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第13話 実力=クラス

 天将学園への入学に向けて、三月はその日が来るまでの約1ヵ月間、ずっと将棋の研究に没頭していた。


 どうやら天将学園に入学するには、入学試験を受けなければならないらしく、三月はそのための予習として将棋の勉強と研究に励んでいた。


 そして試験内容は当然、将棋に関する問題ばかりとのこと。


 これにはさすがの三月も乾いた笑いを零していた。


 そして、今では彩香の家に泊まり込む生活にもすっかり慣れ、彩香の部屋にある膨大な書籍をむさぼるように毎日読み漁る日々を繰り返している。


 そうしているうちにも、この世界のことに関して少しずつ理解が深まっていた。


「ただいまー」


「……」


「ただいまー!」


「……」


「ただいまって!」


 ポン! と買い物袋を三月の頭の上に乗せる彩香。


 当の三月本人は、手元で読んでいる定跡書の暗記に夢中で一切反応を示さない。


「もー、三月くんってば、あれからずっと本ばかり読んで……たまには外に出ないとダメですよー?」


「2四金」


「符合で返事するなっ」


 ぷんぷんと怒りながら、彩香は買ってきたビールを冷蔵庫の中にしまっていく。


 三月はそんな彩香を一瞥して、実は聞いていた彩香の言葉に心の中で返事をする。


(大体の情報収集が終わって、今は外に出る必要が無くなっただけなんだがな)


 三月は、この世界の情勢について既におおよそ理解していた。


 まず、この世界は将棋が絶対と謳っている割には、将棋の人口がそこまで多いわけではないということ。将棋に対する興味や関心は、前の世界とは比にならないほど大きいものの、将棋そのものを主戦場としている、いわゆる"将棋指し"はそこまで多くない。


 そのため、社会全体のインフラが崩れるような事態には陥っておらず、これほど狂った世界でありながらも、意外に安定して日々が紡がれている。


 なぜこんなことが起きているかというと、単純に将棋指しのレベルが高すぎる点にあるのだという。


 三月がこれから入学しようとしている天将学園もそうだが、最低限求められる将棋の実力とその敷居が高すぎて、大多数の人間はそもそも競技の舞台に立つことができない。


 将棋だけで食っていけるレベルに到達するには、最低でも天将学園を卒業するくらいの実力が求められ、この倍率は100倍や200倍ではきかない数値であることが彩香から話された。


(天将学園……想像以上に難関なところなのかもしれないな)


 舐めていたら一瞬で奈落の底に落とされる。油断はできない。


 三月が真面目に将棋の勉強をしているのは、周りからそういった話を聞かされたからでもあった。


(しかし、ここにある将棋本……昔の知識と侮っていたが、読んでみれば案外発見が多い)


 三月にとって、この世界の知識は既に通り過ぎたものである。だが、AIによって何もかもが最適化された知識だけでは、人類が築き上げてきた血と涙の結晶には敵わない。


 かつての世界でその一端を垣間見たことがある三月は、古い知識であっても貪欲に食らいついた。


「彩香」


 定跡書を一通り読み終えた三月は、本を棚に戻した。そして、ビールをごくごくと飲んでいる彩香を呼ぶ。


「はい、なんですか?」


「準備をする。そろそろ天将学園について教えてくれ」


「……! 分かりました。私の知っている限りのことを教えます」


 三月の目の色が変わる。それが以前横山と対局する際に見せた目と同じだったことを思い出した彩香は、アルコールによる酔いが回る前に真剣な面持ちで三月の体面に座った。


「まず、前にも言ったように天将学園は普通の学校とは大きく違います。今の日本には天将学園のように将棋を中心とした学校、学園が多く存在していますが、天将学園ほど将棋に資金を費やしている場所はありません。入れば間違いなく、100%将棋が強くなるでしょう」


 少しだけ含みのある言い方をされるも、三月は首肯して彩香に続けさせる。


「そして、天将学園には実力によるクラス分けが存在しています。クラスによって授業の内容が変わるため、年齢による学年分けは存在しません」


「それはいいな。年齢で分けずに、自分の実力に合った授業を受けられるのか」


「はい、クラスは全部で7つ。入学時は全員が平等にクラス1ワンです」


 7クラスもあるということは、それなりの人数が想定される。しかし、年齢による学年分けが存在しないことを考慮すると、意外にも生徒の人数は少ないのではないかと三月は思う。


