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生きているのか、死んでいるのか

 「ダナン、生きるってのはどう言う意味か分かるか?」


 錆び付いたリビングファンが耳障りな音を奏で、合成皮革が剥げた肘掛椅子に座る老人が問う。


 「いんや、お前が死んでると言いたいワケじゃぁない。だけどよ、俺ぁ心配なんだ。お前がただ生きて、下らない終わりを迎えるんじゃないかって。ダナン、お前はどういう風に生きて、どんな終わりを迎えたいんだ? 笑わねぇから言ってみな」


 パイプを口に咥え、緑色のラインが奔る機械腕を唸らせた老人は、傷だらけの頬に笑窪を作り、俺を見据える。


 「……どんな風に生きたいとか、死にたいとか、そんな風に考える余裕なんて無いだろ爺さん」


 「おいおい、俺より若いガキがそんな夢も希望も無い事を言うんじゃない。ほら、アレだ、将来何をやりたいとか、どんな人に成りたいとかあるだろ? 俺ぁそれを言いたいんだ」


 「……」 


 そんな事、一度も考えた事が無かった。下層街では夢を持ち、将来という不確かな明日を望むことが贅沢過ぎた故に。


 「まぁたダンマリか。なぁダナン、俺がお前を拾って長い付き合いになるが、そろそろ腹を割って話そうじゃねぇか。あー……何だ、お前好きな女とか居ないのか?」


 「居る筈ないだろ」


 「隠すなって笑わねぇからよ。アレだ、娼婦の娘ッ子とか良い関係に成れるんじゃねぇのか? それか……そうだな、銃火器店の娘さんとか」


 「爺さん」


 「何だ? ダナン」


 「俺は……あんたに恩がある。それこそ、生きる術や文字の読み書きを教えてくれて、一端いっぱしの遺跡発掘者に育ててくれた恩義がある。だからさ……まずは俺の恩を先に返させてくれよ。そうじゃなきゃ……俺を育てた意味が無いだろ。あんたに利益が無い」

 クツクツと笑い、機械で補った目を伏せた老人は椅子から立ち上がり、俺に近づくとわざわざ機械腕の方で頭を殴り、豪快に笑った。


 「何すんだよ爺さん‼ 俺はあんたを」


 「ガキが何を心配してやがる」


 「……」


 「いいかダナン、俺とお前は結局のところ他人なんだ。血の繋がりも無けりゃ親子でも何でも無い。だからダナン、お前はお前のしたい事……やりたい事の為に生きろ。俺の事は頭の片隅にでも放り捨てておけ」


 それが理解出来ないからこうして生きているんだ。夢を持つ意味も、将来を考える余裕が無いから今を必死に生きている。痛む頭を擦り、銃の部品を握り締めた俺は老人の顔を一瞥し、目を伏せる。


 「……爺さんは」


 「ん?」


 「爺さんは夢を持ったことがあるのかよ。どんな将来を夢見たんだ? こんなクソみたいな街で、危険な仕事を熟し続けていたあんたは」


 「昔、青い空を見た事がある」


 「青い空?」 


 「あぁそうだ。昔、遺跡で見つけたデータの中に青空と緑の樹々で覆われた大地の影像があった。それをもう一度……この目で見てみたいと思った」


 何時も浮かべている茶化すような顔つきから一転、真剣な面持ちで遠い過去を眺めるように話し出した老人は何処か若々しく見え。


 「塔の外はお前も知っての通り荒廃した大地と灰空で覆われているだろ? だけどな、昔は緑と青に覆われていた美しい大地だったんだ。その光景を一度でいいから見たかった。見たかったが……俺ぁ多分もう無理だ。時間が無い」


 諦めたような儚い笑顔を浮かべ、俺の頭を撫でた。


 「ダナン、この世界がどんなにクソったれでも生きてさえいれば必ず良い事がある。だから、それに気付けるような生き方を選べ。醜く足掻いても、誰かがみっともないと嘲笑おうが生きていた奴の勝ちだ。だから、生きろ。生きて、生きて、その手に明日を掴め。俺が居なくても生きられる強さを得るんだ」


