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狂信者

 下層街の時間を示すものは時計のみ。何故なら、鋼鉄板で覆われた空には人工太陽の明かりも、プロジェクション・マッピングで映し出される星星も存在しないから。


 割れた街頭と切れかけた蛍光灯、薄闇が路に溜まり、仄暗い闇に紛れて蠢くは強者に見つからんように生きる弱者達。襤褸切れ同然のシャツを纏い、道端に転がる死体を解体して臓器を抉り出す様は悪鬼鬼子と云っても差し支え無いだろう。


 地獄の片隅の上澄み、辺獄の街を往くイブは己を舐め回すように見つめる男達を一瞥し、ビルの一室から撃ち放たれたライフル弾を銀翼で弾く。弾かれた弾丸は麻薬を買う男の頭を木っ端微塵に粉砕するとコンクリート壁に突き刺さった。


 これで五発目の弾丸だ。ただ道を歩いているだけで火薬の炸裂音が木霊し、命を奪いにくる環境……これが下層街の治安か。溜息を吐き、額を指で押さえたイブの腰に少年がぶつかり、脱兎の如く走り出すと手に握った銀翼の羽根を振り、高らかに笑う。


 手を離した方がいい。その言葉を吐く前に銀の羽根から流れた高圧電流が少年の皮膚を焼き、肉を溶かすと骨を煤へ変える。文字通り塵屑と化した少年の中から羽根が舞い、イブの銀翼の一部へ帰ると少女はもう一度深い溜め息を吐いた。


 青年……ダナンと歩いている時は己に向かって来る者は誰もいなかった。それもそうだ、害意や敵意、悪意を持って接しようとする輩は皆ダナンの威圧感と警戒心に尻込みし、無理に手を出そうとさえしなかった。それでも可笑しな行動に出た者は彼によって命を奪われていたのだから。


 「……」


 鋼鉄板の空を見上げ、銀翼を羽ばたかせたイブは軽々とビルの屋上へ飛び立ち、美しい白銀の髪を闇に靡かせる。


 弧を描き、電子の粒子を宙に煌めかせた銀髪はまるで星星のようであり、白磁器を思わせる少女の肌は星を映えさせる白雲か。空を踊り、屋上の鉄柵に立ったイブは銀翼の羽根に挟まった煙草を摘み上げ、遠くに見えた電子の海と綺羅びやかなネオンへ向ける。


 己の父はよく煙草を吸っていた。身体に悪いと何度注意しても、申し訳無さそうな顔で煙草に火を着ける父があまり好きではなかった。妹……カナンは煙草の匂いが好きだと語っていたが、己には一寸も理解できなかったのだ。


 何故命を縮める行動をするのか理解できない。知っていて、健康に悪い行為に出るのは非合理的で理性を伴った思考ではない。頭が固いだの、分からず屋だと言われようとイブという少女はどうして人間は本能に従い、時折理性をかなぐり捨てるのか分からずにいた。


 煙草を放り捨て、遺跡へ続くゲートへ視線を移したイブはビルとビルの間を跳び、高速で走り抜けると何処からともなく飛来したロケット弾頭を真っ二つに斬り裂く。


 轟音と爆炎。バランスを崩しながらも空中で体勢を整え、大通りの路面に着地した少女が目にしたのは二機の四足歩行兵器を従えた白装束の群衆。頭まですっぽりと覆い尽くすフードの奥に見え隠れする双眼は細い血管を滾らせ、黒目が異常に収縮しているように見えた。


 「やはり教祖様は嘘を仰っていなかった‼ 白き聖天使は人が作り出した悪の花を打ち払い、我々の前にご降臨なされたのだ‼ 皆の者、我等が救世主の片割れを迎え入れようぞ‼」


 空気を震わせる程の歓声と屑鉄を打ち鳴らすやかましさ。老若男女百人を超える群衆が瞬く間にイブを取り囲み、造語でつくられた聖歌を歌う。


 「……貴方達、何者?」


 「ハハッ! 白き聖天使様、我々は名無しの教祖を敬い、貴女様と救世主を讃える迷い子で御座います……」


 新手の新興宗教か? 四足歩行兵器に刻まれた刻印―――巨大な脳に巻き付いた歯車の蛇を傍目に、同じような刺繍を縫い付けた白装束を纏う男を見据えたイブは銀翼を広げ、翼の一枚を彼の喉元に突きつける。


