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人肉商業

 店先に並ぶ色とりどりの菜類と保存容器に押し込められたピンク色の肉類。点検機器を片手に忙しなく動き回る少女を一瞥した老婆は、ショットガンの弾薬を弾倉に込め、銃身を握り締めると照準を通りへ向ける。


 赤から青に変わる信号機。飢えた貧者が目の色を変えて老婆の店へ走り出すと懐に忍ばせていた錆塗れの拳銃を抜き、少女へ銃口を向ける。引き金に掛けられた骨ばった指が重い撃鉄を下ろし、今直ぐにでも銃弾を発射しようとした瞬間、老婆の目を補う機械眼が真紅の輝きを見せると同時に鋼の指がショットガンのトリガーを引く。


 商業区の一角に轟く銃声と舞い散る血飛沫……貧者の拳銃が暴発し、指を弾き飛ばすと銃身から噴き出る炎を銃弾が突き抜け、眉間を穿つ。煙草を口に咥え、ハンドグリップを前後にスライドさせた老婆は空薬莢を薬室から排出し「サーシャ、気を抜くんじゃないよ。鈍間だね」と煙草に火を着けた。


 「すみません、店長」


 「もっと周りに目を向けな。アンタの不注意で商品に傷がついたらどうするつもりだい? もし少しでも管理を怠ってみな、給料から差し引いてやるからね」


 「はい」


 痛んだ黒髪と生白い肌、ラブ&ピースとプリントされた前掛けを首から下ろす少女サーシャは無表情のまま頭を下げ、警告音を鳴らす点検機器へ視線を向ける。


 「店長」


 「何だい」


 「痛み始めている商品があります。処分しますか?」


 「いんやもう少し様子を見な。客が来なけりゃアタシらで食えばいい」


 「分かりました」


 煙草の紫煙を吐き、灰皿へ先が長くなった灰を落とした老婆はサーシャの動き一つ一つを機械眼で追い、監視するように視線を這わせる。少女の歩き方から顔の向き、商品の管理方法、機械類の扱い方……。防犯ターレットのターゲッティング・システムを点検するサーシャへ杖先を向けた老婆は「弾薬を詰めるのを忘れるんじゃないよ‼」と怒号を飛ばし、煙草を灰皿へ押し付ける。


 下層街商業区に店を構えてから早十年。来る日も来る日も飽きもせず商品を奪おうとする輩を殺し、その死体を商品に変えて商売を続けてきた老婆は今さっき殺した貧者を一瞥すると重い腰を上げ、鈍い痛みに呻きながら肉切り包丁と人体解体用電動鋸へ手を伸ばす。


 「サーシャ、おいで」


 「でも商品の点検が」


 「来な! まったく鈍いガキだね……。人間の解体をした事があるかい?」


 「はい、何度か」


 なら話は早い。機械腕の制御機構と電動鋸の動力を繋いだ老婆は生身の右目に眼帯を被せ、死体の解体を始める。


 肉が刃に刻まれ、鮮血が花柄の前掛けを紅に染める。固い骨が砕かれ、血に濡れた骨片が辺りに散らばる事も構わず貧者の四肢と胴体を切断した老婆は慣れた手つきで生体保存容器へ手足を投げ込み、腰から抜いたナイフで薄い腹を切り開く。


 ぬらぬらと照った臓物とピンクの脂肪。手招きし、サーシャを呼んだ老婆は「一番価値があるのはどの部位か分かるかい?」と問い、「心臓くらいしか分かりません」と答えた少女へ溜息を吐く。


 「路地裏じゃそれで生き延びれたかもしれないけどね、此処は商業区。心臓一つで今日を生きられたとしても、これからの稼ぎを考えなくちゃいけない。分かるね?」


 「……そうですか」


 「そうですかじゃないんだよ馬鹿者め! いいかい⁉ 目ん玉と脳に刻みなサーシャ! 心臓は確かに移植部位として付加価値が高いけどね、肝臓と腎臓も馬鹿に出来んのさ」


 ナイフの先で複数の臓器を指し示し、それを丁寧に切除した老婆は臓器保管用冷蔵庫へ押し込みラッピング処理を施す。


 人体とは金銭が詰まった肉袋だ。売れる場所を知り尽くしていれば、出来たてホヤホヤの死体であれば何にでもクレジットへ変える事が出来る宝の山。特に、商業区の貧者は他の区画の浮浪者と違って、麻薬汚染のリスクも低い。銃を持って襲撃してくる貧者は老婆にとって脅威などでは無く、逆に云えば金が向こうから転がって来る事に等しいのだ。


