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イブ

 眉間に撃ち込まれた弾丸を体外へ排出し、傷口をルミナで修復したイブは己を地面へ押し倒したダナンを視界に映す。


 口元から血を流し、怒りと憎しみに震える男。己の身体的変化を知ってか知らずか、貫かれた傷を適合段階の状態へ修復する蟲の存在に気付いていない。皮膚に張り付いた流血痕は血液内のルミナが分解し、肌に浸透して体内をまた巡り、失われたルミナの蟲を再度精製する。


 イブがダナンへ移植したルミナの蟲は彼女自身に宿る三分の一程度。手のひら一杯分のルミナであっても、致命傷を修復するには十分な量だった。少女のルミナが青年を生かし、心臓に寄生する。ダナンを生かすも殺すもイブの心次第。それは……彼自身も身を以て理解している筈だ。


 故に、イブは理解出来なかったのだ。激痛を伴う心拍制御を体感し、常人ならば心を折られてもいい力の差を見せつけられているのに、何故その反抗心と反骨心が湧き出てくるのか分からずにいた。


 非合理的だ。非生産的に値する。無駄で無価値な時間の浪費。己の言葉に従い、力を貸してくれさえすれば要領よく事が進むと云うのに、何故この男は此処まで抵抗する。理解出来ない。


 もう二段階制御機構を稼働させ、心臓と呼吸を止めてしまえばいいのだろうか? 半暴走状態のルミナを完全暴走状態へ陥らせ、もう一度あの苦しみを与えるべきか? いや……それでも彼は己の意志を曲げず、頭ごなしに向けられる圧力に屈しないだろう。ならば、どうやってダナンを己の手足に、猟犬に出来ると云うのだ。


 息を荒げ、生身の左腕で己の首を圧迫する青年を見つめていた少女は、ふとある言葉を思い出す。それは、青年自信が口走った「望みが無い」と云う単純な回答だった。


 望みが無い。無欲なる者が口走れば、それは聖者に相応しき無垢なる言葉。だが、ダナンは塔で生活する遺跡発掘者。その言葉に紛れる真の意味は……底無しの強欲に他ならない。


 自分自身が求めているモノを知らないから、何もかもが欲しい。望みが無いから、手に入る全てを願っている。渇きに疼く魔狼は、己が望みを知らず内なる大海を飲み干すのだ。


 普段ならば欲深き者を相手に容赦はしない。遺跡発掘者と云う墓荒らしの首を断ち、惨殺せしめよう。欲の皮を突っ張った存在を殺し、遺跡を徘徊する外生生物や実験生物、殺戮兵器を破壊して生きてきたイブは、下層民並びに己が存在意義を忘却した塔の人間を許さない。


 だが、何故か……ダナンには憤怒や憎悪と云った感情が芽生えない。彼のどす黒い瞳を見つめる程に、過去の名も無き男を思い出してしまう。嘲笑と諦めを顔面に張りつけ、安楽椅子に座す男を……手にある罪を他者へ押し付け、罰を背負った者を。


 だからだろうか……。ダナンの瞳の奥に感じた寂しさと悲しみを七色の瞳に映した少女は己の役目と役割を捻じ曲げてでも、NPCと呼ばれる存在へ譲渡する筈だったルミナの蟲を青年へ移植した。その空の器を満たす為に。


 力の限り首を締め、犬歯を剥き出しにするダナンの胴体と腕を銀翼が貫き宙に吊る。暴れ狂い、身体中の筋肉を総動員してまで翼の拘束から逃れようとする青年を一瞥した少女は、衣服に付いた埃を払い、立ち上がる。


 「どうしたらいいのかしらね」


 「何を言って……‼」


 「正直言うと私はあまり交渉事に長けていないの。こうやって力を示し、服従するような者が相手ならどんなに楽だったかしらね……。ねぇダナン、貴男に移植したルミナの蟲を私に返してくれれば自由になれるわ」


 「なら返して」


 「だけど、そうしたら貴男は死ぬ。確実に。致命傷を負ったことは覚えているでしょう? その傷を埋めているルミナを私が奪い取ったりしたら、待っているのは死よ。ダナン、私が貴男の心臓を握っていると話した意味が理解出来たかしら?」


 「……」


 カァスから受けた傷とカナンから受けた致命傷。その傷を塞ぎ、埋めているルミナを奪い、回収することが出来るのはイブ一人だけ。その事実を心なしか理解していたダナンは少しずつ動きを止め、舌を打つ。


 少女が……イブは敵対者ではないのかもしれない。敵であれば己の命を救い、協力を求めるメリットよりもデメリットの方が遥かに大きい。だが、それでもダナンは信頼に足るような、信用出来る要素が欲しかった。


 「……条件だ」


 「……」


 「協力する代わりに、俺が出す条件を呑め。話しはそれからだ……イブ」


 銀翼の拘束が解かれ、地面に這い蹲ったダナンは傷口を塞ぐ蟲を見据え、息を吐く。


 色は違えど線虫に似た蟲はカァスの胸から湧き出したモノと同じ。傷を修復する性質の他にまだ何か機能がある筈。だが、今はその話をするべきではない。もし己があのような異形……半ば人の姿を捨てた存在に成り得るとしたら、それは際限の無い恐怖を生むのだから。


 「……俺は生きたいんだ。永遠の命とか、無限の力なんて望まない。ただ……生きていたい」


 「……」


 「だけど……生き方が分からない。馬鹿な話だと思うかもしれない、阿呆だと見下されても構わない。イブ……生きるってことは、何だ? 人は何故産まれ、死ぬんだ? 苦しみの中で喘ぎ、痛みに耐えることが生きる意味なのか? それが……分からない」


 人として生きることは難しい。ただ生きて、死ぬ。そんな生は動く屍に他ならない。


 「……私はその問いに答えられる言葉を持ち合わせていないのよ、ダナン」


 「……」


 「だけど、そうね……その答えはきっと貴男の中にあるのだと思うわ」


 「俺の……中だと?」


 「そうよ。考えてみなさいよ、自分自身の望みが誰かに理解されると思ってるの? 確かに今の貴男には望みは無いのかもしれない。何を手に入れたくて、何を求めているのかさえ分かっていない貴男の問いに、赤の他人である私が答えられる筈がないでしょう? だから」


 私が貴男の望みを叶えてあげる。少しだけ……ほんの僅かな本心を曝け出したイブはダナンへ手を差し出し、七色の瞳を青年へ向ける。


 「私は神様でもなければ、万能の聖人だと驕らない。ダナン、貴男が望むなら私が手を貸してあげる。望みが分からなくても、生きる意味が見出せなくても、私は貴男が死ぬまで一緒に居てあげるわ」


 「……どうしてそこまで俺に括る」


 「……さぁ? どうしてかしらね。もしかしたら……私も自分自身の心が分からないのかもしれないわ」


 「……滅茶苦茶だ、その言い分は」


 「どう想い、何を考えているのかさえ分からないのが人というモノでしょう? なら、私も貴男も人間らしいと思わない?」


 「……」


 イブの手を一瞥したダナンは警戒するように彼女の小さな白い手を握り、立ち上がる。


 「……見つかる迄だ」


 「……」


 「俺の望みが見つかるまで、手を貸してやる。だから……黙って俺の前から消えるなよ、イブ」


 「えぇ、約束するわ。ダナン」


 彼の欲望と望みを満たすことは出来ないのかもしれない。


 彼女の力から逃れることは出来ないのかもしれない。


 様々な感情と思いを張り巡らせ、手を握り合った青年と少女は、互いに牙を隠したまま一時の協力関係を結ぶのだった。

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