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だから

 短くなった煙草をタイルに押し付け、火種を潰したダナンは罅割れた窓硝子から顔を少しだけ覗かせ、大通りの状況を確認する。


 治安維持兵が無頼漢と肉欲の坩堝の構成員を蹴散らし、狂信者の一団が圧倒的な火力によって殲滅されたようだ。溜まった血溜まりと散らばった肉片を大型武装洗浄車両に任せ、未だ息のある者を塵のように始末している兵士の姿は何処か機械的に感じられ、血の通った人間とは思えない。


 もう少しだけ身を隠していた方がいいだろう。今の装備じゃ兵士に立ち向かったところで、返り討ちが関の山。彼らの持つ兵器は中層街のハイテク装備。己が持つ下層街の武器武装……弾詰まりを引き起こし、暴発の危険性を孕んでいるアサルトライフルでは勝負にすらならない。新しい煙草を口に咥え、火を着けたダナンは薄い紫煙を吐き、隣に座るイブを一瞥する。


 「……」


 顔を膝に埋め、銀の髪をベールのようにして表情を隠すイブは何も話さない。彼女が言葉を話さない限りダナンも口を開かず、ただ煙草の葉を灰に帰すばかり。重い沈黙が場を満たし、宙に舞う煌めく埃を眺めていたダナンは深い溜息を吐く。


 「イブ」


 「……なによ」


 「行く当てとか、あるのか?」


 「在る筈ないじゃない」


 「……そうか」


 一言二言の会話を交わし、また黙る。何処かに身を寄せる場所があるのなら、彼女は下層街から去っていた。ルミナの蟲をダナンに移植することもなく、手を貸す言葉も吐く筈が無い。そもそも下層民は中層街の住民にとって理解し難い虫けらで、悪と堕落に染まった混沌の華。もしも……可能性の話だが、イブが中層街及び上層街の住民なら、先の惨状を目の当たりにして思考停止に陥ったことも説明がつく。


 誰かを踏み台にして、食い殺して、奪い取らなければこの街で生きていくことは不可能だ。誰しもが悪に染まり、果てぬ欲望と罪に濡れている下層街の中ではイブという少女は異端そのもの……眩し過ぎる一等星のような存在だった。美しい流麗なる銀の長髪に、染み一つ無い白い肌。電子に光る七色の瞳。整い過ぎている顔立ち……。そして、なによりも彼女は下層民に存在し得ない心を持っていた。否、精神性と云うべきだろうか。


 それは、己の目的の為に行動し、明日を得ようとするところ。下層街の住人は明日など夢にも思わないし、今日を生きる為に命を燃やしている。ダナンも例外では無く、彼は死にたくないと行動し、生きていたいと話すが何故生きているのかが分からない。本当の生を知り得ず、命の意味すら理解出来ない青年にとって、イブは手が届かない……遠い場所に立っている異質な存在に見えて仕方がなかった。


 何かを信じ、それを求めて行動する人間は己の人生を歩んでいる。使命に殉じ、役割に徹していようとも、その足跡が残した軌跡はきっと何かを変えるのだ。だから―――ただ生きたいと願い、死にたくないと望むダナンにとってイブやリルス、彼を育てた老人は綺麗に見えた。


 届かないから諦めたい。


 生きていくだけなら一人でも十分だ。


 死にたくないから誰かを殺し、殺されない力を見せつける。


 弱く在っては生きられない。強くなければ死んでしまう。


 諦め、踏み止まり、血を凍らせ、引き金に乗せた指先を無感情に引き絞る。悲しんでも、憎んでも、怒っても……現状は変わらない。


 奥歯を噛み締め、煙草を乱暴に押し潰したダナンは「俺は……分からない」と呟き、冷たい機械腕を撫でた。


 「……ダナン」


 「……何だ」


 「貴男、さっき私が泣いているように見えたって言っていたわよね? けど……私には貴男が泣いているように見えるわ。親に置いてかれた子供のように、泣きじゃくってるように見える」