 さて、と。老人が武器と装備を整え、扉のドアノブを握る。


 何故か、扉の向こう側に行かせてはならないような気がした。老人を引き留めようと手を伸ばした俺の視界に無機質な腕が……機械の腕がある事に気付き、小さな溜息を漏らす。


 これは夢だ。最後の最期まで名前も知らなかった老人と交わした最後の日。彼は仕事へ行った日も、その次の日も帰って来なかった。そうだ、彼はもう……死んでいる。


 「……爺さん」


 「何だ?」


 「仕事へ行くのか?」


 「当たり前だろ? 働かざる者食うべからずってな。どうしたダナン、顔色が悪いぞ?」


 「……俺は、まだ自分の夢を、将来を見つけられていない」


 「……」


 「もしこのまま齢を取り続け、自分の生き方が間違っていると知った時、俺はどうしたらいい。俺は……」


 「ならお前は未だ運命と出会っていないのかもしれんな」


 「……」


 「必ずお前を変える運命はやって来る。それを受け入れるのも、否定するのもお前自身だ。だからダナン、恐れるな。安心しろ、お前なら大丈夫だ。なんせ俺の」


 息子だからな。老人が立ち去った後の部屋は煙草の吸い殻と機械腕のパーツが乱雑に放置されている暗い部屋だった。


 「……」


 一人……老人の座っていた椅子に背を預けた俺は天井を仰ぎ、指に挟んだ煙草を口に咥え、火を着ける。


 結局、俺は何も見つけられずに生きている。暴力と欲望が渦巻く下層街で遺跡発掘者として命を対価に金を稼ぐ日々。もし、老人が今の俺を見たら何と言うだろうか。笑って頭を殴るのか、馬鹿野郎と怒声を散らすのか、分からない。


 紫煙を吐き出し、吸い殻が山のように積み上がる灰皿に煙草を押し付けた俺は扉を叩く何者かに視線を向ける。


 「誰だ」


 「……」


 「答えろ。撃つぞ」


 扉の向こう側に立つ者は答えない。銃を机の下から抜いた俺は、撃鉄を下ろし、引き金に指を掛ける。


 「貴男は、生きたいですか? それとも、死にたいのですか?」


 「……」


 「引き金を引きたければ、引きなさい。撃ちたければ、撃てばいい。しかし、私の質問には答えて貰います。生か死か、選びなさい」


 凛とした……強い意思を持つ少女の声。


 「……何者だ」


 「実に面倒な男ね。貴男には時間が無い。選ばなければ死ぬのは貴男一人だけ。いいわ、塔の人間が死んでもどうでもいいもの。けど……じっくりと自分の身体を見た方がいいと忠告しておきましょうか」


 腹が痛み、視線を落とすと其処には赤黒い血が溜まり、破壊されたボディアーマーがあった。


 そうだ、俺は、ドームで白装束の少女……カナンから致命的な一撃を貰い、意識を失った。その記憶を思い出すと同時に、耐え難い激痛が視界を歪ませる。


 「が……アッ‼」


 「もう一度問います。死にたいですか? 生きたいのですか? 答えなさい、遺跡発掘者」


 生きたい。まだ、死ねない。求めているものが何であるのかを知らず、無意味な死を受け入れたくはない。


 銃を下ろし「死にたい筈が……無いだろう」と呟いた瞬間、扉が破壊され、白い蟲が濁流のように押し寄せる。


 蟲が穴という穴に潜り込み、視界が白で覆われる。手を伸ばし、蟲の波から逃れようと暴れるが、白い蟲……線虫は俺を逃さない。


 「目覚めなさい、遺跡発掘者。私の本体が向こうで待っているから」


 「―――‼」


 「では、さようなら」


 その声を最後に、俺の意識はぷっつりと途切れてしまった。

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