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商業区

 緑と蒼で満たされた空中投影機の中、実体を持たない虚像の美女が妖しく微笑みリアルタイムで挿入される広告を提示された金額順で読み上げる。膨大な数の虚偽広告と詐欺情報、僅かばかりの正確な情報……。善悪問わず、プログラム・リソースで構築された仮想の美女は、クレジットを多く支払った者の情報を道行く人々へ伝え、哀れな餌……目に見える情報に騙される弱者が掛かる瞬間を待つ。


 下層街商業区は背の低いビルと多種多様な商品を売る店が立ち並ぶ物欲の区画である。クレジットさえ支払えば養殖物の菜類や狭苦しい舎で育てられた質の悪い食用豚、鶏、牛の肉が手に入り、人肉も売り捌く。


 富める者は肥え太り、貧者は痩せ細ろえ骨と皮が張り付いた死者の様。クレジットを持たない貧乏人は超低賃金で死と隣合わせの仕事を押し付けられ、命を落とした瞬間に解体と解剖処理を受け、商品として店先に並ぶ消費と需要の地獄。それが下層街商業区、死者の羅列と呼ばれる組織が支配する区画の名である。


 見栄えの悪い格好をした通行人と地面ばかり見て歩を進める死人のような者、全身を機械に換装した機械体、身体中に入れ墨を彫った奇人、肥え太った子供を守るように警戒を強める無頼漢構成員……。車両とは名ばかりの完全武装装甲車が大通りを猛スピードで走り抜け、疲れ切った様子の通行人を轢き殺すと運転席の窓が開き「何処を見て歩いてやがる馬鹿野郎‼ 商談に遅れたら責任取れんのか⁉」商人の怒声が飛んだ。


 下層街全体で人命が銃弾よりも軽いなら、商業区ではクレジットは命よりも重い。一分一秒、クレジットだけを考え弱者から金品を巻き上げようとする強者が情報と武力を用いて他者を蹴落とす欲望の底なし沼。区画を照らす青白いネオンと白霧のように視界を埋める偽情報は己だけが生き残る為に用意された蜘蛛の糸であり、偽りの糸を掴んだ他者を再び沼へ落とす為のブラフ群。真実が隠匿され、虚偽が氾濫した電子の空は今日も闇を白露で満たし、虚像の美女を操り手繰る。


 商人の怒声と車のブレーキ音。目眩を覚える程の過密情報。人命を省みない超効率主義者の暴走……。歓楽区とはまた違った混沌の様相に疲労混じりの溜息を吐いたイブは、ダナンのコートを軽く引っ張り足を止める。


 「ダナン、少し待ってくれない?」


 「どうした」


 少女を一瞥した青年は平然とした様子で身に迫る暴走車両を見据え、アサルトライフルを構えるとタイヤを撃ち抜く。


 盛大にタイヤを滑らせ、電柱に激突した車から血を流しながら這い出した機械体の男は興奮した面持ちでダナンに近づき、胸倉を掴み上げると「テメェ何処の兵隊だ⁉ いい度胸してやがる、俺は」叫ぶが逆に腹を撃たれ、その場に蹲った。


 「黙れよ、商売人が」


 「お、俺を殺せば、死者の羅列が黙っちゃいねぇぞ……‼」


 無言で機械腕のハック・ケーブルを伸ばし、男の機械腕の接続ソケットに差し込んだダナンは「そうだな、お前が滞納分のショバ代を払えば連中は黙っちゃいないだろう」と静かに話す。


 「クレジットを支払わない奴に死者の羅列が動くと思ってるのか? 馬鹿を言うなよ商売人。奴らは人に従わない。金品に全てを捧げてるんだよ」


 「ぶ、無頼漢の構成員が」


 「金の切れ目が縁の切れ目。その脅し文句は無意味だ。お前……無頼漢への代金も支払っていないだろう? 別に俺が殺さなくても、奴らがお前を殺すだろう」


 ほら―――と、ダナンが指差した方向から全身機械体の武装構成員が歩み寄り、機械眼を真紅の色に染めていた。


 「イブ、行くぞ」


 「……えぇ」


 助けを呼び、悲鳴をあげる男を取り囲んだ無頼漢は彼が身につける貴重品を巻き上げ、利用価値のある部品を解体する。一切の容赦ない解体作業は瞬く間に終わり、芋虫のように地面を這い蹲る男へ今度は子供と云った弱者が群がり、僅かに残された売買可能な生体部位を抉り取った。


 煙を吹き出し、電柱に突き刺さった車両から血を流す少女が後から這い出し、周囲を見渡すと男―――父親を探す。だが、当の父は既に全身くまなく解体された肉塊へ果てた。小さな悲鳴をあげ、父へ駆け寄ろうとした少女の手を握り占めるは麻薬に脳を冒された男……肉欲の坩堝の構成員。