「1が起点ということは、実力が評価されるほどに数字が上がるのか」


「そうです。クラス1は低級、クラス2は中級、クラス3は上級、それ以降は魔境だと思ってください」


「3で上級とは、随分と差がある学園だな」


「それほど異常な連中がいるんですよ……。いえ、今の三月くんが気にするようなことではありません。まずはクラス2に上がるところから、地道に上を目指していきましょう」


 彩香は三月が横山に圧勝したところを間近で見ている。そんな三月に対して"地道"にという言葉が出るほど、天将学園のレベルの高さが窺える。


 三月は暫し思案した後、彩香に尋ねた。


「それで、その学園は何年で卒業になるんだ?」


「卒業は5年以内かつ、クラス4に到達していればいつでも可能です。卒業すれば天将学園卒業の証が貰えます。その時の所属するクラスによって卒業の証の価値は変わりますが、少なくとも天将学園を無事に卒業することができれば、その後の人生はバラ色になるでしょうね」


 その価値については、これまでの倍率とその難易度を鑑みれば、確かに納得のいくものである。


 故に、三月が心配するのは──。


「もし、5年以内にそのクラス4とやらに到達できなかったら?」


「退学となります」


 バッサリと彩香の口から告げられた。


「……なるほど、大体は分かった。それで、クラスを上げるには具体的にどうすればいい? そこら辺をうろついてる生徒に対局でも挑むのか?」


「それで上がる場合もあると聞いたことがありますが、厳密には教師が定期的に行う試験等によって、その生徒の持つクラスの昇格と降格が決まると言われています。詳細は学園に入ってから聞かされると思いますよ」


「なるほど」


 必ずしも明確な勝敗によって決まるわけではない。それは悪く言えば、学園側の恣意的な判断で決まるということ。


 つまりは、教師に気に入られる必要もある。


 前世では"勝つことが全て"と何も気にせず傍若無人に振舞っていた三月にとって、他人に媚びる行為は溜息ものである。


 しかし、それとは別に新鮮さを帯びる喜びもあった。


「少し、楽しみだな」


「……三月くんが笑うところ、初めて見ました」


「そうか?」


「ええ、その悪だくみを考えてそうな目付きでさえなければ、年相応で可愛いですよ」


 悪いことなど一ミリも考えていないんだがな、と三月は本棚の端から定跡書を取り出し、再び最初から読み始めるのだった。


 ※


 寝ている間は現実を忘れられる。そんな風に思っていた時期もあった。


 午前2時、真っ暗となった部屋の中で、神無月凛は目を覚ます。


「……最悪」


 呟かれた一言は、カチ、カチ、カチ……と一定のリズムを刻んで音を出す時計の針に向けられる。


 泡沫の中に入っていた幸福とも呼べる時間。それを決壊させたのは、凛の部屋の時計の秒針である。泡をつつく無邪気な子供の指先のように、幸せな夢の続きは時計の針先によって弾けて消える。


 凛はそれでも諦めきれず、目覚めた意識を無理やり手放そうとする。


 夢の中で指していた自分は、理想の自分そのものだった。


 盤上に熱がこもる。いつもの凍り付いた冷酷な手付きとは違う。熱く、情熱的な感情が乗せられた綺麗な指し手が、盤上に様々な音色を奏でる。


 美しかった。ただただ、美しかった。


 まるで、そんな手を指せる自分がいるかのような、やけに現実感のある夢。何の苦労もしてなさそうな顔から生まれ出る理想の指し手は、現実に引き戻された今の自分からしてみれば最悪の顔だった。


「……寝れないわね」


 凛は結局ベッドから起き上がり、つけっぱなしにしていた電気スタンドが置かれた勉強机に移動する。


 机の上には教科書や定跡書が散らばっており、いつも勉強に集中して片付けるのを忘れてしまっているのが色濃く表れている。


 寝る前まで読んでいた定跡書のページには、付箋の代わりに学生証が挟まっていた。


「はぁ……なんで私、学生証を付箋に使ってるのよ」


 凛は目をこすりながらも筆箱から付箋を取り出すと、それを定跡書のページに貼り付け、代わりとなっていた学生証をバッグの中に投げ捨てる。


【生徒番号229・神無月凛・クラス4】


 学生証には、そう書かれていた。


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