遺跡―――それは前時代の遺産が眠る未知の大規模地下施設。
塔の地下に存在する遺跡は市場に出回る情報以外全てが謎に包まれており、何故塔の地下にこれ程までに……それこそ現存人類全員が収容できる広大さを持つ施設が造られているのか未だ解明されていない危険領域。
空気に混じり肉体の内側から臓器を腐らせる毒素、異形の造形に進化した塔外の外生生物、廃棄された実験生物と殺戮兵器……。遺跡には人を容易く死に至らしめる危険が薄闇の中に紛れ、遺産や過去を求める者を喰らうべく待ち構えているのだ。
エレベーターから降り、ガスマスクと多目的ゴーグルを身に付けたダナンは明滅する電灯に照らされる通路に歩み出し、アサルトライフルの引き金に指を掛ける。
遺跡の上層は電力が復旧され、エレベーターホールから電力炉までの安全は比較的確保されている。余程のアクシデント……新たな隆起物から外の毒素と外生物が入り込んでいない限り、命の危険は非正規ルートよりも少ない。
だが、警戒は絶やすべきではないだろう。比較的安全ということは、危険が完全に排除されたワケではなく、壁の亀裂に潜む小型生物の侵入を見つけられていないと云う事。ダナンは壁の中から聞こえた虫の鳴き声を聞くと同時に、機械腕に内蔵されているブレードを展開し、亀裂へ突き刺すと緑色の粘液を浴びる。
ずるり……人間大の百足が這い出し、痙攣と伸縮を繰り返しながら息絶える。外生生物『金喰い百足』鉄材を主な主食とする虫。鋭利な牙と溶鉄液は鉄を溶かし、斬り裂くことに特化している。
この程度の生物は脅威に成り得ない。虫に命を奪われる者は三流以下の素人……遺跡に喰われに来たようなものだ。ブレードに付着した粘液を振り払い、身体の半分を溶かされた瀕死の遺跡発掘者を一瞥したダナンは彼から予備の弾薬と食料を奪い、先を往く。
「……」
風化した死体と真新しい死体、腐肉に蛆が湧いた死体、拳銃を握り締めたまま蟀谷に銃創が見られる死体……。連続した射撃音が通路に響き、怒声と叫喚が木霊すると不穏な静寂に場が包まれる。
「……」
銃を構え、曲がり角に身を隠したダナンが手鏡を取り出し、通路の先を見る。すると、其処には血に濡れた一人の男が頭を抱えて蹲っていた。
「違う……俺は、こんな、こんな場所に、来たくなかった」
ぶつぶつと独り言を繰り返す男の目の前には三人の死体が並び。
「お、お前等が、金が稼げるからって、無理矢理……。違う、違う、違う‼」
天上から飛び出してきた百足に頭を喰われ、無理矢理亀裂の中に引き摺り込まれるとその場に残ったモノは男の身体から垂れ流された血肉と糞尿、血塗れの銃だけ。
何らかの理由で仲間割れを起こし、狂気に囚われた男の蛮行によって全滅した。そう考えるべきだろう。仲間を持ち、行動を共にするという事は不測の事態を招き、死の可能性を高める愚行。死体を漁り、有用な物資を集めたダナンは再び姿を現した百足を斬り殺す。
イレギュラーに対応する能力が無いのなら、仲間割れによる全滅を防ぎたいのなら、一人で行動した方が余程効率が良い。現に、ダナンは育ての親である老人が死んだ後、誰ともチームを組んだ事が無く、たった一人で遺跡発掘者として生き乗ってきたのだから。
血溜まりを踏み、死体をそのままに遺跡を突き進むダナンは緑色のランプが点灯する扉の前に立ち、操作パネルを弄ると未踏査区画へ侵入する。
リルスが先んじて送った遺跡発掘者の死体は何処にあるのだろうか……。いや、それよりも、此処は。ダナンの脳が危険を知らせ、仄暗い闇に潜む危機を言葉無く示す。
滑った床に、ぶんぶんと空を飛び交う蠅の音。ブーツの其処が柔らかい何かを踏み、視線を足元に移したダナンは多目的ゴーグルの暗視機能を起動し、床に散らばった十六本の四肢を視界に移す。
「……」
傷口を撫でグローブに染みついた腐肉を払う。鋭利な刃によって切断された四肢は全て腐っており、屍血も赤黒く変色していた。
「……」
だが、そんな惨状の中でも一際異彩を放つ死体の部位は、滅茶苦茶に破壊された頭部と胴体だろう。
何か大きな力で粉砕され、捻じ切られたと思われる部位の損傷は宛ら実験動物に襲撃されたような、大口径対物ライフルで撃ち抜かれた様。しかし、遺跡に大口径対物ライフルを持ち込む人間は居るのだろうか? いや、居ない。見た事が無い。
影狼と呼ばれる実験生物が一瞬だけ彼の脳裏を過ったが、あの生物は上層に生息圏を伸ばさない。しかし……中層から下層の闇を好み、影と共に人間を喰らう影狼でなければ、アーマーを着込んだ遺跡発掘者の胴体を抉る事など不可能だ。
ならばこれは人間の仕業と考えた方が妥当だろう。超振動ブレード或いは遺跡の遺産を用いて敵対遺跡発掘者を殺し、先を進んだのか? それとも……奴が、無頼漢首領が新区画の調査に赴いているのだろうか?
