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虚ろわざる

 無言で足を動かし、数えるのも億劫になる程の階段を上がったダナンはB1と書かれた階層に到達すると疲労混じりの息を吐く。


 人並み以上の体力を自負している青年であろうとも、無限に近い階段を上がることは精神的にも肉体的にも辛いものがあった。鼓膜を叩く耳鳴りのような静寂と、壁の中を這う金喰いムカデの音。


 危険と危機が入り混じった非常用階段の踊り場で、電子ロックが仕掛けられた扉のドアノブを握ったダナンは無駄と知りながらも力の限りノブを引く。


 硬い金属音と微動だにしない扉......。それもそうだ、遺跡の扉や隔壁は誰かが解除しない限り電子ロックで閉ざされている。機械腕のハックケーブルを伸ばし、操作パネルが隠されている金属扉を引き剥がしたダナンは埃を払い、ソケットにケーブルを差す。


 「ダナン」


 「何だ」


 「いつもあんな事をしているの?」


 「あんなこと?」


 「人殺しのことよ」


 ダナンと同じペースで階段を上り続け、それでも尚息切れ一つせず、七色の瞳を向けるイブは銀翼に張り付いた血を払い、青年に問う。


 「当たり前だ。 此方が殺らなければ、殺されていたのは俺の方だった。イブ、お前も殺しただろう?  人を」


 「そうね。けど、話し合いでも何とかなったと思うのよ。単純に」


 「そんな不確定要素の強い選択を取るよりも、 敵意と銃を向けられたら殺すべきだ。 もし敵を見逃して、同じ場面に遭ったら相手は思うだろうよ...... コイツは甘い奴だとな」


 「それでも」


 「でもやもしもは無い。いいか? お前みたいに半端な優しさを見せて、甘さを向ける奴は上...... 下層街じゃカモ同然、殺して奪って下さいと言ってるようなもんだ。相手を信用する方が馬鹿を見るんだよ」


 ハックプログラムを走らせ、解除プロトコルを完了させたダナンは扉を僅かに開き、 アサルトライフルの銃口を挟む。


 「上と下じゃ環境も命の価値も違う。イブ、 お前が住んでいた場所が中層街であろうとも、上層街であろうとも、上の感性を下へ持ち込むな……いいな?」


 これは冗談でも脅しでも何でもない単なる事実。苛烈極まる弱肉強食の理が蔓延する下層街では、同情心や優しさは弱さと見られ、寄り縋る弱者の亡者に貪り喰われてしまう。狡猾で脆弱な罠を張り巡らせ、弱者の立場で人を喰らおうとする者は人間性に集り、慈悲を乞うのだから。


 「……貴男は」


 「……」


 「誰かに騙されたことがあるの? 裏切られたとか、陥れられたとか」


 「そんな事をされる前に、少しでも条件と報酬が釣り合わなければ相手を殺していた」


 「ずっと一人で生きていたワケじゃないでしょう? 育ての親とか、産みの親とか」


 「産みの親の顔は知らない。育ての親の老人は仕事へ出かけた後、路地裏で死んでいた。満足か? これで」


 これ以上何も話すことは無い。少女が遺跡の情報を話さず、自らの口で素性を話さないのなら、ダナンもまた必要以上の事を語らない。


 一歩引き、互いが出した条件を呑んだ上で協力関係を結んでいるダナンとイブは再び沈黙する。


 信じれば裏切られる。生かせば殺される。躊躇えば出し抜かれる。他人とは 敵であると同時に、利用する為の駒。明確な利害関係の上で人間関係は形成され、成熟し、熟れた腐臭を放ちながら依存へ至る。下層街で生きたいとするならば感情に枷を嵌め、 猜疑に歪んだ眼で人を見ねばなるまい。


 情報集積場の大空間へ足を踏み入れたダナンは素早い身の熟しで左右へ視線を巡らせ、銃口を真正面に向ける。大空間は滅茶苦茶に破壊された廃墟と化し、強化ガラスの下を奔っていた電子の波も消え失せていた。


 「……」


 「酷い有り様ね、此処まで破壊することはないでしょうに」


 「...... あの男とガキの仕業か?」


 「あの二人しかいないわ、此処まで出来るのは。こんな上層の情報置き場に彼等が消そうとするデータは無いのにね。呆れるわ」


 「......お前は」


 「なに? ダナン」


 「お前は何を知っていて、奴らとはどんな関係なんだ?  答えろ、イブ」


 アサルトライフルの銃口がイブへ向けられ、殺意と疑念を瞳に宿したダナンは少しずつ後方へ退く。


 「貴男に関係ある?  無いと思うのだけれど」


 「...... お前と居たら、また奴らと戦う時が来る。違うか? 」


 「あり得るわね。だって、私は何としても殺さなきゃならないんだもの」


 「殺す? どっちを」


 「両方よ」


 「両方だと?」


 「そうね、話し合いで解決出来たら一番楽なのだけれど、あの娘......カナンはもう一線を超えてるの。目的の障害に……父さんとみんなの邪魔をするのなら、妹であろうとも殺すしかないでしょう? 違う? ダナン」


 平然と、当たり前だと言わんばかりに肉親の殺害を予告したイブは自嘲したような笑みを浮かべ 「ああ、こう言えば結局私も貴男と変わらないのね」 崩れた円柱に背を預ける。


 「私にはやらなきゃならない事がある。命に代えても、成し遂げなきゃならない使命があるの。それを理解してほしいだとか、 共に分かち合いたいとも思わない。ダナン、貴男が生きたいと願うように、目的を達成することが私の生きる意味なのよ」


 凛とした覚悟を纏い、美しい決意を瞳に宿した少女は周囲をぐるりと見渡すと一本だけ破壊を免れた円柱を指差し。


 「貴男が何の用でこの場を訪れたのか深くは聞かないわ。だけど、此処に残ってるデータと情報は遺跡と何の関係も無いゴミよ。それでもいいなら最後に残った円柱を機械腕に繋げればいい。もう此処は......私と関係無い場所だから」


 関係無い。そう話したイブの顔は悲哀に満ち、耐えきれない過去を悔やんでいるようで。


 全てを投げ捨て、諦めようとしても諦めきれず、 僅かな希望に縋っているようにも見えた。


 「……昔」


 「……」


 「俺を育ててくれた爺さん......名も知らぬ老人が言っていた」


 円柱に溜め込まれたデータと情報を吸い出し、 機械腕のストレージにコピーする。


 「他人を簡単に信用するな、女が泣いていてもその涙に騙されるな。だが涙も流さずに泣いている奴の味方になれ、と。気に触ったら謝るが、爺さんの教えは大体正しかった」


 「変な事を言い出すのね、貴男は」


 「偶に言われるな」


 「へぇ、誰に?」


 「俺の依頼人だ」


 「貴男みたいな人でも人並みの交流を築けるのね、意外だわ」


 「そうか」


 何故か、イブは平気な顔をしながら泣いているように感じたのだ 泣き喚くわけでもなく、無言で、さめざめと泣いているように......ダナンにはそう見えて仕方がない。


 なんと声を掛け、どうやって接したらいいのか分からない。笑いかけたとし ても、彼女の眼に己はどう映る。いや......そもそも他人の為に情を示す必要が あるのだろうか。


 「なぁに? 私の顔をジッと見て」


 「何でもない。行くぞ」


 フッとダナンの視線に気がついた少女は涙を隠すように薄く笑い、先を往こうとする青年の後を追った。


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