 「俺は泣いていない」


 「泣いてるわよ。ずっと……初めて会った時から、ずっと」


 機械腕で目元を擦り、鋼の指先に付いた皮膚片を目にしたダナンはイブの言葉を鼻で笑う。


 「泣いてないじゃないか」


 「……心が泣いてると言ってるのよ、私は」


 「泣いても意味が無い。涙を流したところで敵の銃口は俺から逸れるのか? 命を奪おうとする連中は身を退いてくれるのか? 在り得ない。それを言うんだったらな、お前の方こそ泣いているように見えたぞ」


 「へぇ、何処が?」


 「俯いてないで顔上げてみろよ」


 「嫌よ」


 だって、今はこうしていたい気分なんだもの。僅かに震えた声でそう云ったイブを見つめ、溜息交じりの笑い声を発したダナンは「そういう事にしておこう」と話す。


 もう一度窓硝子から大通りを覗き、治安維持兵の様子を窺ったダナンはゆっくりと立ち上がり、アサルトライフルを握る。


 兵士の数が少なくなってきた。武装兵器の類いも姿を消し、通りは争い事など無かったかのように静まり返っている。今がチャンスだ、行動を開始しよう。イブと何処からともなく這い出してきた浮浪者を交互に見渡したダナンは銃を構え、手を差し出す。


 「なぁ」


 「……」


 「明日、遺跡に行く。それでだ……手が必要なんだが、手伝ってくれないか?」


 「……住む家が無いわ」


 「俺の家に住めばいい。まぁ……リルスと相部屋になって貰うがな」


 「私を信用していないんでしょう?」


 「……さっきも言っただろう? 泣いている女には……涙を流さず泣いている女には手を貸すって。だから、信じさせてくれよイブ。俺も……信じられるように努力する」


 「……」


 目の周りを赤く腫らし、潤んだ瞳をダナンへ向けたイブは青年の手を握り。


 「後悔しないでね? ダナン」


 跳ねるように立ち上がる。


 「で、これからどうするの? 何か予定でも?」


 「食い物を買いに行く」


 「食べ物? 貴男の家にある缶詰とゼリーパック……いえ、アレは止めておきましょ。だって、すっごく不味いんだもの」


 「あぁリルスもゼリーパックはあまり好まないな。だから、真面マトモな食い物を買いに行くんだよ」


 這い寄る浮浪者の頭を撃ち抜き、へレスで首を断ったダナンは柄を用いて硝子を割ると窓を跳び越えビルの外壁に背を預ける。


 「買い物? 嫌よ、また歓楽区に行くのは」


 「目的地は商業区だ。歓楽区の食い物は基本的に麻薬か媚薬が入れられているからな、脳味噌を穴だらけにしたいならお前だけで食え」


 「御忠告どうも」


 近づいてきた兵士の口を抑え、首を圧し折ったダナンは男が提げていたライフルを取り上げ、弾薬、ゴーグル等の装備を奪うと機械腕のハック・ケーブルを差し込みライセンス認証を書き換える。


 中層街の治安維持兵は確かに脅威的な存在だ。しかし、相手は実験動物や外生物ではない。致命傷を与え、急所を突けば簡単に殺す事が出来る。腕に覚えがあり、兵士が一人でうろついている隙を見逃さなければ装備を奪うことも可能。現に、ダナンは時折機会を見ては兵士の装備を奪い、自宅に予備として溜め込んでいた。


 「ちょっと、他の兵士にバレたら」


 「まぁ見ていろ」


 兵士の死体を後方へ捨てた瞬間、浮浪者と子供が群がり臓器を抜き取り解体する。ゴミ箱に捨てれば回収業者に密告される可能性がある。だが、死体を解体させ、多数を巻き込んでしまえば誰もが口を塞ぎ、兵士の死は闇へ葬られるのだ。


 「行くぞ」


 「……最低よ、貴男」


 「使えるモノは何でも使うべきだ。それが他人の命でもな。イブ、もう分かってきたと思うが、下層街じゃ人の命は銃弾よりも軽い。覚えておけ」


 「酷い街ね、此処は」


 溜息を吐き、肩を竦めたイブは裏路地を駆けるダナンを追い、歓楽区とは違うネオンで満たされた区画へ足を進めた。


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