入学試験が終わった後の帰り道、三月は街中をぶらりと歩きつつ家路を辿る。
街中は今日も今日とて変わらず賑わっており、数分歩けばコンビニがある都会のテンプレを彷彿とさせるように、数分歩けば賭け将棋が乱立していた。
「ある意味バブルだな……」
三月はこの世界に来て様々なものを目にしてきたが、その中でも表だって行われる賭け将棋の鮮度の良さには中々目を見張るものがあった。
まず、この街では昼夜問わず当たり前のように賭け将棋が行われている。しかもその大半は中高生と思わしき年代が多く、掛け金は10万~20万の範疇だが、それでも学生にとっては大金だ。
彼らはそれを平然と台に乗せ、中には遊びの一環とでもいうかのように笑い合いながら指し合ってる者もいた。
そしてもう一つは、これだけ賭けごとが乱立しているにも関わらず、勝敗の結果に抗議をする人間が少数だった。
賭けごとが自然の摂理として構築されている社会とはいえ、彼らは野良だ。普通なら不正やら喧嘩やらが勃発してもおかしくない。
だが、勝敗に悔しがるものはいれど、胸ぐらを掴んで異議を申し立てる者はいなかった。
「……」
三月は賭け将棋が行われている1つの戦場に目を向ける。
そこにはテーブルを挟んで1対1の対局者が席に座り、その間にまた別の人間が立っていた。
──あれは俗にいう、立会人だ。
立会人が間に入ることで勝負中の不正を良しとせず、勝負は公平に行われる。
無論、中には事前に耳打ちをして立会人を味方に引き込もうとする者もいたが、立会人は首を横に振って断固としてフェアプレーに徹するタイプが多かった。
何故なら、立会人の信頼度は今後の儲けに繋がる。下手に片方の相手を贔屓したりしてしまうと、立会人としての信用度が下がり、依頼が来なくなり、結果的に損失が大きくなる。
目先の金より将来の安定。立会人を務める者の大半がその矜持を持っているため、街中で行われている賭けごとは思ったよりも不正なく決着がついていた。
(立会人は賭けられた金額の何%か、もしくは固定で何円かの決まった手数料を受け取ることで生計を立てていると彩香が言っていたな。それに、今となっては不正をすること自体がリスクになっているせいで、立会人はほとんど棒立ちしているだけで金が稼げるらしい。……まあ、そうして母数が飽和していけば今後の新規はどんどん参入しづらい環境になっていくのだろうが)
等と小難しいことを考えていた三月は、ふと街中にある自動販売機に目が行く。
(……喉乾いたな)
そんな思考に対し、三月の体が欲していたのは水分ではなく糖分である。
現代で殺され、この世界で目覚めた時から三月はほとんど娯楽に触れていなかった。ポーカーフェイスのような落ち着きのある表情とは裏腹に、とにかく生きるのに必死だったのである。
しかし、今の三月には余裕が生まれている。そして、余裕が生まれれば欲求も生まれるのが道理。
三月の体は刺激の強い炭酸飲料水を欲していた。
(とはいえ……)
三月はポケットに手を入れる。
──無一文。この世界に来てからその状況は変わっていない。
これまで最低限の行動しかしてこなかったツケ。史上最強の真剣師でありながら一銭たりとも金銭を持っていないなど、中々にシュールな光景だ。
道中で稼ごうにも、肝心の相手と立会人を見つけるのが面倒くさい。このまま家に帰って彩香に買いに行かせた方が早いかもしれない。
……そんなことを考えていると、奥の方から叫び声のようなものが聞こえた。
「──ぎゃはははは! だっせぇ! それでも天将学園の生徒かよ!」
「天将学園の生徒つっても、コイツ『クラス1』らしいぜ!」
「ざっこ! 落ちこぼれじゃねぇか!」
どうやらそれは叫び声というより、誰かを罵倒している声だった。
振り向くと、公園の中で中学生ほどの少年たちが指をさし、彼らより少し背丈の小さな少女をバカにしていた。
「~~~ッ!!」
対する少女の顔色は少年たちの罵倒に怯えているわけではなく、どちらかというと勝気な表情で悔し涙を流しているような状態だった。
少年たちの傍には目を瞑って無関係を貫き通す立会人がいることから、どうやら少女と少年らの間で賭け将棋が行われ、少年たちが勝ったことが窺える。
「じゃ、この金はオレらのものな」
「悔しかったらもう一戦してやってもいいぜ?」
「くぅ……っ! じょ、上等よ! 今から家に行ってお金取ってくるからそこで待ってなさい!」
ギャンブラーの
いくら秩序が保たれてても、道徳が繁栄しているわけではない。金銭の絡む物事というのはいつの時代、どの世界においても人の理性を狂わすものだ。
それは倫理観が欠如している三月だからこそ理解できるものである。
(……なるほど)
三月は公園の中にいる大人たちの反応を見て、納得を示す。
遠目から少年たちの横暴に文句を言いたげだが、それができないといった様子でただ一瞥しているだけの数人の大人たち。
それが意味するものは当然ひとつしかない。──少年たちの棋力が、この場にて誰よりも高いということ。
自分達が舞台にしているのはあくまでも将棋。暴力でも無ければ知恵比べでもない。純粋な知略で勝敗を決めるボードゲームである。
故に年齢差は関係なく、誰がどのくらい強いのかは見た目で判断できるものじゃない。子供が大人に勝つこともあれば、老人が子供に勝つこともある。
今この場で見ている者が誰も少年たちに挑まないということは、彼らはそれだけこの街では強いのだろう。
もしくは、所詮は子供の賭けごとだと誰も相手にしていない可能性もある。しかし、少年たちが先程倒したの少女が天将学園の生徒だというのなら、その実力が本物なのは疑う余地がない。
……三月の足が動く。自動販売機で突っ立っていた体が公園へと引き寄せられるように、少年たちの方へと近づいていく。
イジメられている少女が可哀想だ。……などという善意で動いた足ではない。
──こんな所にジュース代が落ちている。ただそれだけの思考である。
「オレらこの街じゃ最強だからな、次も挑みたきゃもっと金持ってきてから……ん?」
少年たちより一回り大きい体格をした影が近づき、その影はあっという間に罵詈雑言を浴びせていた少年の頭上を覆う。
これまで、ほとんど家から出ていなかった三月を知る者は街中でも少ない。だが先日、商店街の店主であり元強豪の一人だった横山を倒したという謎の男の情報は街中で噂になっている。
公園で新聞を読んでいた眼鏡を掛けたサラリーマンが一瞥。三月の顔を見た瞬間に二度見する。
少年たちは知らない──。
「なあ、俺も混ぜてくれよ」
──その男が、前世で最強の真剣師であったことを。