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第18話 真剣の間合い

平日の昼下がり、そろそろ天将学園の試験も終わったころだと彩香は家の時計を見て察する。


 これまで彩香の仕事に休みはなく、休日も平日も全部がネタ探しに必死の毎日だった。


 しかし、今はそうではない。零楽三月という絶好のネタを確保した。


 未知なる天才、新たな神童、異世界からの刺客。そんな胡乱に塗れた真実の所在などネタにしたところで誰も信じないだろう。


 だからこそ、彩香が書くのはここを起点とした始まりの章──『序章』である。それまでの経緯などどうでもいい。英雄の過去の真実を暴いて取る実など、腐り落ちたミカン以下だ。


 彩香にとって三月の存在はまさに金のる木。今を紡ぎ、これからを書き記し、三月の歩むべき覇道を誰よりも間近で見届ける。


 ──それこそが、彩香のジャーナリスト魂に則った絶対の矜持だった。


 きっと今回の試験でも、彼は何かをやらかしてくるのだろう。


 それが楽しみで仕方ない。


 何の功績も持たない底辺の無一文が、天下に名を連ねている学園を荒らす。そんな誰も想像できない出来事を三月ならやりかねないと、彩香は感じていた。


 いや、もしかしたらそれ以上のことを──。


「……やりすぎちゃってたりして」


 などと、今後の波乱をまるで待ち望んでいるかのように彩香は含み笑いで呟く。


 きっと今頃、彼を試そうとする試験官たちが唖然としている頃だろう。そんな風に彩香は考える。


 ──すると、家の窓をドン! ドン! と強く叩く音が聞こえた。


「?」


 誰だかは知らないが、玄関から入ってこないということは彩香の知人である。しかし、窓を叩く音は二回しか響かず、すぐにその窓は開けられて青年の顔が飛び出してきた。


「大変です! 彩香さん!」


「あら、山内くんじゃない」


 その男の名は『山内やまうち 太一たいち』。去年入ったばかりの新人で、彩香の仕事先の後輩だった。


 山内は慌てた様子で窓から身を乗り出そうとすると、休暇に耽っている彩香を見て事の重大性をなんとか伝えようとする。


「どうしたの山内くん? 今日はオフのはずだけど……何か良いネタでも見つかった?」


「いや、それどころじゃないですよ! 彩香さんのところで匿ってる子、大通りの公園で思いっきり指しやってるんです!」


「やってるって、賭け将棋を? まぁそれくらいのことは大目に見てもいいでしょう、あの子は想像よりもずっと強いし」


「違います! 対局している相手、武蔵派の首領ドンなんです!」


「……は?」


「しかも持ち金なくて掛け金青天井でやってるんです! もし負けたらあの少年、殺されますよ!?」


(もおぉぉ~!! またあの子は~~っ!!)


 彩香は今すぐにでも発狂したい気持ちを抑えて、現場に向かうのだった。


 ※


 天将学園などという異質な学園が建設される世界なのであれば、その世界の感性というものはひとつの"理"に準じた代物であることは間違いない。


 一見平等に見えて何ひとつとして平等でない以前の世界と比べたら、不平等が明確化されているこの世界の方がまだ生きやすい。


 ──そんな風に三月が考えてしまうのは、自分が前の世界で上手く事を運べていなかったからなのだろう。


 あれだけ氾濫する勝負の世界で勝ってきて、あれだけ人から金を奪い取ってきて、それでも満足できなかったのは、自身のいる場所が安寧の『地上』よりも酷く深い場所だったから。


 降りかかる火の粉を払いながら道端に落ちている宝石を拾い集め、その命が燃え尽きる瞬間まで必死に何かに食らいついてきた。


 終わりのない戦いで感じる楽しさは、もはや純粋な悦楽などではない。自分を殺そうとしてくる敵を排除できた時のような急激な放心と安堵。そして、そんな心情とは裏腹に湧いてくる次の戦いへの渇望。


 だからあの時、目を瞑るほどに発光した車のライトが視界に入ったあの瞬間、三月は思わず笑ってしまった。


 この荒んだ人生にようやく打たれた終止符。それまでずっと続いていた緊張の糸が切れ、願っていた休息への誘いに思わず笑みが零れる。


 ──やっと、この呪縛から解放されるのだと。








 ──決して咲くことのない花は、再び芽吹きの時を数え始めた。


「う、うわあぁぁ……っ!」


 少年が尻餅をつく。


 たかが盤上の遊戯で見せるその顔は、今にも命が取られそうになっている者のそれである。


 震えた指先は本来指すべきだった盤上から遠く離れ、恐怖に染まった青白い表情からは今にも涙が零れてしまいそうなほど歪んでいる。


「な、なんなんだおまえ……!?」


 その対局を横で見ていた名前も知らない少年の狼狽に、三月は興味なさげに対局時計を押す。


 局面は痛恨炸裂の王手飛車おうてびしゃ。その状況を一言で言い表すのであれば、三月の投擲した槍先が少年の心臓を貫いた格好である。


(誘い込まれたかのような王手飛車取り……。一体、何手前から読んでいたの……?)


