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撤退

 床が抜け、瓦礫片と割れたガラスが散らばる廃ビル内。遠く離れた歓楽区のネオンがイブの横顔を照らす。


 パキリ―――と、少女の裸足が床に飛び散ったガラス片を踏み抜き血を零す。だが、彼女はそんな事もお構いなしに歩を進め、視界に映る生体反応を辿る。


 薄い呼吸と凶刃が鞘から抜かれる金属音……。常人には感知できず、聞こえない微かな音を聞き取ったイブは即座に戦闘態勢を整え、崩れた足場から飛び降りてきた黒影へ鋭い蹴りを放つ。


 鋼と鋼がかち合い、火花が炸裂した。刃を寸でのところで斜めに逸らし、鋼鉄をも砕くイブの蹴りをいなした黒影……始末屋は衝撃を利用して身を回すと少女の腕を覆った白銀の刃を斬り防ぐ。


 一撃打ち据えれば刀身が歪み、罅が奔る。


 二撃防げば完全に刃が砕かれ、イブの白銀が始末屋に迫り。


 三撃目には始末屋は胸を貫かれ、地に伏せた。


 他愛もない。強化外骨格パワー・アーマーを失ってしまえば上層の始末屋もこの程度か。顔色一つ変えず、始末屋の死体に近寄ったイブは彼の身体を触れると同時に、敵の生体反応が未だ消えていない事に気づく。


 何者だ? 敵の生体反応は一つだった筈。生体融合金属で作り出した白銀の刃は確かに始末屋の胸を貫き、心臓を突き破った。ならば、もう一つの反応は一体……。不意に冷たい凶刃がイブの首筋に当てられ、痛み一つ無く動脈を斬り裂くと鮮血が噴き出し、灰と煤に塗れたコンクリート壁を真紅に濡らす。


 「身代わりだよ、白の君……その姉君よ」


 「ッ‼」


 イブの刃が空を切り、闇を断つ。美しい銀の軌跡が影のように揺らめく始末屋を捉えようと振るわれるが、男は実体の無い幽鬼の如く少女の剣戟を躱し、その白い肌と肉を削ぐ。


 「貴女を殺し得ないことは理解しているのだ、片割れの聖天使よ。先ずは話を聞いてほしい。大人しく、借りてきた猫のように、私の話を……妹君の伝言を耳にせよ」


 黙れ。底冷えするようなイブの声。幾重にも刻まれた傷がルミナによって塞がれ、少女の氷塊のような激情に呼応した蟲は彼女の肉体を細胞単位で強化する。


 「……私とてあの御方の肉親を刻みたくはない。だが、貴女が其処まで抵抗し、黒蛇の為に刃を振るうならば私にも考えがある」


 憤怒に思考を奪われつつも、始末屋が懐から取り出したデリンジャーに込めた弾丸……闇より黒い、光を飲み込もうとする弾頭を目にしたイブは咄嗟に身を翻し、男と距離を取る。


 「ALB……!!」


 「コレを知っているとは流石あの方の肉親だ。えぇそうですとも、この弾丸はもしもの時……それこそ貴女が私の言葉を聞こうとしない場合を考えてカナン様が託して下さった聖弾。コレの危険性は貴女が一番理解している筈だ」


 アンチ・ルミナ・バレット略してALB。細胞融合型万能ナノマシンであるルミナの活動を強制的に停止させ、超人と化した存在をもただの人へ帰す弾丸を睨んだイブは、朽ちかけた柱の影に飛び込み歯を食い縛る。


 ALBを撃ち込まれるのだけは避けなければならない。万が一にも避けきれず、防御した瞬間に少女の身体は機能不全に陥り最悪の結果……使命の終わりと計画の頓挫を招く可能性がある。身を守る身体装着型兵装の銀翼はダナンの戦闘を支援している真っ最中。此処で銀翼を呼び戻し、防御の為に使用するとなれば、その行動はダナンの死を意味するのだ。


 苛烈極まる戦闘音を鼓膜に響かせ、武装を解除したイブは地面を爪先で叩くと両手を上げて柱の影から始末屋の前に現れ「それで、カナンは何て? さっさと話して頂戴」と冷めた口調で話す。


 「片翼の聖天使よ、カナン様はこう仰りました。使命に固執し、計画を進めるのは止めろ。この世界には希望など一片の存在しない。塔こそが人の最終生存圏であり、楽園なのだと……ご理解頂けただろうか」


