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第22話 無謀な挑戦

 魔法のように天才を生み出せるのであれば苦労はしない。


 なんの試練もなく強者となるのであれば苦労はしない。


 天将学園の卒業生というだけで箔が付くのは、そこがどれだけ過酷な場所であるかを世界中が理解しているからだ。


 その学園を卒業できれば、仮に将棋の道に進まずともこの社会でやっていけるだけの才覚が認められる。倫理が極限まで削り取られた過酷な環境の中で生き延びた強者。それはこの革命期にも関わらず堕落しきった日本での確かな希望となる。


 負けても死ぬわけではない。退学してもその後の人生が終わるわけではない。


 ──ただし、挑むのであれば青天井の高みへと手を伸ばす『覚悟』が求められる。


「それでは、失礼します」


 取材の許可を取りに学園内の応接室を出た彩香は、年々抗争が激化していると噂の『新学期前試験』に足を進める。


(まさか今年からクラス1と新入生との合同で退学試験が実施されるとは、正直想定外ね。……本当なら三月くんの方も見に行きたいところだけど、ひとまずはこちらを優先しましょう)


 彩香が向かおうとしている『新学期前試験』の会場では、クラス2以上が集う大規模な試験場所となっている。


 例年行われるクラスの大移動。その最後のチャンスとして実施されるこの試験では、多くの生徒がより高みを望んで今のクラスからワンランク昇格する機会を窺っている。


 激しい競争社会と有無を言わせぬ実力主義の箱庭で、生徒達の棋力は様々な特異性をもって進化していくのだろう。


 かたや新入生の方でも入学早々退学試験が始まるということで、彩香は本来であれば三月の方を見に行きたかった。


 しかし、情報の価値として優先されるべきはやはり学園内の勢力図の把握。これから未来を築いていく生徒達がどう戦い、そして入れ替わっていくのか、桜花満開のこの季節に相応しい戦いは今この瞬間しかフィルムの中に切り取れない。


(まぁ、三月くんであれば大丈夫でしょう。それにすぐ終わる試験ではないはずです。……時間が余ったら見に行きましょうか)


 あの武蔵剛すら押しのけた今の三月に怖いものなど何もない。


 それが例え理不尽に行われる退学試験であっても、あの三月ならばなんとかなるだろうと彩香は踏んでいた。


 ──それが大きな間違いだったことに気づくのは、少し先の出来事である。


 ※


 氷山の一角に上り詰めた瞬間に、冥府へと誘われたかのような切迫感。


 体重を掛けた足の先で道が崩れ落ちる。そんな感覚だ。


「さぁて、大変なことになっちゃったね?」


 隣で腕を組みながら話しかけてくる九條に、三月は片目だけ開けながら答える。


「そうだな」


「ふふ、全然臆してない顔♪」


「お前もだろ」


 そんな風に話す二人はまるで世界の中心点のよう。


 ──何故なら、三月と九條を除く全ての生徒は既に散開しているからだ。


 絶叫と錯乱を響かせながら始まった退学試験は、体育館という大きくも小さな箱庭で死闘の開幕を余儀なくされた。


 とにかく天将印を1つでも多く手に入れなければ、制限時間内に安全圏まで飛び込まなければ。そう思う有象無象の生徒達が必死の形相で対局を始める。


「それにしても、あの試験官も容赦がない。こういうのはある程度段取りを踏んでからやるものだ。初日から飛ばし過ぎて在校生だけが勝ち残る結果になっては懲戒ものだろうに」