 「少し退いてくれない? 私は用事が」


 刹那、男は自ら翼を喉に突き刺し血飛沫を舞い散らせた。白装束が鮮血に染まり、ゴボゴボと空気が入り混じった言葉を吐き、感極まった様子で地面に倒れた男は命を落とす。


 「な―――え?」


 「おぉ‼ 白き聖天使が我等が司祭に救済を与えて下さったぞ‼ 聖天子様、私にも救済を‼ 死による解放と魂の救済をお与え下さいませ‼」


 「どけ‼ 俺が先だ‼ 聖天子様、この哀れな迷い子に救済を‼」


 「ちょっと押さないでよ! 私のお腹には赤ちゃんがいるのよ⁉ 聖天使様、赤ん坊と私に救済を‼ お願いします‼」


 濁流のように人々がイブの前に押しかけ、我先にと命を差し出そうと少女へ迫る。ある者は子供を踏みつけ、老人を押しのけて走り出す。またある者は諦めたのか妊婦の頭を拳銃で撃ち抜き「我等が信ずる震え狂う神‼ 救世主、白き聖天使、教祖様に栄光あれ‼」と叫んで自らの蟀谷を撃つ。


 死の雪崩、狂信の使徒、狂気の津波……。銀翼を握り、頸動脈を裂いては鮮血を撒き散らす狂信者の群れはイブを真紅に染め上げ、次々と命を断つ。老いも若いも飲み込んで、熱せられた震え狂う神の信者達は他者の血を浴び、死による救済を少女へ乞い願う。


 群集心理、死生観を変えた信仰は捻じ曲げられた本能を理性的であると誤認させ、己の行動こそが正しいと思い込ませるのだ。理解できぬ狂気は恐怖を生み、恐怖によって停止させられた思考は身体的拘束を促し心身ともに不可視の縄で縛り付ける。現に、イブは狂信者の理解の範囲を超えた行動に身を強張らせ、知らず知らずの内に叫んでいた。


 「止め、いや、誰か――‼ 助け」


 群衆に埋もれかけ、僅かに見えた空に手を伸ばした少女の視界を閃光が覆い、超高音の爆音が鼓膜を貫いた。


 コートをはためかせ、四足歩行兵器の制御システムが位置する装甲にヘレスの刃を突き立てる青年が居た。鮮やかな手口でもう一機の歩行兵器を一時無力化し、機械腕のハック・ケーブルを繋いだ青年はメインシステムから戦闘システムまでをハッキングすると、群衆に向けてアサルトライフルの銃口を向ける。


 「ダナ―――ン?」


 「イブ、耳を塞いで目を閉じろ。銃声が聞こえたと同時に右へ走れ。いいな?」


 混乱と叫喚の中、アサルトライフルの銃口が火を噴き銃弾を放つ。ハッキングされた四足歩行兵器がロケット弾頭を乱射し、狂信者の一団を吹き飛ばす。


 「聖天子様ァ‼ 貴方様による救済こそが至高の死‼ 普遍的な死を私どもに与えないで下さい‼ 聖天子様ァあ‼」


 死ぬなら勝手に死ね。酷く冷めた声色でそう吐き捨てたダナンはハックケーブルを兵器から抜き、機械腕に収納すると路地へ向かったイブを追う。


 爆薬の爆裂音が大通りに響き渡り、騒ぎを聞きつけた無頼漢の構成員と肉欲の坩堝の末端が狂ったように笑いながら現場へ向かう。生き残った狂信者を叩き潰し、斬り殺し、まだ使えそうな者に爆弾付きの首輪を嵌める。


 そして、乱闘と殺戮が最大限にまで高まった時、治安維持兵の操る暴徒鎮圧兵器が鋼の音を響かせ圧倒的な暴力を以て血肉の雨を降らせ、巨大な水たまりを作ると機械的な後始末を済ませた。この間約五分。五分の間、死者は百人を超え、重軽症者含めた数は五百人以上。日常的に殺人が横行する下層街でもこれだけの騒ぎは珍しい。


 咽込むイブを小脇に抱え、喧騒と混沌から逃れたダナンは無人ビルの扉を蹴破り暗い一室に身を隠す。


 「……」


 「……」


 少女を横に座らせ、割れたタイルの上に腰を下ろした青年はコートの内ポケットから真新しい煙草の箱を取り出すとフィルムを剥がし、包装紙を破く。


 「……なんで」


 追ってきたの? そう呟き、顔を伏せたイブは膝を抱え、僅かに声を震わせる。


 「……お前が泣いているように見えたから」


 「私が……?」


 煙草を口に咥え、火を着け息を吸ったダナンは紫煙を吐き出し、小さく頷き。


 「昔、爺さんが言っていた。涙を流さず泣く女には、手を貸してやれってな。だから、手を貸そうと決めた。それだけだ」


 煙草の先に火種を燻らせた。


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