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 全身が焼け爛れる程の重傷を負い、肉と筋肉が体外に露出した人間が生きていられる筈が無い。普通の人間であれば……身体を機械に挿げ替えた全身機械体フルメタル以外、重度の火傷と裂傷、銃創を負った人間が立っていられる筈が無い。


 黒い線虫で身体を覆い、損傷した部位を修復するカァスを目にしたダナンは二十二年生きて来た中で最大の危機を察知し、アサルトライフルの銃口を男へ向けると引き金を引き続ける。


 「そんな豆鉄砲で俺を殺せるとでも思っているのか? 間抜けが」


 弾丸が男の身体を貫き、肉を抉り、血を吹き出させるが次の瞬間には心臓から湧き出す線虫によって傷が塞がれ、弾丸を体外へ押し戻す。


 「貴様に残された道は二つ。潔く死ぬか、醜く足掻いて死ぬか、二つに一つだ。なぁ遺跡発掘者……貴様はどうやって死にたいんだ? 慈悲だと思え、選ばせてやる」


 アレは……男の身体を覆う蟲のようなものは恐らく遺跡の遺産。どういった効果を引き起こし、これから何が起こるのか未知数の危険な代物。


 身体装着……臓器侵食型。肉体に埋め込み、驚異的な能力を発現する遺産の存在を耳にした事がある。カァスの身体を埋め尽くそうとしている線虫のような蟲は、恐らくその類い。顔面を黒で覆い、蠢く蟲の波に埋もれたカァスを見据えたダナンは腰に差した刀剣へレスを抜き、薄氷を思わせる刃を男へ突き付ける。


 殺さなければ殺される。無駄に生かせば、次に殺されるのは己の方。故に、殺意を持つ相手には全力を以て対処しろ。女子供でも、容赦無く。


 「……カァス、相手方はやる気のようです。排除なさい」


 「あぁ」


 男の姿が一瞬にして掻き消え、少女の底冷えするような銀の瞳がダナンを一瞥すると同時に、青年の視界が滅茶苦茶に回る。


 激痛を訴える背骨と肩。瞬間的に息が止まり、ドームの壁に激突したダナンは食道から込み上げてくる胃液と血を吐き出し、大きく咽る。


 何が起こった? 何故己は地面に倒れている? どうして……ドームの扉が正反対の方向にある。

 「一つだけ教えてやろう、遺跡発掘者」


 一歩、また一歩と重い足音が鼓膜を叩き。


 「貴様は相手にしちゃぁいけない奴を間違えたんだよ」


 ダナンの機械腕を踏み潰した獣の脚……厚い鋼を纏った黒鉄の獣が醜悪な笑みを浮かべ。


 「下層民なら相手を選ばなきゃならないよなぁ……。喰える奴と喰われる奴を見極める必要がある筈だ。いいか? 貴様は敵を間違えた」


 機械と生体部位が入り混じる巨腕から三本の鋭利な爪を伸ばし、青年のボディアーマーを斬り裂くと溢れ出る血を啜り、牙を突き立てる。


 気が狂う程の激痛と変貌した男への恐怖。人面獣牙、機械と人が融合したような奇怪な造形。心臓部に巨大な一つ目を見開き、並々ならぬ狂気を帯びたカァスはダナンの右機械腕を捻じ切り、結合部から流れ出る人工血液を飲み下す。


 「叫べよ、泣けよ、喚けよ遺跡発掘者ぁ‼ 貴様等下層民は涙も忘れたのか⁉ あぁそうだろうとも‼ 貴様等は既に人間では無い‼ 獣以下の畜生だ‼」


 「……」


 「叫ぶ気力も無くしているのか? つまらんな、貴様等は……。だから」


 スッと……。ダナンが握っていたへレスの刃が男の右腕をゼリーのように切断し、夥しい量の血が青年を真紅に染めた。


 「―――ッ‼」


 驚愕か、混乱か。カァスの瞳に渦巻いていた狂気が瞬時にして警戒の色を帯び、ダナンから遠ざかると斬り落とされた腕を切断面にくっ付け、癒着させる。


 「……昔」


 昔、老人が言っていた。


 「戦いは、生きるか、死ぬか、その二つ……。死の二択だなんて……在り得ない」


 戦いとは勝つか敗けるかの勝負ではない。生きるか死ぬかの究極的で単純な二択問題なのだ。もしその場で命を落とし、死んでしまったらそれは己の努力不足に過ぎず、生きたいと思うなら最後の瞬間まで足掻くべきだと、ダナンを育てた老人は常日頃言っていた。


