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少女、二人

 『遺跡の毒素から身を守る為には何が必要かって⁉ 答えは決まっておりましょう‼ ありとあらゆる毒物を浄化する奇跡の一錠、オールクリアを貴方に勧めます‼ 我々イチジョウ製薬は何時も遺跡発掘者の隣に‼』


 『下層街には安全な場所などありません‼ 銃口と凶刃は何時も貴方の命を狙っています‼ 明日が不安、家族の今後が心配と悩む貴方に我々生体保険は寄り添います‼ ご契約相談窓口は商業区―――』


 エレベーターに流れる虚偽広告と詐欺情報を眺め、壁に背を預けたダナンは熱心にモニターを見つめるイブを一瞥する。


 「ダナン」


 「何だ」


 「貴男も生命保険に入ったらどう? 遺跡発掘者なんだし」


 「……無駄だ」


 「あら、理由を聞かせて貰っても?」


 「下層街の映像広告を鵜呑みにするな。それらは全部嘘に塗れた情報だ。字幕をよく読んでみろ、広告とは全く違う契約と効能が書かれているだろう?」


 同じ内容を繰り返すモニターを眺め、笑みを浮かべたイブは「本当ね、よく見てみると映像内容も巧妙に偽装されてるわ」と肩を震わせた。


 「でもこんな映像を流してお客さんが来るものなの?」


 「来るから流れている。需要と供給は何時も正しいとは限らないが、駄目になったらまた別の広告が流れるだけ。そもそも下層民の識字率は二割にも満たない。だからこういった商売が成り立つんだ」


 「そうなの? 歓楽区には電光看板が沢山あったわよね? 字が読めないなら、そんなもの必要無いとおもうのだけれど」


 「機械眼の翻訳機能と角膜移植型の投影技術を使っている奴が大半だ。死者の羅列が作り出す詐欺詐称情報は、機械さえ騙すことが出来る一級品。裏の面倒事は大体奴等が関わっていると思え」


 「ふぅん」


 エレベーターの扉が開かれ、幾つものモニターやディスプレイが壁に掛けられた部屋に足を踏み入れた二人は椅子に座るリルスへ視線を向ける。


 「お帰りなさいダナン。どう? 仕事の成果は」


 「データは回収した。だが、酷い目にあった」


 「酷い目に? それは其処の女の子……イブも関係しているの?」


 「そうだな」


 イブに対しては無愛想を貫き通していたダナンが幾分か柔らかい物腰となり、空いている椅子を見つけて腰を下ろすと疲労混じりの溜息を吐く。


 「ちょっと、先にデータの受け渡しとシャワーを浴びて来て頂戴。椅子が臭くなるでしょう?」


 「……少し眠ってからじゃ駄目か?」


 「駄目よ。此処は私の家で、貴男の部屋じゃない。家主には従って貰うわ」


 「……分かった。だがリルス」


 「何よ」


 「身の危険を感じたら直ぐに俺を呼べ。いいな?」


 「分かったわよ。さっさとシャワーを浴びてきて。臭いわよ」


 頭を振り、襤褸同然のコートを脱いだダナンはシャワー室へ向かい脱衣所の扉を閉める。その場に残されたイブは、興味深いと云った様子の面持ちでモニターに映る情報を読み解き、瞬時に理解すると気怠げなリルスを見つめる。


 「リルスさん、この情報データの解析は全て貴女が?」


 「あぁ敬語は要らないわ。言語的な壁ってのは相互理解の隔壁を生むからね。私も何時も通りの感じで話すから、貴女もダナンに話し掛ける風に喋って頂戴」


 「……えぇ、ならそうするわ。リルス、もう一度聞くけどこのモニター群に映る解析結果は貴女一人でやったの?」


 「当たり前じゃない。ダナンが出来る筈がないでしょう? 戦闘と探索は一流だけど、情報の取り扱いに関しては二流なのよね、あの人は。イブ、貴女もそう思わない?」


 どう答えるのが正解なのだろうか。逡巡するイブを尻目にリルスは膝に顎を付け、妖しい笑みを浮かべると片手でキーボードを叩き、歓楽区から廃ビル群までの映像を表示する。


 「そうね。戦闘も一流とは言えないんじゃないかしら? 精々二流……多く見積もっても大勢が彼に銃を向けたら詰みは確実ね」


 「中々言うじゃない。まぁ、下層で彼の命を狙おうとする輩は頭まで麻薬に浸かった連中か、どうしようもなくなった本当の最底辺、無頼漢の構成員くらいでしょうけれどね。まぁいいわ、イブ単刀直入に聞くけど貴女……上へ行きたいの?」


