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 錆びたリビングファンの耳障りな音と物理キーボードを叩く心地良い音。部屋にこびりついた煙草の臭いに眉を顰め、薄っすらと瞼を上げたダナンはモニターを覗き込む二人の少女を視界に映し、瞼をまた閉じる。


 懐かしい夢を見た。まだ己が下層街の路地裏で生きていた頃の記憶。血と硝煙の香りが充満する仄暗い映像記録。使い物にならなくなった右腕の代わりに取り付けられた機械腕を額に押し付け、深い溜め息を吐いたダナンはゆっくりと起き上がり、部屋の冷蔵庫へ向かう。


 「ダナン? 身体、大丈夫なの?」


 淡い蛍光色に照らされた冷蔵庫から肉缶詰とゼリーパックを取り出し「あぁ」とリルスへ返事を返したダナンは缶詰の蓋を開け、中身をスプーンで掻っ込むとパックのキャップを捻る。


 強い塩気と合成肉の生臭さ。元々料理用に生産されている肉缶詰をそのまま食べる行為こそおかしいのだが、調理と云ったものと向き合ってこなかった青年は二つ目の缶詰を開け、一気に胃袋へ押し込む。


 今は無性に何かを食べたい気分だった。身体全体がカロリーを欲し、水分と栄養素を求めていた。普段ならば缶詰を一度に二缶も食べないし、完全栄養食である濃縮ゼリーパックで食事を済ませていた。


 ゼリーパックの中身を飲み干し、傷んだ革張りの肘掛け椅子に腰掛けたダナンは煙草を口に咥え火を着ける。


 細い紫煙がリビングファンの羽根に引き裂かれ、散り散りになる。肺の中に煙を溜め込み、一息ついたとばかりに紫煙を吐き出したダナンはモニターを食い入るように見つめるイブへ視線を向け、デスク下に隠していた拳銃を静かに握った。


 「……」


 「……何よ、そこまでジッと見られたら気になるんだけど」


 青白い光を浴びながら、切れ長の七色の瞳がダナンを横目で見据え、腕を組んだイブは来客用のソファーに腰を下ろす。


 「別に。少し聞きたいことある」


 「なに?」


 「お前は上層街の連中……始末屋と何か繋がりがあるのか?」


 「ありえないわ」


 銃の安全装置を外し、引き金に指を掛ける。チキリ―――と撃鉄を半分ほど下げた状態で最後の紫煙を吐き出したダナンは二本目の煙草を口に咥え、ライターのフリントを回す。


 揺らめく炎が火花と共に立ち上り、赤い火種を燻らせる。空気を糧に燃焼する火種はさながらダナンとイブの間にある疑いを端的に表しているようで、煙草の葉が灰に帰す様は時間が溶けるよう。


 「貴男、左手でも煙草を吸うのね」


 「……」


 「その癖、直したほうがいいわよ。機械腕に何を握っているのかしら? あぁ、多分銃か何かね」


 「何故そう言い切れる」


 「灰皿に溜まった吸い殻と今捨てた煙草の長さかしら」


 フィルターギリギリまで吸った吸殻が山となった灰皿を一瞥し、その上に置かれた少し葉が残った煙草。それを見たダナンは舌打ちすると銃が握られた機械腕をイブへ向ける。


 「奴らとどんな関係だ? 正直に吐けよイブ」


 「だから何も関係ないって言ってるでしょう? 証拠はあるの?」


 証拠など在るはずが無い。これはただの直感……事後確認に過ぎないのだ。ダナンとリルスが気を失っている間にイブが裏で何かしらのやり取りを行っている可能性もあるし、本当に関係無い可能性も否めない。青年は確証が欲しかった。信用と信頼に足る何かをイブの口から引き出したかっただけ。


 照準を少女の眉間に定め、銃口を突きつけ撃鉄を弾こうとした瞬間「イブは何も関係ないわ。だから銃を下ろしなさい、ダナン」リルスが口を開いた。


 「……」


 「もし彼女が上層街の関係者、それこそ始末屋の仲間なら私達をこうして生かしておく必要が無いし、中層街の人間ならそもそも下層街になんて興味も示さないでしょう? それに、ルミナを貴男に移植する非合理的な行動も取らない筈よ」


