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真意、思索

 「……」


 差し伸べられたイブの手を見据え、微笑を湛えたリルスは自信に満ちた少女を鼻で笑い。


 「ダナンが死ぬ? 当たり前でしょう? 彼を誰だと思っているの? 遺跡発掘者……辺獄から地獄へ自らの足で堕ち、命を削って金を稼ぐ大馬鹿者……。それがダナンという男よ? 死なない人間なんて存在しない。人は死んで当たり前なのよ」


 青年が脱ぎ捨てたコートのポケットから煙草の箱を取り出し、煙草を一本口に咥え、傷だらけのジッポライターで火を点ける。


 細い紫煙が宙に舞い、目に染みる。少女は涙が溜まった瞼を擦り、煙を吐くと舌先を刺激する辛味に顔を顰め、マグカップに満たされた泥沼のようなコーヒーを一口啜る。


 「イブ、貴女の口ぶりから察するにダナンの命はルミナの蟲によって繋ぎ止められ、貴女の意志一つで彼は死ぬ。それで間違いない?」


 「……えぇ、そうよ」


 「なら今直ぐにでも殺しなさい」


 「……へぇ」


 「殺せばいいじゃない。ルミナの蟲ってのを止めて、ダナンの命を奪いなさいよ。別に構わないんでしょ? 待っててあげるから、ほら早く」


 マグカップの縁を爪で叩き、愉快極まる微笑みを浮かべたリルスの言葉からは嘘や偽りは感じない。少女は十年来の相棒の命をイブに奪うよう促し、再びキーボードを叩き始めた。


 「……ダナンが惜しくないの?」


 「惜しいか惜しくないかと問われれば、当然惜しいと思うわね。けど、先に彼の命を交渉の場に持ち出したのは貴女の方。軽いんでしょう? 手離しても痛くないから手札として切り捨てるんでしょう? いいわ、殺しても。貴女がダナンを殺してくれたら、私の弱みが一つ減るのだからね」


 霜が張った硝子に亀裂が奔るように……。二人の間に漂う空気が凍り付き、殺伐とした雰囲気を醸し出す。


 此処でルミナの蟲とダナンの命を交渉のテーブルに出した事が間違いだった。理性的で理知的な話し方をするリルスもまた下層街に生きる住人の一人なのだ。ダナンが散々話していたように、彼女もまた他者を利用し、弱さと断じた瞬間切り捨てる無情の持ち主。


 見えない汗を掻き、唇の端を舌先で舐めたイブは妖艶な笑みを崩さぬまま足を組み、知略を張り巡らす。


 一度ルミナの活動を停止させ、リルスの動揺を炙り出すべきか。否、それをやってしまえばダナンとの協力関係に致命的な亀裂を生む。


 脅迫が一番手っ取り早い。己の銀翼を彼女の首元に突き付け、皮一枚斬り裂けばその勢いで要求を飲ませることが出来る。だが、その後はどうするつもりだ? リルスがダナンに相談しないなんて在り得るのだろうか? 答えは否、彼女の協力無しでは計画に遅れを生じさせる。


 「イブ、貴女」


 「何よ」


 「さては、交渉事が大の苦手ね?」


 「はぁ? そんなワケ」


 「分かるわよそれくらい。褒めてあげる、点数は百点満点中三十点。ギリギリ赤点回避ってところかしら」


 ケラケラと笑い、吸いかけの煙草を灰皿へ押し付けたリルスは年相応の可愛らしい笑みを浮かべ、膝を掌で叩く。


 「ダナンよりは数倍マシよ貴女。アイツってば毎回毎回他の遺跡発掘者を殺すし、無頼漢の構成員に絡まれれば無言で銃を撃つのよ? 交渉とか話し合いって概念を知らない馬鹿なのよアイツは」


 「……ダナンより、マシ?」


 「そ、もしもダナンと私が初対面で、こんな面倒な腹の探り合いをしていたらアイツは間違い無く銃を抜くわ。それで胸倉を掴み上げて、銃口を押し付けこう言うの……死ぬか話すかどっちかにしろってね」


 遺跡でのダナンの行動と歓楽区での様子を思い出したイブは、躊躇なく引き金を引く青年の姿を脳裏に映し、思わず苦笑する。


 だが、彼よりはマシだという棘に反応したイブは人を試すような真似をする少女を睨み、胸に溜まった違和感を溜息と共に吐き出した。


 「……どんなところで減点されたか御教授して頂いても? リルス先生」


 「嫌味のつもり? 先ず一つ、手札を切る順番が出鱈目なのよ」


 「どういう意味?」


 「言葉通りの意味。先ず此処は下層街で、私も下層で生きる住人の一人。この情報を知っていたのなら、他人の命を交渉のテーブルに出すことは無駄な一手よね。もし私が三組織の一員だったら、貴女は逆に脅迫されていたところよ? 他人の命を価値あるモノとして見る弱者だと」


