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EDEN〜灰の青年は、銀の少女と果てへ征く〜
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SFポストアポカリプス
2024年07月09日
公開日
104,518文字
連載中
 鼻腔をつく血と死臭の臭い、道端に転がる腐りかけた死体の臭い。

 死体を見ない日は無い、銃声を聞かない日は無い、薬を使ってラリっている人間を見ない日は勿論在る筈が無い。

 死を纏った生を享受し、力なき者は強者に全てを奪われる。そんな事は稚児ですら理解している法則であり、街に蔓延する慢性的な先天性の病のようなモノ。

 例え路地裏にバラされた死体があったとしても、奇怪な造形を模した野犬や野鳥が捨てられた赤子を啄ばんでいても、それらは当たり前の光景だ。驚嘆にすら値しない日常的なもの。

 この街は最低最悪で。

 この街は誰もが罪を背負って生きている。

 誰もが生きていたいが故に―——罪と罰に生きている。


 命の意味を探り、運命を手繰るサイバーパンク・ディストピア。
 毎週月・水・金・日、19時更新

下層街

路地裏に転がった稚児の死体も、銃を乱射する麻薬中毒者の叫喚も、足元に飛び散った肉片を貪る奇怪な造形を象った野犬の群れも、此処では欠伸を催す日常の一遍に過ぎない。


裸同然の幼い少女が男の腕に抱きつき、ネオンに照り輝く売春宿へ姿を消す。口枷を嵌められた男娼が醜く肥えた女に首輪を嵌められ、家畜のように通りを這う。堕ちた都を包むは人工の星々と電子の海。灰空を貫く塔の最下層に位置する下層街は堕落と混沌が渦巻くソドムの市。


鈍色の金属装甲に色とりどりの光を反射させ、機械に挿げ替えられた右腕に抱き着く娼婦を振り払った青年は、身体全体を覆い隠すコートの内ポケットから煙草を一本取り出すと口に咥え、火を着ける。

細い紫煙が宙を舞い、雑多な人混みに紛れ霧散した。青年は機械腕の指先まで伸びた火種を揉み消し、煙草の吸殻を通りに捨てると血液混じりの汚水を蹴る。


殺人が珍しくなければ、産まれたばかりの赤子が不衛生な路地裏に塵同然に捨てられていることにも違和感を覚えない。市場を駆け巡る情報網に紛れた詐欺広告に騙されやしない。下層街に蔓延する不義と罪悪は癌細胞のように増殖し、病に侵されている状態が一般的であると誤認させるのだ。


青年……ダナンは難癖をつけてくる浮浪者の頭を銃で撃ち抜き、通りを抜けた先にある廃ビル群の一棟に足を踏み入れる。


 ビルの中は外の喧騒とは隔離された静寂に包まれており、青年の足音だけが響く伽藍の堂。ずらりと並んだ部屋には一つも明かりが点いておらず、都市のネオンと電光看板の光だけが闇に閉ざされた廊下の光源であるかのように感じられた。


 階段を上がり、切れかけた電灯に群がる蠅を一瞥する。電灯の真下には腐肉が沸く死体が倒れていた。


 罠を知らずに侵入した浮浪者か、恨みを晴らすべく訪れた無頼漢の構成員か。死体を一瞥し、歩を進めたダナンはビル四階の一部屋目の前に立ち、ドアノブを右に二回、左に四回捻り、奥に押し込む。


 「どなた?」


 「俺だ」


 「俺? 変ね、私の知り合いには俺なんて酔狂な名前を持つ馬鹿は居ないのだけれど」


 「そうか、なら帰らせて貰うぞ。じゃぁな」


 扉が自動的に開き、その奥に鎮座する円筒形のエレベーターが勢いよく床から飛び出すと「冗談よ、冗談。ほら、早く来なさいよダナン」笑い声が混じった合成音声が部屋に響いた。


 「……」


 「あら? 怒ったの?」


 「怒っちゃいない」


 「あ、そう。なら早く乗って頂戴」


 怒っているのは其方だろう。その言葉を飲み込み、エレベーターに乗り込んだダナンは腕を組み、天井付近に取り付けられたモニターに映る悪趣味を通り越して笑ってしまう広告を視界に映す。