 「俺達を騙す為の工作かもしれん。裏切り、殺す為に行動している可能性もある。そう簡単に信じられるかよ」


 「ダナン、別に彼女を全面的に信じろと言ってるんじゃないの。ただ論理的に判断したらイブの行動は自分自身に対して利益が薄いのよ。私達のような……下層街の基準でモノを考えちゃ駄目なの。分かる?」


 神経を削り、ヒリつくような緊張感。ダナンの機械腕は依然イブへ銃口を向け、少女もまた冷静にダナンを見つめていた。


 「……いいわ」


 「……」


 「別に誰かに助けて貰おうとも思っていないし、無慙無愧の屑を相手にしていても時間の無駄だもの。ルミナは貴男にあげる。リルス、少しの時間だったけど割と楽しかったわ。ありがとう」


 「ちょっとイブ、何処へ向かうつもりなの?」


 「勿論上層よ。まぁ……実績関係なら遺跡で何かしらの遺産を見つけてくればいいし、何とかする」


 ソファーから立ち上がり、何処か儚い笑顔を浮かべたイブは「それじゃ……さよなら」と呟き、玄関扉を開けた。


 「……」


 止める必要もないし、その手を引く意味もない。涙を流そうとも清い一雫を耐え忍ぶ少女を求める心もない。黙り、銃口を向けたまま微動だにしないダナンはイブの姿が視界から消え失せると重い息を吐き、目を擦る。


 「……あの子」


 「……」


 「ずっと貴男の看病をしていたのよ」


 「……で?」


 「一睡もしないで、貴男の状態が安定した時にやっと笑ったの。別に情に訴えるワケじゃないけど……もし貴男のお爺さんがイブを見て、今の貴男を見たら何ていうかしらね」


 「死人に口は無い。それに、アイツがくれたモノは有用な手だ」


 「私はそんな事をいってるんじゃない‼」


 大声を上げ、ダナンの近くに歩み寄ったリルスは彼の胸ぐらを掴み上げ、頬を張る。


 「落ち着けよリルス」


 「……初めて」


 「……」


 「初めて貴男が気持ち悪いと思ったわ。人の心が分からないの? 確かに下層街じゃ優しさや甘さは弱さと見られるけど……それでも、その弱さを受け入れて、強さに変えなければ本当の意味で生きられないのよ⁉ 貴男のお爺さんは……そんなに弱い人だったの? どうなのよダナン‼」


 下層街で弱者が生きるのは困難極まりない。人間的な道徳心は塵屑のように扱われ、不義や悪徳こそが強さの象徴として見られる環境。優しさには裏切りを、甘さには悪逆を。快楽を是とし、人道を非とせねば生きられない。


 だが、それでも……ダナンを拾い、育ててくれた老人は人並みの正義感と不明瞭な強さがあった。下層街では希少な弱者を喰わず、強者を屠り、自力でのみ生きる本当の強さ……生き方が彼にはあった。


 眩いばかりに光り輝く老人に憧れた。自分には絶対に手が届かない強さを振るう意思に惹かれた。しかし、青年は理解しているのだ。己は彼のようになれないと。遠い星へ手を伸ばしても、掴み取れる筈が無いと……分かっていた。


 昔、老人が言っていた言葉がある。誰にでも手を貸すのは馬鹿でも出来る。だが、涙を流さず泣く女には、無言で手を貸してやれ―――と。


 「……イブは、泣いていたのか」


 「……えぇ」


 「そうか」


 アーマーを着用し、コートに袖を通したダナンはデスクの上に転がっていたヘレスを腰に差す。


 「リルス」


 「……何よ」


 「留守番を頼む」


 「……帰り」


 「何だ?」


 「帰り、何か食材でも買ってきなさいよ。久しぶりに……何かご飯を作ってあげる」


 「……あぁ」


 ガンホルスターにアサルトライフル、大口径リボルバーを吊ったダナンは心臓に蠢くルミナの鼓動を感じ、部屋の扉を開けると雑多な人混みへ駆け出した。



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