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銃弾と少年

 下層街の人間が殺人を犯す確率は九割を超え、その内十歳に満たない子供が拳銃を握り、他人の命を奪う割合は八割を裕に超える。少年少女が銃の引き金を引き、撃鉄を弾く理由は様々ではあるが、最も多いモノは「殺さなきゃ、殺された」それが開口一番に飛び出す言葉だった。


 誰かを守りたいから引き金を引く、大切な人の危機が迫ったから撃鉄を弾く、拙い誇りや矮小な自尊心を貶されたから弾丸を撃つ……。そんな理由で銃を撃ち、他人の命を奪う者は下層街では長く生きられない。無法と暴力が跋扈し、弱者を食らう強者だけが生き残る弱肉強食の理が癌細胞の如く蔓延する地では一瞬の隙が弱さと見られ、骨の髄までしゃぶり尽くされるのだ。


 強者の牙は相手が子供であろうと容赦はしない。彼等にとって子供とは庇護の対象ではなく、狩りの獲物である。何の力も持たず、毒素や麻薬に染まっていない肉体は万金の価値があり、上手く処理する事が出来れば更なる利益を生む金の鵞鳥に他ならない。


 子供が銃を握り、他人の命を奪う事は下層街での生存術にして自己防衛。誰一人としてその凶行に疑問を抱かないし、当たり前だと受け入れる異常。路地裏の……仄暗い闇の中で銃口から火を吹かせ、見知らぬ男の命を奪った少年は錆びた万能工具を取り出し、死体から機械義肢を取り外す。


 見すぼらしく、汚らしい。痩せた頬と疲労が滲む目元のクマ。夢も希望も無いと訴えるドス黒い瞳。悪臭を漂わせ、褐色の肌に垢と乾いた血を張り付かせた少年はコードが刻まれた外部装甲を手際よく外し、死体を一瞥すると念の為に眉間へもう一発銃弾を撃ち込む。


 生温い血が少年の頬を伝い、ピンク色の脳漿がコンクリート壁に点描画の如く飛び散った。空薬莢が薄い硝煙を纏い、弧線を描いて宙を舞う。


 生きていたいと思っていなければ、死にたくもなかった。生き続ける限り苦痛は形の無い病魔のように骨髄を汚し、死にたくないという願望は呪詛のように五臓六腑を駆け巡る。矛盾した欲望と願望、何故こんなにも性汚く足掻くのか……。


 狂ってしまえば楽になれた。理性をかなぐり捨て、本能のままに生きたほうが断然楽だ。他の子供のように麻薬に手を染め、暴力に身を任せれば精神的苦痛を感じずに生きられた。誰も信じず、疑い続け、敵と見做して引き金を引く。生きることは誰かから何かを奪い、奪われること。少年はそれを疑いもしない。


 機械義肢の基盤を引っこ抜き、回路を外す。淡々と、粛々と手を動かしていた少年の耳に機械の唸りが木霊した。


 「で、だ。本当にここであってんのか?」


 「通信じゃそう言ってたけどよ、まぁた面倒な事に巻き込まれてるんじゃないのか? アイツ」


 「んなこたぁどうでもいい。俺たちゃボスに言われたブツさえ手に入れればそれで構わねぇ」


 三人分の話し声……。身の危険を感じ、ゴミ箱の中へ身を隠した少年は膝を抱え蹲る。


 機械義肢を着けた大人だ。軋む鋼と機械の駆動音。身体を震わせ、拳銃を御守り代わりに抱き締めた少年は瞼を閉じ、必要最低限の呼吸を繰り返す。


 「おい、アレ」


 「……近くにアイツを殺った奴が居るはずだ。探せ‼」


 ゴミ箱が震える程の銃撃音と周囲の建物が崩れる音。機械義肢を纏った大人たちは銃を滅茶苦茶に乱射し、隠れていた浮浪者達を八つ裂きにすると叫喚と嬌声に濡れる。


 死にたくない。まだ、生きていたい……。人を殺し続け、略奪行為を働いてきた己がこんな願いを託すのは間違っているのかもしれない。だが、奪わなければ、殺さなければ、死んでいたのは自分自身。因果応報という言葉があり、自業自得の業を抱えようと、少年は生きたいと願う。奥歯をカチカチと震わせながら。