 老婆の技術と知識を吸収するようにジッと解体の様子を見つめ、小さく頷いたサーシャは地面に置かれた肉切り包丁を手に生体保存容器に入っていた四肢の肉削ぎを始める。少女の仕事を視界の隅に収めた老婆は首の骨を鳴らし、商店に近づく青年と少女の存在に気付く。


 「婆さん、元気か?」


 「ダナンかい、何だアンタまだくたばってなかったのかい? アタシャもうアンタの爺さんみたいにくたばっちまってると思ってたよ。けど……隣の子は初めて見る顔だね、リルスとはもう別れたのかい?」


 頭を振るい、老婆の言葉を受け流したダナンとは対照的に、イブは老婆と解体された死体から僅かに目を逸らす。


 「ちょっとダナン、この人って……婆さんなら、その、貴男の祖母か何か?」


 「そんな筈あるかよ。婆さんは婆さんだ。強いて言うなら……俺を育ててくれた爺さんの友人だな。あぁ婆さん、コイツはイブ。新しい仕事仲間だ」


 「……」


 イブへ値踏みするかのような視線を投げつけ、鼻で笑った老婆は「アンタが誰と組もうが関係無いことさね」一言だけ話し、臓器保管用冷蔵庫を肩に担いで店へ戻る。


 「で、ダナン。何を買いに来たんだい? ゼリーパック? それとも弾薬かフィルターかい? 機械腕の整備機器ならもう売れちまって無いよ」


 「食料品だ」


 「食料? 肉缶詰とゼリーパックしか食わないアンタが? やっと人間らしい生活でも送ろうとしているのかい?」


 「リルスに言われてな。今日、アイツが飯を作ってくれる」


 「……期待したアタシが馬鹿だったよ。今なら新鮮な人肉があるよ」


 「食人は歓楽区の変態共に勧めてくれ。そうだな……食用豚の肉と鶏肉、牛肉を貰おう。それと、野菜を幾つか……」


 ダナンと老婆が商品の売買をする傍ら、イブはサーシャが従事する肉削ぎの仕事を眺める。


 「……」


 「ねぇ、その腕って何かな?」


 「……人間の腕ですけど? 何か?」


 「いえ、別に何も。えっと……それは貴女自身の意志でやってるの?」


 「これが私の仕事ですから。それと、私は貴女じゃなくてサーシャって名前があります」


 「あ、ごめんね? 私の名前はイブ。宜しくね、サーシャちゃん」


 「……」


 黙って肉を削ぎ、人肉を保管容器一杯に溜めたサーシャはイブの横を素通りすると店内の保存容器に流し込む。真っ赤な筋繊維がまるで細麺のようにうねり、透明な硝子越しで今も生きているように蠢いているように感じられた。


 「サーシャちゃん」


 「五月蠅いです。ちゃん付けしないで下さい。貴女と私は同い年のように感じますが?」


 「一応肉体年齢は十八歳なんだけれど……。サーシャは何歳なの?」


 「多分十歳かそこらです。店長に拾われるまであまり年齢を気にしたことは無かったので」


 容器のボタンを押し、筋繊維をミンチにしたサーシャは無感情のままイブの問いに言葉を返し、抽出口から押し出されてきた細切れ肉を団子状に丸めトレーに乗せるとオーブンへ入れる。


 水分が弾け、焦げ目がついた肉団子。惣菜として店先に並ぶ焼き肉団子の材料は人肉が主なのだ。貧者を殺し、肉を削ぎ、ミンチにして安く売れば商業区の労働者は何も考えず……否、材料を知っていても考えないようにクレジットを支払い、空いた腹を満たす。脳さえ食べなければ、可食部位以外の場所を腹に入れなければ、共食いによって引き起こされる病は気にしない。


 淡々と、何の感情を宿す事もなく処理を続けるサーシャを見つめたイブは彼女へ手を伸ばそうとしたが、その手を引っ込める。これが下層街の生き方であり、生存術なら己にそれを変える術は無いと気付いたから。


 人食いは最も忌避すべき禁忌である。イブが抱く価値観と忌避感は正しい感情の揺れ動きだ。しかし、それらが普遍的に、それこそ一般的な習慣に根付いてしまえば、人肉食は文化となって人の深層意識を変えてしまう。個人だけであれば狂人と誹られるが、集団ならば皆を巻き添えにして忌避感を無意識へ変えるのだ。


 「……」


 「イブ、行くぞ。どうした? あの小娘を見つめて」


 「……いいえ、何も。行きましょ」


 大量の買い物袋を手から下げたダナンを一瞥し、サーシャの仕事を眺めていたイブは深い溜息を吐く。


 辺獄というよりも、此処は地獄なのではないのだろうか? そう腹の中で呟き、老婆へ手を振り元来た道を歩き出したイブは厚い鋼鉄板の空を見上げた。



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