 『貴方の家に強盗が来たらどうします⁉ 答えは簡単撃ち殺せばいいのです‼ 銃はやっぱり大口径‼ 銃器専門店エスト‼』嘘だ。エストは既に強盗に押し入られ、店主諸共皆殺しにされたろうに。


 『違法な改造手術にお困りの貴方に朗報です‼ 今ならこの広告を見た方限定で格安施術を行います‼ オペ・クリニック・ナカナカ』詐欺広告の一つ。そもそもそんな診療所など見た事が無いし、下層街で格安施術を行う店はごまんとあるのだから。


 『心が寂しい……身体が寒い……。そんな貴方に最高の癒しの空間を。性別から年齢まで様々な商品が貴方を心と身体を癒します。クラブ・ラスト』この広告だけは本物だ。実際に、犯罪組織肉欲の坩堝のマークが常時影像に映り込んでいる。


 エレベーターの低い駆動音が鳴り止み、扉が開くと同時に歩き出したダナンは部屋いっぱいに広がるモニターを眺め、キーボードを叩く少女へ視線を移す。


 透き通るような白い肌……そう言えば聞こえは良いものの、椅子に膝を抱えるようにして座る少女の肌は白を通り越して病人のように青白い。端的に云えば不摂生を極めた死人一歩手前の柔い肌。切れ長の瞳でダナンを一瞥した少女……リルスは泥のようなコーヒーを啜ると小さく息を吐き、エンターキーを叩いた。


 「今日も良い日ねダナン。貴男の辛気臭い顔を見ると心が弾むような気分よ」


 「喧嘩を売ってるのか?」


 「馬鹿ね、貴男に喧嘩を売る筈が無いでしょう? ちょっとした挨拶代わりの軽口じゃない。冷静に考えてみなさいな」


 「……」


 空いている椅子に放り捨てられた保存食の空き缶を手で払い除け、腰を落ち着かせた青年は小さく舌打ちをし、腕を組む。


 「で、リルス。俺を呼んだ理由は遺跡関係か?」 

 「そうね」


 「新しい区画でも見つかったのか?」


 「御明察。今回貴男に任せる仕事は遺跡の区画調査と情報保管庫に記録されているデータの回収よ。報酬はそうね……一万クレジットと遺跡で見つけた遺産でどう? 私としても破格の報酬だと思うのだけれど」


 遺跡の新区画……B区画から下層へ向かう為のエレベーターが開通したのだろうか? 顎周りに伸びる無精髭を撫で、モニターの一部に目をやった青年は探索済みの区画を示す青色の階層から伸びる、灰色で塗り潰された未確認区画を見やる。


 「俺の他に何人雇った」 


 「そうねぇ……適当に募集を掛けた遺跡発掘者を五人と、自信満々で任せろとか話していた馬鹿を一人。けど皆通信が途切れちゃってね、やっぱり貴男が一番よダナン」


 「一番か」


 リルスの言葉を鼻で笑い飛ばし、機械腕の指関節を曲げ伸ばしたダナンは「死体を確認する必要はあるか」と問い、彼女に預けていた武器を持ち出すべく椅子から立ち上がる。


 「どうして他人の命を確認する必要があるのよ。私が寄越した依頼を満足に達成出来ない阿呆の死体なんてどうでもいいわ。そもそも彼等は捨て駒なの、分かる? す、て、ご、ま! たかが千クレジットで命を賭けるなんて可笑しいと思わない?」