 「―――ッ⁉」


 腹部に激痛を感じ、触れてみる。温かい鮮血が弾丸によって抉られた銃傷から溢れ出す。


 堪らず叫び、顔面蒼白でゴミ箱から飛び出した少年の眼に映った光景は、憎悪と憤怒を湛えた全身機械体の男三人組。口を液状冷却マスクで覆った無頼漢構成員の男は少年の頭を掴み、宙吊りにすると「おい、アイツを殺ったのはお前か?」眉間に穴が空いた死体を指さした。


 「ち、ちが」


 傷口を鋼の指で弄られ、激痛に叫んだ少年は過呼吸のような息を吐き、男の鈍色の機械眼を見つめる。


 「もう一度聞くけどよぉ……アイツを殺ったのはお前か?」


 「や、やめて、お願いします‼ た、たすけ」


 右腕が鈍い音と共に握り砕かれ、流れ出た骨肉と血が灰色のアスファルトを真紅に染めた。


 「なぁコイツ、肉欲の坩堝の連中に売るか?」


 「バァカ、ガキは飼った方が金になるんだよ。これは調教だ。何だ? お前は犬を躾したことがねぇのか?」


 「下層街の野良犬なんざ相手にするかよ」


 朦朧とする視界と馬鹿笑いする男達の声。ピクリとも動かなくなった右腕から拳銃が滑り落ち、軽い金属音を響かせながら血溜まりに沈む。


 命乞いや助けを呼んでも無駄だと分かりきっていた。下層街で誰かを助ける優しさを持つ者は弱者と位置づけられ、全てを奪われ殺される。現に、命を奪われかけている少年を助けようとする者は誰も居らず、遠巻きでこの惨状を眺めているだけ。


 「まぁどうでもいいか。おいガキ、選ばせてやる。俺たちゃ優しいからなぁ……無頼漢の兵隊になれ。それが嫌なら此処で死ね。どっちがいいんだ? えぇ?」


 「……」


 親の顔も知らず、名前も無い。何故産まれてきたのか分からない。この身にあるのは死にたくないという欲望と、生きていたいという願望のみ。情けないといった感情も、恥を知らぬ心も、弱者には不要。下層街では無慙無愧こそ至高と断じようか。


 「おいおい、大の男が寄って集って子供を傷つけるたぁ太え野郎じゃねェか。お前さん達には恥ってもんがねぇのか? ん?」


 全てを諦め、差し出そうとしていた少年の眼に一人の老人が映る。


 古ぼけたカウボーイハットと弾痕が残る灰色のコート。軍用ブーツの靴底が地面に溜まった汚水を弾き、機械眼に蒼い光を宿した老人は懐から大口径リボルバーを抜くと一切の警告も無しに全身機械体フルメタルの一人の眉間を正確に撃ち抜いた。


 「テメェ何者だ‼ 俺達を誰だと」


 「時代遅れのカウボーイさ」


 二発―――連続した射撃音が響き渡り、残りの男を始末した老人は瀕死の少年に近寄るとウエストポーチから一本のアンプルを取り出し、注射器のシリンジ内に中身を移すと針を上へ向け、ブランジャーを親指で押す。


 「小僧」


 「……」


 「一つ聞く。生きたいか? 死にたいか? どっちだ」


 鋼鉄板の空と老人を交互に見据え、小さく……注意深く耳を傾けなければ聞こえない声で「生きたい……」と呟いた少年へ、老人は傷だらけの顔に笑顔を浮かべ。


 「上等だ。いいか? これは取引だ。俺がお前の命を助ける代わりに、お前は俺の仕事を手伝え。まぁ端的に言えば雇用契約だな。小僧、名前は?」


 注射針を少年の首筋へ刺し、液体を注射した老人は少年へ名前を問うが、下層街……それも路地裏に住む彼の状況を察したのか口を噤む。


 「いや悪いな、別に悪気があったワケじゃぁない。あぁそうだな……ダナン。お前にダナンって名前をくれてやる。悪い名前じゃないだろ?」


 「……」


 「薬は直ぐに効くだろう。安心しろ、これは麻薬じゃないし、もっと良いモノだ。遺跡の遺産……貴重なんだぞ? 感謝しろよダナン」


 瞼が重くなり、眠りに落ちようとする少年……ダナンを背負った老人はコートに血が付くことも構わずに笑う。


 煙草の臭いと硝煙の香りが染み付いた厚い背中。耳元で唸る機械義肢の音色を子守唄代わりにダナンは眠りに落ち。


 「眠れダナン。明日からは全く違う生活になるんだからな、忙しくなるぞ?」


 路地裏に充満する血と黴の臭いに別れを告げた。


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