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 遺跡へ向かう方法は大きく分けて二つ。中層街の治安維持兵が守るゲートを通り、エレベーターに乗って降りるか、正規ルートに則らず管理外の通路から降りるか。これ以外に遺跡へ向かう方法は無い。


 命の保証を得たくば金を払い、比較的整備が進んでいるゲートを通ればいい。


 命を投げ捨てる覚悟があり、金を払いたくなければ管理外の通路……マンホールの蓋を開けて毒度とゴキブリに塗れながら遺跡へ堕ちろ。


 金を取るか、命を取るか。下層中層問わず、常に身体と精神を縛るものは金という何とも皮肉な二択だろう。信頼する物資販売商店から遺跡探索用の濃縮ゼリーパックを購入したダナンは、人間の代わりに置かれた清算機へクレジットを支払い、厚い鋼鉄板に覆われた下層街の空を見る。


 鋼鉄板で区切られた空の向こう側にはもう一つの世界、中層街が存在し、其処では殺人は罪とされ、少年少女が安い賃金で売春宿で働かないらしい。赤子が路地裏に捨てられ、人が塵同然に死ぬ下層街では中層街の常識が通用しない……いや、それどころかこの街で生きるには法を無視した……それこそ己の力だけを信じねば生きられない。


 下層街を取り仕切る三つの組織に喧嘩を売らず、弱者を食い物にし、強者で在り続けねば次に喰われるのは己。行き過ぎた弱肉強食の理が適用される下層街では、赤子の頃から選別が行われ、成長するにつれて更なる強さを要求される。


 今にして思えば……歩き出し、路地へ目をやったダナンが見たものは若い男三人に遊び感覚で喉を抉られ、臓器を抜き取られる老人と年端もいかない怯え竦む少年の姿だった。


 「おいおいジジイの臓器なんて何の価値があるんだよ? やっぱりガキを売春宿に売った方が金になるだろ?」


 「馬鹿だな、そんなんじゃ楽しくも何ともねぇだろ? おいガキ、俺達は優しいからよぉ、二つ選択肢をやる。逃げるか、売られるかだ。三つ数えるうちに選べよ」


 ゲラゲラと笑い、抜き取った老人の臓器を少年へ投げつけた男は一斉に銃を構え、数を数え始める。


 一つ、二つ、三つ……。やっとの思いで立ち上がり、駆け出そうとした少年の足を一発の銃弾が貫き、叫びながら倒れた子供の傷口を嬲る男達は興奮冷めやらぬと云った様子で吸入型麻薬を吸い込んだ。


 アレはただの遊びに過ぎないのだろう。麻薬中毒者がよくやる的当てゲームのようなモノ。脳を麻薬で破壊された男達は皮膚の下を蠢く不快感を拭い取りたいが為に弱者を見つけ、弄ぶように殺すだけ。


 「おいおい何転がってんだよ‼ 走れよ‼ 的にならねぇだろ⁉ あぁつまんねぇ……どっかにガキ孕んでる女でもいねぇかなぁ」


 「まぁた悪趣味な遊びでも思いついたのか? でも……組織への上納金がまだ稼ぎ終わってねぇだろ? 傷物でもあのガキを売り払った方が」


 「そうだなぁ……売る薬はまだあるよな? 俺らが使う分と売る分はまだ」


 銃を腹巻に仕舞い、麻薬の数を指で数え始めた男の頭が突如として破裂し、頭蓋と脳漿が飛び散った。


 「おいおい肉欲の坩堝の木っ端がなぁにウチのシマで勝手してんだぁ? 殺すぞ? 薬中の塵共が」


 残る二人の男を捻り潰し、コンクリート居住区の壁へ力の限り叩き付けた全身機械義肢の暴力組織『無頼漢』構成員の女は死体に唾を吐き、血と涙で顔を歪ませる少年を見る。


 助かった……。そう思い込み、安堵の息を漏らした少年の頭が踏み潰され、屑籠に放り投げられた。


 ダナンはこの結末を予測していたし、こうなると分かっていた故に首を突っ込まずにいた。何故なら、これは強者が弱者を痛めつけ、その強者を凌駕する存在がまた殺しただけに過ぎないのだから。下層街では一般的でありふれた日常の一幕に過ぎない故に。


 己は運が良かったのかもしれない。右腕だけを機械に置き換え、その他の部位は全て自分だけの身体なのだから。もし老人に……誰もが恐れる遺跡発掘者の老人に拾われていなければ、ダナンと云う存在は到の昔に死んでいた。無残に、容赦なく、残酷に。


 人が死に、産まれ、また死んでいく。人間の本能が理性を上回り、暴力と欲望が渦巻く蟲毒の壺。それが下層街。塔の最下層に位置する悪なる市。混沌とした通りは煌びやかなネオンに濡れ、老若男女が行き交う雑多な路。ただ歩いているだけで犯罪に巻き込まれ、力と冷酷さを示さなければ、次に死ぬのは自分自身。


 ダナンの腰にぶつかり、逃げ出そうとした少年の襟首を掴んだ青年は彼をゴミ箱へ投げ捨て、眼前に銃を突き付けると「盗ったものを出せ」と低い声で言う。


 「な、なにも、何もとっちゃいねぇ‼」


 「そうか、なら死ね」


 引き金が引かれ、撃鉄が弾かれた瞬間少年の頭が弾け、脳漿が壁に散る。ダナンは少年の薄汚れたズボンから弾丸一発を取り出し、ポケットに突っ込むと煙草を咥え、通りを行く。