 肩をすくめながら呟く三月の視線の先には、壇上から場を見渡す試験官の冷たい表情があった。


 試験官は時計を確認し、ただじっと自分達を見下ろしている。


「ま、理不尽ってのはそういうものだよ。適応できる人だけが残る。それが天将学園の一貫したやり方なんだろうね」


 三月と同様、落ち着いた表情でそう話す九條。


 そこから数秒の沈黙が流れた後、九條は三月の方を向いて何気なく問いかけた。


「……それで、やる?」


 敵意もなくそう尋ねる九條に、三月は笑って背を向ける。


「生憎賭けれるチップは1枚しかないんだ、無駄なリスクはおかせない」


「えー? せっかく三月くんと戦えると思ったのになぁ」


「他の奴らで遊んでろ」


 九條は三月の異様さを見抜いている。見抜いているにもかかわらず、三月に勝負を仕掛けた。……その度胸は三月から見てもまた異様なものである。


 真剣師時代でも生き残ってきたのは死を厭わない狂人が多かった。三月もその類であるが、それ故に九條もまた同類である可能性を捨てきれない。


 九條とて、持っている天将印は1つだけである。仮に三月と戦ったとして、そこで負けてもいいという選択肢を持っている時点で、今の三月には戦う理由がない。


「しょうがない、他ので我慢するよ。……じゃあ、次は教室で会おうね、三月くん♪」


 九條はそう言って軽く手を振りながら笑顔でその場を離れていく。


 三月はそんな九條を一瞥して見送った後、ふと息を吐いて再び周囲に視線を巡らせた。


(天将印の奪い合いという名目であれば、賭けるチップは当然天将印そのものと捉えるのが普通だ。……だが)


 三月が見つめた先、体育館の目立たない隅のテーブルで行われていた対局には、天将印とは別なものが賭けられていた。



 ──お金である。



 その金額は約500万。学生が持つにはあまりにおかしい札束がテーブルの横に並んでいる。


 そして相対する生徒が賭けているチップは天将印。


 ──そう、これは天将印の代わりに金銭をチップとして賭けられた対局だった。


(よく考えれば、天将印は純正のものを2つ組み合わせて天将学園の紀章として意味を為すのだから、既に生徒として認められたクラス1の生徒は天将印を所持していないはずだ)


 生徒となるための天将印。であれば、生徒は純正の天将印を持っていないことになる。


(そして、それは逆もしかり──)


 三月は視線を変えて、体育館の中央で勝負を始めているクラス1同士の対局に目を向ける。


 彼らは天将印を"3つ"も賭けて対局を行っていた。


(中には、天将印を大量に持っている生徒もいる)


 天将学園の情報通でない以上、彼らがこの1年間で何が起きたのかを想像するのは不可能。


 しかし、天将印を大量に所持しているクラス1の生徒がいる。という事実だけで三月の中ではおおよその想像がつく。


(これから過ごす1年間の中で天将印を獲得できる試験があるのか。それともこの退学試験で生き残るために事前の取引で天将印を買ったのか。……もしくは)


 三月は目を細める。


(──あえてクラス1に残り続けて格下狩りをする。なんて奴もいるんだろうな)


 その推測を裏付けるように、体育館の一部のスペースで行われている対局の気配が一段と濃くなった。


 新入生の大半は我先にと対局に熱中していて気付かないが、三月は気づく。


 ちらりと視線を送った先、余裕の表情を浮かべている不釣り合いな男が一人、生徒に向かって何かを指示し対局を始める。すると生徒は緊張した面持ちで頷き、対局を開始したと同時に投了して天将印を差し出した。


 その裏で男は醜悪な笑みを浮かべながら、天将印を差し出した男に対して裏で大金を渡す。


 立会人の教員はそれを知らないフリをして見逃した。


(賄賂も常套手段か。あからさまな不正行為以外は見逃す、と)


 未だ誰とも対局していない三月は、周りを観察して情報取得に専念する。


 この場を生き残るなど簡単なこと。しかし、この場を生き残った先に待っている戦いでも生き残れるかは分からない。


 三月はそんな先に待つ"理不尽"の対抗策を今のうちに創り上げようとしていた。


 そして──。


(こんなものでいいか)


 三月は目視である程度の情報収集を終えると、そのまま生徒達が戦っている体育館の中央付近とは逆方向へと歩き始める。


 その間に大勢の生徒達が三月の前を通り過ぎるが、


 表だけの条件に囚われているようでは足元をすくわれる。


 水面下で画策する暗黙のルールが浮き彫りになる前に、"それ"を理解している者達は自分を強者と主張しない。


 ──だが、三月はさらにその上を行こうとしていた。


 三月はそのまま体育館の奥へと進むと、壇上に立っている試験官を見上げる。


「……なんの用だ?」


 その視線に気づいた試験官は、腕を組みながら三月を見下ろす。


 その目立つ行為に、壇上からそれほど離れていない生徒達は皆三月の方へと視線を向ける。


 何か不備があったのか。それともルールの再確認か。もしかしたら面白いものが見れるかもしれないなど、様々な思惑を持った生徒達の視線を一気に集めた。


 しかし、三月の口から出た言葉はそのどれでもない想像の遥か上をいくもので──。


「一局、俺と指してください」


 珍しく敬語で告げた三月の言葉に、その場で見ていた全員が驚愕するのだった。


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