に移行するのは不味い。片方が動けなくなり、戦いの手が減れば死は必然。だが、彼の意思とは裏腹に、イブの銀翼はルミナの制御権を強制的に奪取するとダナンの血と細胞を沸き立たせる。
身体中が溶岩に浸かったように燃え狂う。発生した熱エネルギーは波動エネルギーへ相転移され、反物質を形成すると重力場を狂わせる。
「照準……修正。エネルギー効率修正。収束点を操作、ターゲッティング固定、全工程完了。ネフティス、補助をお願い」
『了解、管理者イブ。ダナン、発射の指示を』
イブは己を信じていると言った。そして、己も彼女を信じたい。今此処で波動砲を発射したら何が起こるかなど想像に難くない。だが……これ以上の最善手も見当たらない。ならば……彼女の判断を、決断を信じてみよう。もし問題が発生したとしても、その時に対処したらいい。
「イブ」
「なに?」
「信じるぞ」
「えぇ、任せて頂戴」
破滅的なエネルギーが一点に集中すると鋼鉄の壁を撃ち貫きながら突き進む。周囲の敵性存在を吹き飛ばし、捻じ曲げ、滅茶苦茶に破壊した波動砲の余波……反物質と乱れた重力場の余波は、イブが形成したシールドによって防がれる。
「……ね? 信じてって言ったでしょ?」
「……あぁ」
『敵性存在の撃破を確認。迅速な移動を推奨します』
フラつき、倒れそうになったダナンの肩を支えたイブは優しい微笑みを浮かべ、疲労した青年の背をゆっくりと撫でる。
「歩ける? ダナン」
「……何とかな」
「あら、問題ないと言わないのね」
「……問題ありだ、イブ」
「軽口を叩けるなら心配ないと判断するわ。ゆっくり、しっかりと歩きなさいねダナン」
完全制御された波動砲は目的地……情報集積場までの道を作り、その間に存在する敵を消滅させた。軽い……呆れたような笑みを浮かべるダナンは小さく「ありがとう、イブ」と話し歩き出した。