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 ピクリ―――と、ダナンの指先が動き、ガラス片と瓦礫が散乱する大空間で目が覚める。


 頭が痛い……いや、身体全体が痛いんだ。大きく咽込み、血が詰まったガスマスクを取り払った青年は仰向きに寝転がると、ぼんやりと霞む眼に薄闇を映す。


 夢を……懐かしい人の夢を見ていた。普段のダナンなら死人の夢を見る等どうかしていると吐き捨て、気にも留めなかったが何故か今は夢に現れた老人の姿が恋しいと思ってしまう。生き残る為に不要な感傷を避け、涙の一滴すら流さなかった青年は弱々しい声で「馬鹿馬鹿しい……」と呟いた。


 「回復したようね、此方を向きなさい遺跡発掘者」


 鈴の音のような美しい声が鼓膜を叩き、警戒心を最大にして飛び起きたダナンは装備が外された腰ベルトを弄り、舌を打つ。


 「安心なさい、別に私は貴男を殺そうとしているワケじゃない。あぁ、装備を探しているなら瓦礫の傍にあるわ。良かったわね、同業者に奪われなくて」


 「……」


 「警戒してるの? 結構、今の貴男は丸腰で、私は確かに脅威と見られても仕方無いわ。けど、今の貴男に何が出来るの? 機械腕も壊されて、アーマーも役に立たなくなった貴男は塵屑同然よ。少し冷静になったらどう? 遺跡発掘者」


 腰まで伸びた銀髪を指先に絡ませ、電子粒子が奔る七色の瞳をダナンへ向けた美しい少女は天井から差し込む薄い蒼の光を全身に浴び、瓦礫の上でほくそ笑む。


 「……何者だ」


 「あら? 名を尋ねるには先に貴男の方から名乗りなさい。それがマナーと云うものでしょう?」  


 少女の背から伸びる六枚の銀翼がダナンの首元へ伸び、薄皮一枚を斬り裂き、血の雫を刃のように鋭い羽根に乗せる。


 身体装着型兵装ボディ・ウェポンか? 冷えた汗を背中に滲ませた青年は「ダナン……それ以上の名前は無い」と語り、少女が座す瓦礫の近くに詰まれた装備を見据える。


 「そ、貴男の名前はダナンと云うのね? 覚えておきましょう、なんせ貴男は私の手足になるのだからね」

 「何だと? 何を馬鹿なことを―――」


 どくり、と。ダナンの心臓が早鐘を打ち、身体中に張り巡らされた血管に激痛が奔る。


 「が―――あ、アぁァあッ!!」


 「随分と遅い反応だけれど……どうかしら。生きるか死ぬかは貴男次第。期待しているわよ? 遺跡発掘者……いえ、ダナン」


 血液が熱湯のように沸騰し、脳が焼き焦がされる。細胞一つ一つが変質する悍ましい感覚と臓器の拒絶反応。狂ったように叫び、大量の血を吐き出したダナンはぐるぐると回る視界の中に、細かな光を見る。


 可笑しくなる。笑い声が聞こえる。脳が疼き、心臓に宿る何かが蠢く不快感は次第に快感へ変わり、絶頂と脱力の二重反応を引き起こす。ゲラゲラと、クスクスと、耳鳴のように響く声の主が己だと認識したダナンは、頭を地面に叩き付け、無意識に胸元を掻き毟っていた。


 血を吐き、笑い転げ、気を失い、また目覚める。手の爪が剥がれ、再生する。線虫が視界を埋め尽くし、白の中に闇を見出そうとしたダナンは己の両目を潰す。


 何が何だか分からない。蟲の波に自我が流されるような恐怖、意識の縁にしがみ付き、濁流の如く押し寄せる情報の渦に抵抗し続ける青年の手を、そっと握り締めた老人の手が狂気に濡れるダナンの脳裏に映った。