 「ダナン、あの子は」


 叫び、力の限り男の手を振り払おうとする少女を一瞥したダナンは「放っておけ」とイブを冷たくあしらい歩を進めようとする。


 「でも、明らかに普通じゃないでしょう? 助けなきゃ」


 「必要ない。気になるなら見ていろ」


 少女の父親には多額の借金と未納金の記録があった。借金の担保には娘の身柄と己の機械体構成部品、未納金支払いにも同じ契約を交わした上に金品による補填保証の電子合意契約書。それらの情報を機械腕のハッキングプログラムで知り得ていたダナンは今にも動き出しそうなイブを手で押さえ、己の機械腕と銀翼を繋ぐよう指示し、少女と情報を共有する。


 「……けど、それでも、あの子には何の罪も」


 「罪は無いが、それとこれとは別だ。クレジットを稼げないなら、支払いを済ませられないなら諦める他術は無い。イブ、お前はあの子を助けたいのか?」


 「当たり前じゃない。親の罪を子が背負う必要なんて」


 「ならお前が彼女の父親の借金と未納金を支度するといい。クレジットはあるのか? 返す当ては? もしあの子を助けたとしても、それからどうするつもりだ? 要らぬ善は無責任にも成り得るんだよ」


 それでも……イブが言い淀んだ瞬間、男の頭が破裂し血と脳漿が少女の頭を鮮血で染める。目を白黒とし、事の状況を飲み込んだ少女は甲高い悲鳴をあげ、鋼鉄で全身を覆った無頼漢の男に軽々と抱え上げられる。


 担保とされていた身柄の奪い合い。強者が強者を殺し、弱者を食む地獄絵図。争奪戦の気配を感じ取った店主達は慣れた手つきで防弾シャッターを下ろし、通りを歩いていた人間はおこぼれに預かろうと目をギラつかせる。


 並々ならぬ不穏な気配。緊張の糸が限界にまで張り詰めた死の空気。銀翼を展開し、戦闘態勢を取るイブとは対照的に、何処か余裕な顔をするダナンは少女の手を引き目的の食料雑貨店を目指す。


 「ダナン? ちょっと、危ないんじゃないの?」


 「大丈夫だ」


 「あのね、さっきみたいに治安維持兵が来たら」


 「死者の羅列が何とかするだろうよ」


 「死者の羅列って」


 何のなのよ! イブがダナンの手を掴み、身を乗り出した矢先に身体中に入墨を彫った一人の男が無頼漢と肉欲の坩堝に間に現れた。


 異様……その一言が男の風貌を最もよく表しているだろう。薄い黒衣を排気口から吹き抜ける突風にはためかせ、真っ黒い生身の腕を伸ばした男は一つ指を鳴らすと殺気立っていた雰囲気が和らぐ。


 「アレが死者の羅列だ」


 「……」


 「恐らく調停か身柄の行き先を指示してるんだろうな。此処での争いごと……大規模戦闘に陥る事態は連中が双方の最大利益に配慮して決める。まぁ平たく言えば商業区の大元締めってとこか。だからそう喚く必要は……イブ?」


 黒衣の男―――否、その横。ほんの僅かにずれた場所を食い入るように見つめたイブの視線を辿ったダナンは途切れ途切れの録画映像のような……存在感の欠片も無い、それでいて確かに其処に居る白いワンピースの少女を視界に映す。


 目を機械眼で補っているワケではない。ダナンの双眼に存在する瞳は生体部位だ。だが、何故男の傍に立つ少女はブレて見える。両目を擦り、揉んだ青年はもう一度白い少女を視界に収め、疲れていると頭を振るう。


 「あの子……」


 「知ってるのか?」


 「前に、歓楽街で見たことがあるの。名前は知らないけど、貴男のことも知っている様子だったわよ?」


 「馬鹿を言うな、俺は知らない」


 少女がダナンとイブを見つめ、少しだけ頭を下げて軽く笑い。




 また会いましたね、お客人。




 それだけ話すと男と共に姿を消す。青年と少女は互いに顔を見合わせ、狐に化かされたような、呆けた顔を見せた。


 「……ねぇ」


 「何だ」


 「幽霊って、信じる?」


 「信じない」


 「奇遇ね、私もよ。けど」


 「けども何もあるか。どうせ認識阻害機器の類を使ってるに決まってる。そもそも死者の羅列自体神出鬼没の連中だ。あの娘も組織の構成員か何かの筈」


 「そうなの?」


 「今はそれしか考えられないし、証拠と確証が無い」


 だが、何故あの少女は入墨が……組織員の証である生死の墨が入っていない? 喉に引っ掛かる違和感を飲み込み、歩き出したダナンは食料雑貨店へ向かった。


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