 血が流れ、傷口が熱を持つ。ボディアーマーから伝い、流れ落ちた鮮血はダナンの足元に血溜まりを作る。


 どう見ても戦える状態ではない。一歩歩み出すだけでふらめき、膝を震わせている奴が、己を殺せる筈が無い。だが、何故だ。何故……半死半生の遺跡発掘者に恐怖を感じている。奴を脅威として見做している。


 蠢く蟲の間から血塗れの犬歯を覗かせ、右腕に線虫を纏わせたカァスは身体構造と遺伝子記録を書き換え、細胞内に組み込まれた生体融合金属ナノメタルを起動する。


 遺跡発掘者……それも下層民を敵として見た事は無い。貧弱な装備に身を包み、欲望の赴くままに個我を満たす屑は塵同然に死すべきなのだ。故に、殺せ。カナンの望みを、白き少女の願いを成すべく、邪魔者を排除しろ。


 カァスの咆哮と共に腕を覆っていた蟲が弾け、黒鉄の多重迫撃砲が展開される。六つの榴弾射出口と接近戦闘用に伸びるブレード……一人の人間が持つには火力過多の武装を展開した男は、砲門をダナンへ向け、意思の引き金を引く。


 耳をつんざく轟音と爆炎。ドームを揺らす強烈な振動。滅茶苦茶に、乱雑に射出された榴弾は奇跡的に青年から逸れ、情報が保存されている端末を破壊した。


 「……ッ」


 どうすれば奴を殺す事が出来る。


 「……」


 あの黒鉄の獣を、カァスを殺す事が出来るのか?


 「……ッ‼」


 だが、やらなければ、殺さなければ―――此方が殺される。無意味に、無価値に、この命が終わる。

 動け、痛みを無視し、血が流れていることさえも忘れて足掻け。銃弾が効かずとも、機械腕を失おうとも、まだ手札は残っている。刀剣へレスを握り、血が詰まったガスマスクの隙間から叫び声をひり出したダナンは、カァスの銃口を見据え、走り出す。


 「カァス」


 「……」


 「片割れが近づいています。迎撃の用意を」


 「……あぁ」


 男の視線が天上を仰ぐと同時に、銃口が上方を向き、引き金が引かれると。


 「……まだ私の邪魔をしますか、イブ」


 突如として飛来した銀の少女がドームの天井を打ち砕き、身に迫る榴弾を真っ二つに斬り裂くとカァスの胴体に白硝子のような羽根を突き立てる。


 「まだ生きていたのか? とっくの昔に死んでいたと思ってたが、存外しぶといものだな貴様は」


 「貴男に用はありません。カナンの傍から離れなさい、虫けら」


 「虫けらは貴様も同じだろうがよ‼」


 ブレードと銀の刃が打ち合い、少女の背から腰まで伸びる六枚の翼がカァスの攻撃を易々と打ち落とし、斬り裂き、肉を断つ。


 人間の限界を越えた戦いはダナンの戦意と闘志を置き去りにし、無謀な戦いを仕掛けようとしていた彼の頭を急速に冷やすと同時に、もう一人の敵へ意識を向けさせる。


 カァスと互角以上の戦いを演じ、六枚の銀翼刃を自在に操る少女の事はどうでもいい。男の相手は少女に任せ、己は白装束の少女……カナンを討つ。あの少女が男の司令塔だとしたら、奴を殺せば事は済む。


 カァスと少女の戦いを視界の端に置き、端末の操作を行うカナンの背後に歩み寄ったダナンはへレスを首元に当て、大きく振り被り。


 「あぁ、それと」


 腹に突き立てられた銀の刃を……カナンの背から伸びる六枚の銀翼を視界に映し。


 「貴男は死んでください。特にどうとでも思っていませんでしたが、私の命を奪おうとしているのなら話しは別。そのまま無様に堕ちなさい、遺跡発掘者」


 足腰の力を失ったダナンは大量の血をガスマスク内から吐き出し、刃に腹を貫かれたままドームの中央に投げ捨てられる。


 「カナン‼ 貴女は‼」


 「他人の心配をしている暇があるのか⁉ 羽虫が‼」


 轟音と爆音、鋼が打ち合う音、そして肉が潰れ、弾ける音……。


 遠くなる意識の中、ダナンが目にしたものはブレードと銀翼に胴体を串刺しにされ、己の隣に投げ捨てられる銀の少女、そして己等を見つめる悲哀に満ちたカナンの顔。


 「さようなら、私の片割れ。名も知らぬ遺跡発掘者。世界は足掻けば足掻く程、絶望に染まり、終わり往くもの。だから、きっと、死だけが真の救いになる筈」


 ドームの地面に罅が奔り、崩れ往く。瓦礫と共に奈落へ堕ちた二人を眺めたカナンはたった一言「この世界は……希望だけが無いんだもの」と話し、一粒の涙を流すのだった。

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