目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第19話 万札より小銭

 彩香は走る。走り続ける。学生時代に陸上部として走った時以来の本気の走り、いわば爆走である。


「ちょっ、まっ……まって、まってください! 彩香さーん!」


 後輩の山内を置き去りにしながら走る。ただ走る。彩香のその額には、汗にも似た冷や汗がダラダラと流れ出しており、不安に顔が真っ青になる。


(武蔵派と言えばあの音羽派閥に単身で突っ込んだこともある過激派中の過激派じゃない! 息のかかった一派の連中すら厄介極まりないのに、よりにもよってその首領となんて! あー! もう三月くんったら、一体何考えてるの……!?)


 彩香から見て、今回の対局は明らかにマズい事態だった。


 元々三月の性格は理解しているつもりだ。トラブルメーカーになることも想定しており、多少の"オイタ"は見逃すつもりでもあった。


 しかし、これに関しては有無を言っていられない。


 なぜなら、この対局で三月に勝機は"皆無"だからだ。


 武蔵派の首領『武蔵剛』は生粋の将棋指し。──プロ棋士の家系である。


 長男である武蔵健典たけのりがプロ棋士を目指してはや十年、過去の遺物を淡々と磨いていく長男に対し、次男である武蔵剛は新時代の力を求めていった。


 この世は暴力でもなければ、知恵でもない。知恵と暴力の両方が備わって初めて"力"は意味を為す。


 時代に迎合して将棋を始めたのではなく、元から将棋が強かった。


 そして何より厄介なのは武蔵剛本人の本質。それは彼自身の持つ棋力が革命後の後付けではなく、元から付随している力だという点だ。


 そう、強くなったから力を持ったのではない、力を持つ者が強くなった。武蔵剛はまさにその最たる所以である。


(ならあの音羽にも一撃入れていた可能性がある豪傑。その力量は他者を粉砕する勢いで指される猛者の棋風だ。いくら三月くんが強くとも、アレに勝てるほど超人的ではないはず……! 急がなきゃ……!)


 商店街の角を右に曲がり、大通りを駆け抜け、目的地である公園を目指して全速力で走り抜ける。


 まだ対局を始めていないのであれば中止に持ち込める。仮に対局中だったとしても、まだ形勢がハッキリしない段階であれば、なんとか命を削って交渉して見逃して貰えるだろう。


 だがもし、三月の方が形勢が不利だったら。三月の方が負けていたら。


 ──その交渉は手遅れになるかもしれない。


(急げ、急げ……! こんなところで彼を失うわけにはいかない──!)