 当事者から第三者へと落とされた勝気な少女が、三月の戦いを見て冷や汗を流す。


 自分と少年たちとの勝負に突然割って入って来たかと思えば、僅か数分で少年らをノックアウト。


 ほぼ全ての手を1秒もかけず指し続ける三月の指し回しに、ポーカーフェイスを貫いてきた立会人すら冷や汗を流す始末。棋士の登竜門であり魔境と呼ばれた天将学園に在籍しているその少女ですら、三月の指し回しに恐れを抱くレベルである。


 相手は自分と同じ子供とはいえ、武蔵派に属する有望な少年たちだ。事実、少女は少年たちの挑発に乗った1回目の対局では敗北を喫してしまっている。


 それは自分が天将学園の生徒だからと驕った結果だ。それくらいこの少年たちは強かった。


 それを、この男──三月は瞬殺である。


「終わりか?」


「は、はい……!」


 立会人が掛け金から手数料分を差し引くと、残された全額30万円を三月へと手渡す。


 今の三月は無一文である。──故に、三月が賭けたのは『天将印』だった。


 価値にして数千万、等倍どころではない。特に三月の所有している『天将印』はまだ天将学園での学生証明がなされていない未使用品である。


 入学試験に合格し天将学園への入学が認められた際、その者が所有している『天将印』が天将学園生徒の徽章として名前を刻印されあてがわれる。


 つまり、今三月が持っている『天将印』はまだ三月の名が刻まれていない状態。誰かが持てば天将学園への入学資格となり、その価値を増大させることができる。


 それをポンと立会人に渡し勝負を仕掛けてきた三月に、少年たちは目の色を輝かせて勝負を受諾。


 自分達の実力も知らない愚かなよそ者。武蔵派の面々が天将学園に見劣りしない高棋力集団の総本山であることを、この男は知らないのだろう。……そう少年たちは思っていた。


 事実、三月はそんなもの知らない。興味すらない。


 だってこの男は──。


「あー喉乾いた。さっさと買って帰ろ」


 自分の喉を潤すことにしか執着していないのだから。


 わなわなと震える少年たちに目配りもせず、万札を握りしめて去ろうとする三月。


 荒らすだけ荒らして消えていく台風のような三月の行動に、それを見ている観衆達も微動だに出来なかった。


 ──ただ一人を除いて。


「ほう、随分と面白いことをしておるな」


 三月の足が止まる。


 それは背後からではない、正面から現れた。


 公園への入口。その階段を一段ずつゆっくりと降りてくる巨漢。右腕には虎の刺青が入っており、首には剣先で切られたような深い傷跡が刻まれている。


 その大男を見た観衆は一斉に視線を逸らし、ある者は震えてその場に縮こまり、ある者はそそくさとその場から退散する。


「ひっ……」


「お、オヤジ……っ!」


 それまで三月に恐れをなしていた少年たちの目も、その大男に対しては三月の何倍もの恐怖を抱いていた。


 隣で様子を窺っていた天将学園の生徒である少女は、その大男を見て思わず口を開く。


「む、武蔵派の……首領ドン……!?」


 大男は自分の門下である少年らを一瞥すると、つまらなそうに鼻で笑う。


 そして、その少年らを下した三月の方へと向き直って淡々と告げた。


「見ない顔だな、柳緑りゅうりょく派の差し金とも思えん。兄ちゃん、ナニモンだ?」


「何者でもないが、しいて言うなら一文無しだな」


「クッハッハッ、先の一局で金銭は巻き上げておろうに」


「あぁそうだな。悪いが喉乾いてるんだ、もう帰っていいか?」


「まあ待て。せっかくこうして面を合わせたんじゃ、ちィとくらいワシと遊んでいく気はないか?」


「ない」


 三月はそう言って踵を返し、その場を後にしようとする。


 しかし、その歩みは大男によって阻まれた。


 三月が帰ろうとしていた道の直線上に立っていた大男は、右手に生えていた立木を片手で殴る。すると立木はメキメキと音を響かせ、三月の立っている方角へと倒れた。


 そのあまりの人離れした力に、周りにいた少年らは足が竦んで動けなくなる。


 もしこの大男の腕が三月の体に触れようものなら、五体満足ではいられなかっただろう。


 しかし、三月は全く動じた顔を見せることなく大男を見上げる。


「……簡単に死ねる人如きが、暴力で強さを語るなよ」


「無論だとも、ワシは知略でお主を折る」


「断るつってんだろ」


「ワシに勝ったらこの街で一番高い飲み物をおごってやろう」


「聞いているとも。──只、お主に選択の余地がないだけだ」


 押し問答にも似た状況の中で、三月は考える。


(賭け将棋が表世界に堂々と蔓延ってる時点で想像はしていたが、こんないかにもな風貌の奴も徘徊しているのか。向こうもロクな世界じゃなかったが、こっちはぶっちぎりだな。……さて、虎口を逃れて竜穴に入るか、棚から牡丹餅と置き換えるか)


 ここにいても埒が明かないと思い至った三月は、仕方なく大男と勝負する覚悟を決める。


 対する大男はやる気満々で三月の間合いにまで容赦なく迫ってくる。


 両者の幅数十センチ。文字通りの豪腕の大男を目の前にした三月にとって、その距離は自らの死がすぐそばにあるようなもの。


 普通なら腰が抜けるような状況においても、三月の鼓動は全く跳ね上がることはなかった。


 ──死など、既知の事象に過ぎない。


 そして大男は知らない。目の前にいる小さな真剣師が、その背後に死屍累々だけを残してきた怪物であることを知らない。


「はぁ……」


「……!」


 僅かな間で真剣師の目付きへと変わった三月に対し、大男の眉がピクリと動いた。


 ネズミだと思っていた男が向ける狩人の目に、得体のしれない恐怖を感じ取る。


「名を名乗ろう。ワシは武蔵派が首領、武蔵ごうなり。お主の名は?」


「忘れたな、価値がない」


「……上等。その価値ある名、勝ってから聞くとしよう」


 こうして、三月と武蔵派の首領の対局が幕を開けるのだった。


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