 「……」


 「そして二つ目。手段の選択に時間を取られ過ぎよ。欲しいモノが何なのか、得たいモノが何なのか、それを自分自身が知っているのなら相手に思考の時間を与えない。時折関係の無い話に逸れつつ、不意を突いた一手を用意しておいた方がいいわね」


 椅子に掛けていた白衣に袖を通し「もういいわよ、ダナン」と話したリルスは、モニターと向かい合い、シャワーを浴びていたダナンを呼ぶ。


 「もういいのか?」


 「えぇ」


 「そうか。なら情報を」


 「その前に」


 「何だ」


 「服を着てくれる? 貴男の裸体なんて見たくないのだけれど」


 リルスの言葉につられ、背後を振り向いたイブの眼に映ったモノは鍛え抜かれた鋼の肉体と、傷だらけの褐色肌。衣服やアーマーを一切纏わずに機械腕からブレードを展開していたダナンは目を白黒とさせる少女を一瞥し、溜息を吐く。


 「何だ、そんなに男の身体が珍しいのか? 安心しろ、そのうち慣れる」


 「―――ま、まぁね」


 「ところでリルス、イブは……此奴は信用出来るのか? 出来ないのか? どっちだ」


 「半信半疑。まぁ……悪人じゃないと思うけど、善人とも言い辛いわね」


 「根拠は?」


 「女の勘。それだけじゃ不服?」


 「……まぁいい。それにしてもイブ、何時まで固まっているつもりだ? そもそも裸体なんぞ歓楽区でも見ていたじゃないか。変だぞ、お前」


 「何も変なところは無いわよ? でも、そうね……服を着た方がいいわよ。絶対」


 「……そうか。だが待て。そういえばリルス、俺が遺跡に行く前に寂しいとか言っていたよな?」


 「えぇ言っていたわね」


 「今からでもどうだ?」


 リルスの背が真っ直ぐに伸び、耳元が真っ赤に染まる。


 「イブが居ても、いいだろ? お前は綺麗だよリルス。その髪も、肌も、下層街の誰よりも美しい。今ならそうだな……リルスは電子の海に輝く星々よりも、美麗だと称えることが出来る」


 「ちょ、ちょっとダナン、少し待ってよ。その、準備がまだ」


 青年の手が少女の髪を梳き、その細い首筋を撫でると彼女は熱い息を吐き、下唇を噛む。


 「ダ、ダナン! リルス! あの、そういうのは、人が居ないところで!」


 「この瞬間、この時間、お前は何時も輝いて見えていた。ずっと……触れたいと思っていた。なぁリルス……お前はどうなんだ? 俺が……欲しくないのか?」


 「ダナン、わ、私は」


 意を決したように振り返り、ダナンの顔を視界に映したリルスの額に機械腕の指……鋼のデコピンが炸裂し、痛みと熱さに呻く少女を青年は冷ややかな眼で見つめ。


 「この前の意趣返しだ。これに懲りたらあんな馬鹿みたいな真似をするなよ、リルス」


 下着とアーマーを着込み、コート掛けに吊るしていた予備のコートに袖を通す。


 「そんな事だと思ってたわよ‼ 痛いわこの馬鹿‼ 薄幸天才美少女の純情をよくも弄んでくれたわね‼」


 「あのな、先に喧嘩を売ってきたのはお前の方だぞリルス。それに、こんなものは喧嘩の内にも入らん」


 「こ、この阿呆‼ おたんこなす‼ むっつりドスケベ‼」


 「おいおいリルス、そんな口汚く人を罵るなよ。いや、そもそも自分の事を薄幸美少女なんて言うか? お前は俺からして見たら、健康インテリ美少女だぞ?」


 「うっさいこの変態‼」


 音も無く立ち上がり、完全に油断していた青年の股間を蹴り上げたリルスと、急所を的確に蹴り抜かれたダナン。無様に倒れ、己よりも小さい体躯の少女に足蹴にされる屈強な青年は、痛みに呻き「やりやがったな……‼ このガキ……‼」と苦し紛れに叫ぶ。


 「……」


 二人の様子を眺め、知らず知らずの内に素直な笑顔を浮かべていたイブは、モニターへ視線を映し、画面に映った蒼穹を見つめた。

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