 公園に続く最後の角を曲がり、ようやく二人の姿が見えてきた。


 離れた草木の影から覗く観衆達、誰も立ち入らない緊迫感漂う空間。


 その空間に誰かが立ち入ろうものなら間違いなく殺されるだろう。しかし、それほどまでに真剣な面持ちで対局をしている二人の空間に、彩香は躊躇いもなく飛び込んだ。


「──すみません! その勝負待ってください──!」


 ──そう言って、彩香が二人の勝負に割って入ろうとした時だった。


 武蔵剛が両手で拳を作り、その付け根の部分をテーブルの両端に突くと、深々と数多を下げた。


「負けましたッ!」


「はっ!?」


 武蔵剛が両手を頭を下げて投了したのだ。


 ズコーッ! と、彩香は勢いのまま公園の砂場に突っ込み、盛大に砂まみれになる。


 そんな彩香を尻目に、武蔵剛は満足そうに高笑いをした。


「ハッハッハッ!! お主強いな! 手慣らしとはいえ、ここまで一方的に負かされるとは思わなかったわ」


 衝撃の結果に、それを見ていた観衆全員の眼球が飛び出しそうになる。


「「ウソ、でしょ……?」」


 奇しくも、その場で観戦していた天将学園の生徒である少女と彩香の言葉が被る。


 ──彼女らの言葉通り、それはあまりにも信じられない結果だった。


 対する三月は、まるで軽い運動を終えたような疲労もない目で立ち上がる。


「もういいか?」


「ああ、よいとも。ワシの道楽にお主の歩みは止められぬだろう。……どうじゃ? いっそのことワシの門下に入らぬか? 好待遇を約束するぞ」


「断る。どうして自分より"下"の人間につかなきゃならないんだ」


「ひっ……!?」


 三月のあまりの強気な発言に、武蔵派の少年たちは顔を真っ青にしてドン引きする。


 しかし、武蔵剛は口角を上げて笑い出した。


「ハッハッハ! 益々気に入った! 戦う者であれば誰に対しても簡単に臆してはならない。お主はそれをよく理解しておる。今日はワシの負けじゃ、好きに名誉を掲げるがよい。──ではな」


 そう言ってその場から去っていく武蔵剛に、少年たちもまた、三月から距離をおいて散開するように去っていった。


「……豪胆な男だな」


「あなたはおバカさんですかっ!!」


 ポカン! と三月の頭を叩く彩香。


 叩かれても全く動じない三月に彩香は鬼気迫る表情で詰め寄ろうとするが、三月は涼しい顔をしたまま振り向くだけだった。


「なんだ。来てたのか、彩香」


「なんだじゃないですっ! 何やってるんですか!? 武蔵派は過去に"あの音羽派"にひと噛み入れた豪傑組ですよ!? その派閥に喧嘩を売るだけでもおかしいのに、よりにもよってそのトップとVSするなんて常軌を逸しています!!」


