目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第15話 歴史的瞬間

 試験が始まると、最初に配られたのは2つの問題集が記載された問題用紙だった。


「2枚とも裏返しで渡されているだろうが、始まるまでめくるな。今から試験内容を説明する」


 全員に問題用紙を配り終えた後、試験官の男が教壇に立つと、白のチョークを手に取って黒板に文字を走らせる。


「本試験は事前に伝えた通り、この筆記試験のみで合否を判定する。試験時間は60分。問題はすべて……将棋が強ければ分かる。カンニング等の不正行為は即失格だ。質問は?」


 静まり返った教室から質問が来ることはなく、全員が委縮し、緊張を取り戻し、息を呑む。


 試験官がそれを確認すると、持っていたチョークを置き、後ろまで聞こえるほどの大きな声で、ついに始まりの合図を告げた。


「──では、開始だ!」


 全員が一斉にペンや鉛筆を持ち、問題用紙をめくる。


 三月も遅れて問題用紙をめくり、そこに書かれていた問題を把握する。


(……これは、詰将棋か)


 詰将棋──それは、将棋における最後の仕事、勝利を目指す過程からゴールまでを描く問題だ。


 これは、駒が配置された指定の局面から、王手の連続で相手の王様を詰ます。いわばパズルゲームのようなもの。


 ただし、正解は1種類しかない。


 三月の見た問題には、こう書かれていた。


『問1、次の詰将棋を解答せよ(3手詰)』


 横には問題となる詰将棋の盤面が描かれており、これは当然動かすことができないため、頭の中で図を動かして解く必要がある。


 今回の問1で出されていた3手詰の詰将棋問題であれば、自分、相手、自分、の計3回の指し手で相手の王様が詰むことを指す。つまり、3手答えれば良い。


 一見簡単そうに見えるが、この作業には唯一難点が隠されている。


 それは、相手の手も考えなければならないということだ。


 自分、相手、自分。この工程の中で最も難しいのは、相手の手番の時だ。普段であれば、相手の手番の時は自分が指すわけじゃない。自分は自分の手を指せばいい。


 しかし、詰将棋では相手の手も考えなければならない。そして、その手は必ず最善手である必要がある。何故なら、正解は1パターンしかないのだから。


 これが、将棋でいうところの『先を読む』に当たる。


(……なるほど)


 三月は問題の横に描かれている問題の盤面をサッと一瞥すると、1秒も考えることなくペンを走らせる。そして、問1の3手詰を難なく解き終えた。


 その後の5手詰の問題も僅か3秒で解き切り、そのペースは落ちることなく次の問題へと移行し、次々に解き切っていく。


(多少工夫された問題だが、最初の方はまだ甘い。この程度はここに来ている者なら誰でも解けるはずだ。つまり、問題は後半か……)


 三月の予想は当たっていた。


 後半の問8にて、それまで流れるようにペンを走らせていた三月の手が止まる。


『問8、次の詰将棋を解答せよ(51手詰)』


 長手数の詰将棋が、そこには現れた。


(これは……)


 51手、それはつまり、51手先を読めということだ。


 駒を動かせるのであれば、51手詰などわけはない。しかし、頭の中で51手も先を読むとなれば、盤面の記憶が曖昧になってしまうのはもちろん、自分と相手の持ち駒の計算すら分からなくなってしまい、解くに解けない。


 しかも、三月はその問題を解いている最中に嫌な予感を感じていた。


(……51手にしては出来が良い。簡単な並べ詰めじゃない。特に中盤、20手前後は駒の利きが多く、外れの道が多岐にわたっている。そして29手目……終盤に入ろうとしているこの入り口は、単純な構造に見えてどの手も詰まない道に繋がっている。なるほど、ここは妙手を見つけないと解けない仕組みになっているのか)


 通常、詰将棋というのは手数が多くなるほど雑になってしまうのが普通だ。何故なら作り手もまた、長手数の詰将棋を作るにはそれだけの苦労が伴うからである。


 どんなに優秀な詰将棋作家であっても、30手を越えた辺りで質が落ち始める。10手や20手前後に芸術的な詰将棋問題が多いのは、その辺りが分岐の限界であると理解しているからだろう。


 そもそも、将棋の終盤である詰めろの段階では、王様を詰ますパターンは複数存在しているのが一般的だ。


 しかし、詰将棋の問題は正解を1つに絞る、いわゆる『完全作』と呼ばれる作り方をしなければならない。


 今回の問題は51手詰。どこかにほころびが出てもおかしくないほどの問題を、しっかりと難所を残しながら作り終えている。


 そうなれば当然、簡単に解くことなど出来はしない。


(……見つからないな、俺の頭の中の図が間違っているのか?)


 ここまでほぼ1分でたどり着いた三月だったが、問8では既に20分以上躓いていた。


 この辺りで周りの受験者達も問8にたどり着き、その難易度に気づいたのか、ペンを走らせる音が一気に消えていく。


 三月は頭の中で中盤まではスムーズに解いていったが、どうしても29手目で止まってしまう。


 直前の27手目や25手目まで下がって、色々なパターンをしらみつぶしていくが、どれも詰まない。そして、唯一詰みそうな道を進むと、やはり29手目で躓く。


(躓くだけで、詰まないと決まったわけではない。だからこそ、ここで妙手を探せという合図なのは理解しているが……いや、そこが間違っているのかもしれない)


 三月はそれまで頭の中で描いていた盤面を消すと、再び初手から考え始めた。


(ここで妙手を見つけないと解けない仕組みになっていることは、ここまで解いてきた者なら誰でも気づく。だが逆に言えば、その先が見つからないのは『そこで指すべき手が妙手だから』と言い訳しているからだ。──間違ってるな、これはブラフだ。ここに妙手なんてありはしない。本当の妙手は……)


 三月は再度1手目から順を追って読んでいき、その手を1手ずつ答案用紙の空いたスペースに書きつらねていく。


 そして、13手目──『▲6一飛成』と書いた瞬間に、その手が止まった。


(ここか、13手目。ここは普通なら手順に飛車を成った方がどうみても王手が続く。仮に短手数の詰将棋であれば不成も考えられるが、これは長手数だ。こんな序盤で成らない選択肢はないだろう。……だが)


 三月はその先を慎重に読んでいくと、それまで止まっていたペンが少しずつ動いていく。


(……細い。だが、続いている。今にも途切れそうな細い一本道だが、王手が続く)


 次第にその速度は増していき、ついに、さきほど躓いていた29手目をあっさりと抜け出す。


 そして、今まで三月の思考の中で停滞していたいくつもの局面が動き出した。点と点が繋がったのだ。


(44手目。ここで最初の不成が利いてくる。それまで一切利きが通ってなかったが、ここまでの長手数の過程で駒が移動し、それによって利きが生じ、結果詰みに繋がる。──そして51手目。▲4七桂までのこの手が、確かな51手詰だ)


 答案用紙がギチギチになるまで、三月は51手の手を書ききり、ついに問8を制したのである。


(さて、まだ問9と問10が残っている。それにまだ1枚目だ。残りは30分、急がないとな)


 想像より苦戦していることを自覚した三月は、本格的に気合を入れて問題を解くスピードを速めていく。


 しかし、三月は知らない。


 この問8が、そもそも解かれることを前提として出された問題ではないということを。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?