 弾丸一発盗まれたことで命を奪われ、残った家族を人買いに売られた男の事を知っている青年にとって、これは油断と隙を示す愚行だった。相手が老人だろうが、女子供だろうが、街を牛耳る三組織の構成員だろうが、己の弱さを知る者は殺す。これは下層街での常識だ。半端な優しさは不要なのだから。


 暫し歩を進め、ゲートの入り口に立ったダナンは治安維持兵の男へクレジットを送金し、入り口を守る重装備の兵士と戦力過多の対人兵器を一望する。


 「にしても」


 「何だ」


 「お前等遺跡発掘者ってのはどうにも理解出来ねぇな。どうしてそんなにも死に急ぐかねぇ」


 「あぁ」


 「いや、そもそも下層民ってのが可笑しいだろ? 今日だけで俺は十人も殺したんだぞ? 麻薬中毒者に、狂信者に、浮浪者に、ガキと女と男と……。変になっちまうよ、こんな場所にいたら。お前はどうなんだ? 遺跡発掘者」


 「別にどうも思わない。いいじゃないか、十人程度で済んで。俺はもう数え飽きたよ、人殺しは」


 深い溜息を吐いた治安維持兵の男は「上で待っている家族が恋しいよ、俺は」とぼやき、ゲート開放の為に操作盤を弄る。


 ダナンと男は仲が良いワケでは無かった。ただ男の愚痴を受け流し、ゲートの開放を待つ間、彼の話しを銃も抜かずに聞いてくれる青年が珍しかった故に、男は一人で奇妙な友情を感じていたに過ぎなかった。


 「なぁ」


 「何だ」


 「お前さん、いや、今まで下層民に一度も聞いた事がなかったんだけど……名前は何て言うんだ?」


 「別にいいだろう? そんなこと」


 「何でだよ」


 「今日生きてるか、明日に死んでるか、どうなるか分からない奴の名前なんて覚えていても仕方の無いことだと思わないか?」


 「そんなもんなのか? 下層民にとっちゃ」


 「そんなもんだ、中層街の兵隊さん」


 今日を生きられたとしても、明日もまた生きているとは限らない。ただ生きているだけでも命懸けなのに、どうして他人の名前を……また合うとも限らない中層街の人間に教えられるのか……。


 「遺跡発掘者」


 「何だ」


 「そう淡泊な返事をまた……。まぁいいや、もし遺跡でヤバい奴に遭ったら直ぐに逃げろよ?」


 「ヤバい奴?」


 「お、やっと真面な反応があったな。何でも最近遺跡の毒素が半端じゃない数値を叩き出してる区画があるらしくてな。多分だけど……外生物の新種か実験生物の巣があるって噂だ。だからよ……危なかったら撤退も視野に入れておけよ?」


 「下層民の心配をしてるのか? 中層街の兵隊が?」


 「お前だから言ってるんだよ! ほら、あれだ、俺の話しを聞いてくれるからな。他の遺跡発掘者は皆俺と目も合わさないで行っちまう。だから、その、貴重な話し相手が死んだら悲しいだろ?」


 「……そんな風に思うのか? 中層民は」


 「普通はそう思うがな。けどまぁ、必ず生きて帰って来いよ? 次会った時はそうだな、ゲートの上手い居酒屋でも紹介してやるからよ」


 「……あぁ」


 どうして中層民である男が己に良くしてくれるのか理解出来ない。ビジネスパートナーでもなければ、知り合い以下の関係性……それこそ喰うか喰われるかの他人同士である筈なのに。


 男に悪意は無い。彼が勝手に友人としてダナンを見ていることに、青年は気付かない。だが、そんな何気ない友情は下層で生きる以上不必要な代物なのだ。物心付く前から下層で生き、今現在迄都市の悪意と罪を直視してきたダナンは男の心を省みず、懸命に手を振る彼を一瞥するとゲートを通る。


 友情……食えもしなければ、クレジットや物資の足しにもならない不可視の資産。物質的な概念に価値はあれど、精神的な概念に何の価値がある? 理解出来ない。いや、そもそもそんなものに価値は無い。


 金属質な隔離室から噴射される浄化剤を全身に浴び、もう一つのゲートを通り過ぎたダナンは眼下に広がる闇を見据え、個人用エレベーターに乗り込むと隣に位置する大型エレベーターを視界に映す。


 其処には徒党を組んで遺跡へ挑む遺跡発掘者の一団が見えた。興奮する者、恐怖を隠さない者、薬物を腕に注射して冷静を保つ者、発狂寸前の仲間を取り押さえる者……。死へ驀進する人間は無機質な闇を畏れ、脳を狂わせる死の気配から逃れるべく己を騙そうとする。


 「……」


 あの一団は長くない。運が良ければ外生生物の餌となり、臓物を血肉を貪られ息絶えるだろう。だが……運が悪ければ仲間内で殺し合い、彷徨った挙句飢え死にし、干乾びたミイラとなって遺跡の通路に横たわる。


 咥えていた煙草に火を着け、紫煙を吐き出したダナンは徐々に遠くなる下層の光を背に、仄暗い遺跡へ進む。死と狂気が渦巻く地獄の端へ、たった一人で身を投げた。

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