「"あの"とか言われても知らないが……さっきの男はそんな大層な人間だったのか?」


「そうですよ! って、え!? まさかそれすら分からず戦っていたんですか!?」


「ああ……だってそこの自販機でジュースが買いたくて対局しただけだからな」


「ジュ……!? え、そんな理由で!?」


 目的があまりにも不明瞭すぎてついていけない彩香。


 しかし、三月の真意はその言葉通り、ただ飲み物を買いたかっただけである。自身の喉を潤したかっただけである。


「はぁ、はぁ、やっと追いつけました! 大丈夫ですか彩香さん!? 武蔵剛は……あれ?」


 遅れてやってきた山内が息を切らしながら公園内を見渡すと、そこにはもう武蔵派の連中は一人もいなかった。


 ただそこに立っているのは、立会人、彩香、三月の三人。そして腰を抜かして倒れ込んでいる少女が一人だ。


「……え? あの、これは一体……彼はなんで無事で……?」


「……勝ったのよ、山内くん」


「勝ったって、誰が、誰にです……?」


 山内は状況が呑み込めず周りを何度も見渡す。


「三月くんが、武蔵派の首領──武蔵剛に」


「……は?」


 彩香の言葉を受け入れられない山内。


 しかし、その場に無傷で立っている三月の顔をまじまじと見つめているうちに、その言葉の信憑性が増していく。


 ……やがて、山内の目が大きく見開かれた


「えぇええええええええーーーーっ!?」


 山内の絶叫が、青空へと吸い込まれていった。


 ……………………

 …………

 ……


 テーブルにずっしりと置かれた札束。額にして350万。三月が武蔵派から勝ち取った金額である。


「……なんですか、この大金」


 いくら賭け将棋が主流の時代になったとしても、その金額は山内にとって大金そのものだった。


「まさかあの武蔵剛を倒すなんて、思いもよらなかったわ……」


 勝利した事実を踏まえても、頭を抱えずにはいられない彩香。


「そして当の本人は、この大金に目もくれず自動販売機に一直線ですか……」


 三月はあの後、テーブルに置かれた大金の中から万札を1枚だけ抜き取って近場の自動販売機まで向かっていった。


 まるで大金のことなどどうでもいいかのように放置して去っていく姿は、年相応とは思えないほど大胆だ。


 この少年が将来大物になるのは間違いない。いや、もうなっているのかもしれない。


 まだ学園にすら入っていないというのにこれだけの爪痕を残す三月に対し、彩香は期待と恐怖の入り混じる感情を感じずにはいられなかった。


 それから数分後、自動販売機から公園へと帰ってきた三月だったが、その手にはなぜか飲み物が握られていない。


「あれ? 飲み物は? 何か忘れものですか?」


 不思議に思う彩香たちに、三月は告げた。


「いや、万札が使えなかった」


 あー、と一同が頷く。


 忘れがちだが、一般的な自動販売機には万札が使用できないようになっている。それは大金が日々動くこの世界でも同じだった。


「彩香、悪いが"コレ"いらないから小銭くれないか?」


「……」


 そういって、三月は武蔵派から奪い取った350万の札束を興味なさげに指さす。


 そして代わりに小銭を要求するのだった。


「……あの、これ350万ありますけど」


「?」


「いや、あの。こんな大金受け取れませんが……」


「じゃあそこの男にでもやっとけ」


「えぇ!? ぼ、僕にですか!? い、いやいや! 受け取れませんって!」


 唐突に大金の受取先が自分に指名され、思わず両手を振って拒否してしまう山内。


 しかし、その大金が自分のものになるのを想像したら、思わずゴクッと息を呑んでしまう。


「ま、まぁこのお金はあくまで三月くんが勝ち取ったものなので、私達は受け取れませんよ。……はい、どうぞ」


 彩香は自身の財布から飲み物代の小銭を取り出す。


「助かる」


 三月はそれを受け取ると、再び自動販売機の方へと向かっていった。


「な、なんなのよあの男……」


 少女はそんな風に去っていく三月を見ながら驚きを隠せなかった。


 突然現れたかと思えば、何もかもを打ち倒して去っていく将棋指し。あの武蔵派の首領でさえ感嘆するほどの圧勝劇を見せつけられ、その衝撃にもはや対局内容すらよく覚えていない。


「あら、あなたは確か……」


 場が落ち着いてきたところで、彩香はようやく同じ場所で観戦していた少女の存在を認識する。


 少女は彩香が記者の風貌をしていることを察すると、右手を胸にあてていつも通り自己紹介をした。


「あ、アタシ? アタシは天将学園所属の蛯名えびな桃花ももかよ!」


「あぁ! 蛯名家のご令嬢でしたか……!」


「そ、そうよ! 」


 今さら格を告げたところで意味など無い。それは少女、桃花も理解していた。


 しかし、それでも守らなければいけないプライドがあったのだ。


(な、なんでこのアタシがこんなに霞まなきゃいけないのよ! それもこれもあの馬鹿みたいに強い男のせいよ……! あんな強い男がこの街にいたなんて知らなかったわ!)


 桃花は内心で三月に悪態を吐く。


 天将学園という魔境で1年間揉まれてきた桃花は、外では敵なしの自信があった。だから少年たちにも強気に出れた。


 しかし、そんな自分の株を奪うどころか注目の的にまでなった三月の存在はあまりに気に入らない。


 助けてもらった側であるが、自分の出番を根こそぎ奪った相手でもある。出来ればもう二度と会いたくない。


(で、でも見た限り天将学園の生徒じゃなかったし、さすがにもう会う機会はないわよね……!)


 今回の武蔵派の絡みは想定外だった。学園の外でも危険な相手は多いのだと理解した桃花は、自分の活躍の場を改めて学園の中に絞ることに決める。


 桃花はまだ学園でボロを出していない。そんな自分が三月のあまりに圧倒的な指し回しにビビってしまい、地面にへたり込んでただ戦慄していただけなどと知られたら、天将学園での自分の評価はガタ落ちだ。


(……今日のことは忘れよう。どうせあんな男、いくら強くてもあんな無謀なことばかりやってるようじゃいつかは荒波に飲まれて消えていくのがオチなんだから)


 桃花は自分の名誉を守るためにも、三月と二度と会わないことを強く心に決めたのだった。








 ──翌週。


 天将学園新学期と同時に開始される入学後の合同試験にて、桃花は全身から滝のような汗を流していた。


「……な、な、なななな……」


 クラス1の大勢の生徒、そして今年入って来たばかりの新入生たちがぞろぞろと顔を見せる中、桃花は絶対に遭遇したくない相手を見つけてしまう。


 ────今年の天将学園の入学試験を合格した新入生の中に、三月が入っていたのだ。


(なんでいるのよぉぉ~~!?!?)




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?