 「理解したかですって? 馬鹿を言わないで。使命に殉じれず、計画を担う手を放棄した愚妹の言うことなんて聞く価値があると思う?」


 「しかし、カナン様は既に新たな計画に身を捧げる我等が救世主。あの御方の選択こそが塔の人間を生かし、楽園へ至らせる。聖天使よ、黒蛇に誑かされているならば私が奴を滅殺致しましょう。強化外骨格……枷と棺を失った私ならば可能。奴が貴女のルミナを奪い、利用しているのは看過出来ませ」


 残り十秒……。頭の中の時計を回し、コード・オニムスの持続時間を逆算したイブは始末屋の背後、ビルの下で繰り広げられるダナンとダモクレスの激闘を視界の端に収め。


 「黙ってくれない? カナンが何に絶望して、希望を見失ったのか知り得ない。けどね、あの子が計画と使命を捨てたなら、私は愚妹を殺さなきゃならない。それに……この塔は楽園には至らない。最後に待っているのは死が詰まった棺桶よ」


 地面を蹴り崩すと始末屋と共に真下へ落ちる。


 「無駄な足掻きを……。無理矢理にでも連れて行くしかあるまい」


 半分以上破壊され、罅が奔ったビルの地面は思った以上に脆かった。事前に爪先で強度を計測し、耐久以上の力で踏み抜いた故にビル全体が崩れ、瓦礫が雪崩の如く降り注ぐ。


 デリンジャーの銃口がブレ、瓦礫の隙間に見え隠れするイブへ照準を合わせようと始末屋は両手でグリップを握る。だが、落下中……それも瓦礫片を避けながらALBを撃ち込み、生け捕りにするのは至難の業。


 「どうしたの? あぁ、貴男は普通の人間なのかしら? 残念、このまま落ちれば死んでしまうのよね? さようなら、カナンの犬」


 余裕の笑みと落下後の激痛をも恐れない豪胆さ。黒いボディアーマーに身を包み、顔を黒装束で覆った始末屋を嘲笑したイブは次の瞬間、息を飲む。


 落下する瓦礫を蹴り飛び、アーマーに付属する円筒状の得物から刃を伸ばした始末屋は洗練された剣技を以て少女の周りに存在する瓦礫を斬り飛ばし、デリンジャーの銃口を向ける。


 「芸が出来ない犬とは駄犬。私はカナン様の忠実な猟犬にして上層の始末屋。聖天使よ、貴女の身柄は私が」


 「……まるで昔カナンと父さんで見た忍者映画みたいね。けど、一歩……いえ、五歩程遅かったわ」


 銀の閃光が発射された弾丸を阻み、少女の背に取り付いた。


 五枚の銀翼……ダナンの戦闘支援を終え、イブの背に収まった銀翼は少女を空高く舞い上がらせ、白雪のような粒子を纏わせる。


 「話し合おうとせずにALBを撃ち込むべきだった。いい? 次は無いだろうけど、もし私を生け捕りにしたいなら最初から殺そうとするべきよ」


 「……そうか、ならば次はそうしよう。ご教授感謝する、聖天使よ」


 さようなら。その一言が発せられると同時に、銀翼がイブの思考を読み取り縦横無尽に中を舞う。一枚一枚が目にも止まらぬ速さで始末屋を貫こうと追い立て、骨と肉を断つべく襲い掛かる。しかし、彼もまた翼を防ぎ、打ち返し、刃が折れたら次の円筒を手にして迎撃する。


 何らかの身体改造か遺伝子操作を受けた存在か? ただの人間が目視不可能な銀翼を再生剣で防げる筈が無い。落ちる瓦礫を足場にして空中を飛び回れる筈が無い。七色の瞳が始末屋の肉体をスキャンし、その結果を視界に映したイブは戦慄する。


 機械技師の取り付けや身体改造、遺伝子操作施術等の痕跡が一切見当たらない綺麗な身体。始末屋と呼ばれる男は生身のままで驚異的な戦闘技術を振るっていた。


 「では、次こそは私の仕事を完璧に成し遂げよう。さらばだ、聖天使」


 「待ちなさ」


 腰から抜き取ったチャフグレネードの粉塵がイブの視界を遮り、銀翼の機能を一時的に低下させる。周囲を見渡し、始末屋の影を追う少女の耳元で「黒蛇は、必ず殺す」その言葉を最後に、男は生体反応を消す。


 「……」


 空中で、歓楽区のネオンを浴びた少女は鉄鋼板の空を一瞥する。


 上にカナンが居る。妹を殺し、彼女が持つコードと機能を奪う。それが計画の為……使命を完遂する為の方法なら、やるべきだ。


 小さく頷き、死んだように眠るダナンを銀翼で包んだ少女は崩壊した廃ビル群を後にした。


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