 爺さん……? 皺だらけの手が、生白い手の主が青年の名を囁き、黒い面貌を覗かせると其処に居たのは彼の記憶に存在しない男の顔。白目を埋め尽くす黒目と鼻を失った異形の貌は青年をジッと見つめ、罅だらけの口元に笑みを浮かべ。



 あぁ……其処に居たのか。我が半身―――と呟いた。



 「ッ⁉」


 全身を引き攣らせ、血を吹き出したダナンはくらりと歪む視界に少女を映し、頭を振るう。


 「……驚いたわ」


 「何が……だ」


 「いえ、単純な感情表現の言葉よ。けど……まさかルミナの蟲に適応出来る人間がまだこの世に存在していたなんてね。幸運と見るべきか、不幸と嘆くべきか……取り敢えず喜びなさいダナン。貴男は運良く生き延び、生存の一手を握り締めた」


 手を叩き、薄ら笑いを浮かべた少女は瓦礫の上から青年の下へ飛び降り、白い手を差し出す。


 「イブよ」


 「……は?」


 「聞こえなかったの? イブ……それが私の名前。貴男の掴み取った生が祝福されるべきか、呪詛に縛られたものか、それを決める者の名を脳細胞全てに刻み込みなさい。だけど、今だけは祝福してあげるわ。おめでとう、ダナン」


 何を言っている。この少女は……イブは、何を知っている。差し出された手を一瞥し、イブの七色の瞳を睨み付けたダナンは逡巡する。


 「まだ警戒しているのね。別にいいわ、貴男がどんな行動に出ようと、どんな考えを張り巡らせていても私に逆らえる筈が無いんだもの。ルミナの制御権は私が握っているのだからね」


 「……制御権だと?」


 「そう。私が死ねと命じれば、貴男は己で命を断つ。私が戦えと命じれば、貴男は襤褸雑巾のようになろうとも戦い続けるの。そうね、簡単に言えば貴男の心臓は私が握っている。故に祝福であり、呪詛の縛り。ルミナは貴男を選び、力を与えると共に命を対価として私に差し出した。理解出来るかしら?」


 奥歯を噛み締め、震えながら立ち上がったダナンはイブの首を残った左手で握り、苛立ちを露わにする。


 「ふざけるな……‼ お前に何の権限があって‼」


 「苦しいのだけれど」


 「その首を今直ぐ圧し折ってやるッ‼」


 「……少し躾が必要なようね。黙って私に這い蹲りなさい、駄犬」


 イブの瞳が妖しく輝いた瞬間、ダナンの心臓を宿主とするルミナの蟲が半暴走状態に陥り、鼓動を不規則に変え、耐え難い激痛を青年へ与えた。


 「―――ッ⁉」


 「ダナン、私は馬鹿で間抜けな人間は嫌いよ。言ったでしょう? 貴男の心臓は私が握っていると。ねぇ……お互いに仲良くしましょう? 私に協力してさえくれたら罰は与えないわ」


 胸を抑え、藻掻き苦しむダナンに少女は薄い笑みを湛え、ゆっくりと歩み寄る。


 「考えてみなさい、今の貴男に遺跡を五体満足で脱出する手段はあるの? 武器も機械腕も無い遺跡発掘者がどうなるか知っているでしょう? あぁごめんなさい、もう右腕は機械の偽物だったわね」


 息を荒げ、イブを睨み。


 「さぁ私の手を取りなさいダナン。導いてあげる。出口へ、楽園へ、共に辿り着きましょう?」


 「……れ」


 「なぁに?」


 「黙れよ……クソガキがッ‼」


 少女の手を振り払ったダナンはよろめきながら瓦礫の下へ歩き、装備を拾い上げると生身の腕でも撃てる拳銃をホルスターから抜き放ち。


 「俺は誰にも従わない……‼ それがどんな相手でもだ‼」


 引き金に指を掛け、撃鉄を引いた。

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