黙って此処で屈み、あれこれ考えていても仕方が無い。リルスからの依頼を達成する為、危険と向き合う覚悟を決めたダナンは静寂に包まれる通路へ歩き出し、警戒を怠らないまま進む。
遺跡の新区画……。上層は粗方遺産を発掘され、現在では中層の探索が主な仕事となっているが、上層でも電子ロックが仕掛けられている区画が数多く存在し、それが解除された暁にはまた上層の探索調査が活発となる。
上層はまだ安全な方だ。それに違いは無い。一撃で頭を吹き飛ばす外生物も居なければ、人間を見つけ次第永久に追跡してくる殺戮兵器もそう多く見られない。実験生物だって心臓と頭を潰せば駆除出来る。毒素も強くなければ一時間毎にフィルターを交換する必要が無い。故に、上層で厄介と成り得る存在はやはり同じ人間なのだろう。
何処かで銃声が鳴り響き、暫し歩を進めた先にあるのは仲間内で殺し合ったと思われる遺跡発掘者の死体と硬直した手に握り締められている遺跡の遺産。そう云った形跡を見かけた時、ダナンは自ずと理解した。分配金の揉め事だと。
銃を構え、すすり泣く声を耳にしたダナンは物陰で蹲る年端もいかない小柄な少女を目にし、無言で近づくと銃口を彼女の頭に突き付け問う。
「リルスから依頼を貰った遺跡発掘者か?」
「……」
「答えろ」
「……聞いて」
「なに?」
「こんなの……こんなの聞いてない‼ あんな、あんな化け物が居るなんてあの女は話しちゃくれなかった‼ 助けてよ‼ 誰か、私を、助けてよ……‼」
「……他の連中はどうした」
「見れば分かるでしょ⁉ みんな死んだ‼ あの男に、女に、殺された‼」
「男? 女? 何を言っている。此処で何を見た。何があった。話せ」
遺跡発掘者を殺し、金品と装備を巻き上げる死体漁りが混じっていたのか? 銃口を少女に突きつけたまま周囲を見渡し、死体の損傷度合と表面上の装備品を視界に映したダナンは些細な違和感を感じ取る。
もしこの場に散らばる死体が少女の仲間だとしたら、何故目の前の娘は傷一つ負っていない。何故馬鹿みたいにこの場にへたり込み、泣いている。肥大する疑念と疑惑は青年の脳に危機信号を発し、無意識に攻撃行動を取らせた。
刀剣へレスが黒いボディアーマーに身を包む男の胸を刺し貫き、機械腕のブレードが死体を装っていたもう一人の男の首を裂く。鮮血が舞い、銃を抜いた少女をライフルで殴り飛ばしたダナンは彼女の顔を覆うガスマスクを握り、腕を圧し折った。
塔の中でも、遺跡でも、人を最も多く殺している存在は同じ人。塔の過去や前時代について全く知識を持ち合わせていないダナンであっても、それだけは理解出来るし、己も数多くの人を殺してきている故に分かる。
生態と習性、機能と特性を学べば対処する事が出来る外生生物、殺戮兵器、実験動物の始末は簡単な部類。しかし、人間が敵となれば相手が何をし、何を考えているのかも考慮しなければ戦いにもならないのだから。
「騒ぐな。もう一度聞く。此処で何があった」
「や、やめ、たすけ」
「何があった。話さなければ、お前のマスクを外してやる」
「し、知らないの‼ ほ、本当よ⁉ わ、私達が此処に来た時には、み、皆死んでたのよ‼ 襲ったことは謝るわ‼ だからお願い‼ 見逃して」
「駄目だ」
「どうして⁉」
「後々の問題排除の為。分かったか?」
「え」
短い銃声と地面に流れる赤い河。眉間を撃ち抜かれ、身体を震わせた少女を蹴り飛ばしたダナンは彼等こそが死体漁りだと確信する。
死体偽装、少女を使っての庇護欲の誘い出し、奇襲からの不意打ち……。未熟で経験の浅い遺跡発掘者ならば僅かに残っている良心或いは欲望で身を滅ぼしていただろう。
だが、何度も遺跡へ潜り、様々な人間を見て、生き延びてきたダナンにはそう云った手法は通用しない。返って死を引き寄せる愚行。新たに増えた三つの死体を漁り、使える道具を回収した青年は再び歩を進める。
昔、己を育てた老人も言っていた。敵が人間ならばどんなに弱そうな相手であったとしても、警戒を怠らず、全力で殺せ。そうしなければ次に殺されるのは、お前だと……。
「……俺は」
死なない。そう呟いたダナンは銃を手にしたまま、通路の先に在る大空間へ足を踏み入れた。