 「可笑しいも何も俺ならそんな話しがあったら直ぐに断るな。リルス、そいつらは大体何歳くらいだった?」


 「多分十代半ばかしら? 私とそんなに齢が離れているように見えなかったし……。あ! 自信ありげの男は恐らく無頼漢の構成員ね。結構良い全身機械だったから」


 「あぁ……」


 階段で死んでいた男は無頼漢の人間。つまり、仲間内の恥の復讐に来た訳か。一人納得したダナンは別室へ向かい、生体認証を通して武器ラックを開く。


 「リルス」


 「なに?」


 「一応セキュリティを確認しておいた方がいい。必要なら最新式に変えるべきだ」


 「へぇ……貴男との関係がバレたかしら。いやねぇ、こんな貧相な身体を狙う男が居るなんて」


 「馬鹿だなお前は、身体狙いならとっくの昔に肉欲の坩堝に捕まっているだろうよ」


 「あんな常時トリップ状態の連中に私が捕まる筈がないでしょう?」


 「そうだな」


 「薄い反応ね。冷たい男はモテないわよ?」


 「ならお前が俺を情熱的にしてみろよ」


 「あら、言ったわね?」


 遺跡の遺産である刀剣へレス……薄い硝子細工のような刃を持ち、無機物有機物問わず分子レベルまで斬り裂く得物を腰に差し、アサルトライフルとハンドマグナム、各種弾薬、手榴弾を身に付けたダナンの背後で布が擦れる音が鳴る。


 「ねぇ……少しだけ楽しんでいかない? 寂しいの」


 「そうか」


 「私だって偶には人の温もりが欲しくなっちゃう時があるわ。けどね、誰でもいいなんてことはないのよ? そう……貴男だからいいの。強くて、真面目で、約束を破らない男は何時だって貴重よ。だからダナン、私と一緒に楽しみましょう?」


 昔、孤児だったダナンを拾い、一流の遺跡発掘者に育て上げた老人が言っていた。


 女に恥を掻かせるな、信用する相手から求められたら応えろ、武器を持ったまま行為に及べ……据え膳喰わねば男の恥じだと。


 「……リルス、そういうのはあまり」


 「って言うのは冗談よ。なに? 本気にしたの? 馬鹿ねぇ、私が娼婦と同じでホイホイ股を開く筈が無いでしょう? ほら、早く仕事に行きなさい。このむっつりスケベ」


 ソックスの片方を脱ぎ、膝に頬を当てた妖艶な笑みを浮かべる少女はクスクスと笑い、白い歯を見せた。


 「何よ、怒ったの?」


 「良い性格をしてるよ、お前は」


 「よく言われるわ。あぁ、仕事から帰って来る前に保存食を買って来て貰えない? お金なら後で渡すわ」 


 蠱惑的な雰囲気と幼さが残る危うさ。深い溜息を吐き、リルスに近づいたダナンは機械の腕で少女の頭を軽く殴り、背を向ける。


 「痛いわね! 何するのよ!」


 「馬鹿な女の頭を殴って何が悪い」 


 「酷い……! この孤独なインテリ薄幸美少女の頭を殴るなんて! 脳細胞が死んだら貴男が責任を取ってくれるの⁉」


 「取るかよ馬鹿が」


 小さな手でダナンのボディアーマーを叩き、止めの一発とばかりにリルスの鋭い拳が青年の股間を殴り抜く。


 「―――ッ‼」


 僅かに顔を顰め、腹の底から沸き上がる鈍痛に耐える。身体を鍛え、過酷な環境に身を曝す職業に就くダナンでも、生身の、更に云えば急所に該当する場所は辛い。


 「この餓鬼‼ 調子に乗らせておけば‼」


 「早く仕事に行きなさいよ‼ 行かなきゃ報酬は無しよ‼ これから一ヶ月間人工肉の缶詰でも食べてればいいわ‼」


 「ちょっと顔が良いくらいで美少女とか抜かすなよ⁉ いいか⁉ お前なんて簡単に」


 殺すことが出来る。その言葉を呑み込み、乱暴にリルスの頭を撫でたダナンはよろけながらエレベーターに乗り込み。


 「けちょんけちょんに出来るんだからなッ‼」


 代わりの言葉を叫ぶ。


 「ダナン‼」


 「あぁ⁉」


 「……帰って来なさいよ、絶対。待ってるから」


 リルスの声がダナンの耳に届く前に、エレベーターの扉が閉じるのだった。

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