 「……」


 「貴女が寄越した電子証明書と認証コードは確かに本物よ。まさか上層街へ行くことが出来る人間が下層街にいるなんてね……。ハッキリ言って驚いたわ」


 けど……。キーボードが高速で叩かれ、ハッキングとクラッキングを繰り返すとエラーが表示される。


 「先ず貴女が持っているのは上層街への認識票だけ。中層街の認証コードを持っていなきゃ話にならないのよ」


 「中層街へはどうやって」


 「信頼と実績」


 「……」


 「下層街での非合法行為は罪と見做されないけれど、中層街では罪と成り得るの。考えてもみなさいな、暴力と欲望に染まった狼を牙無き羊の群れに放り込めば、想像できることでしょう? だから、中層街の統治者が認めた人しか上へ行くことが出来ないのよ」


 信頼がなければ、信用は無し。実績も無ければ、能力の照明は難しい。下層街から中層街へ上れた人間は数える程度しかおらず、逆に墜ちてくる人間は重罪を犯した罪人か好き好んで自ら堕ちる狂人のみ。


 ダナンが座っていた椅子に腰かけ、腕を組んだイブは微妙な焦燥感を露わにし、白く細長い指で二の腕を叩くと溜息を吐いた。


 「……データの改竄は可能なの?」


 「無理ではないけれど、一気には無理ね」


 「時間が無いの」


 「へぇ、それは私には関係の無いことよ」


 「死にたいの?」


 「それは嫌ね。私だってやらなきゃいけない事があるし」


 「リルス、聞いて頂戴。私がやろうとしている事は貴方達にも関係があることなの。だから協力して。もし私の使命が果たされたら、どんな事でも教えてあげる。だから」


 「イブ、私は元から一方的なお願いを受ける為に貴女を招いたワケじゃないのよね。私が求めているものは取引よ? 腹を割って話しましょうよ……イブ」


 手札を切るべきか、切らざるべきか……。交渉の場は完全にリルスの独壇場。イブがどれだけその切実な思いを語り、懇願しようと彼女の心は動かない。いっそのこと銀翼を振るって脅迫するべきか。


 だが……それは出来ない。やるべきではない。せっかく立つ事が出来た交渉の場を乱すなんて……愚者の行動だ。腹の底から沸き上がる苛立ちを抑え、冷静さを取り戻したイブは七色の瞳をリルスへ向け、妖しく笑う。


 「ダナンは」


 「ん? 彼がどうかしたの?」


 「生きたいって言っていたわ。死にたくないと、俺は誰にも従わないってね。ねぇリルス、彼とはどれくらいの付き合いなの?」


 「まぁ……かれこれ十年の付き合いになるかしら。何よ、ダナンがどうかしたの?」


 「いいえ、別に? ただこれから厄介事が増えると思っただけよ」


 ピクリ―――と、リルスの瞼が僅かに動き、キーを叩く手が一瞬止まる。


 「ダナンはいっつも厄介事に巻き込まれているわ。それが一つ二つ増えたところで」


 「上層街の連中に目を付けられた可能性がある。それを言いたいのよ、私は」


 勿論こんなものは出まかせに過ぎない。塔の内情を……詳しい情報を知り得ないイブが口にした言葉に大きく目を見開いたリルスは動揺を押し殺す。


 「彼は一度遺跡で死にかけたわ。けど、ルミナの蟲で命を繋ぎ止めている状態。もし私がルミナの活動停止を命令したら、ダナンは死ぬ。リルス、嫌よね……十年来の相棒が死ぬってのは」


 此処でイブは確信する。立場が揺らぎ、逆転する兆しが見えたと。もう一歩踏み込み、現実を叩き込めばリルスの動揺が言葉となって現れると。


 「リルス、腹を割って話しましょう? 私達の事を、ね?」


 そして、イブは手をリルスへ差し出し妖艶な笑みを口元に浮かべた。


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