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第12話 入学決意

 三月の言葉を受けて、彩香は硬直したようにピタリと体を静止させる。


 ──別の世界からやってきた少年。


 ああ、なんて突拍子もない発言だろうか。冗談か、何かから気を反らしたいのか、それとも単にバカにしているのか。


 様々な憶測が渦巻くであろう、そんな三月の発言に、彩香は驚愕の反応を見せるでもなく、ただただ三月の目を覗く。


 手荷物を傍に置き、まるで自分の実家にでもいるかのようにくつろぐ三月から視線を外さず、自らもまた腰を下ろして三月に目線を合わせる。


 ──今の彩香にとって、三月の口から紡がれる真実はさほど重要ではない。


 故に、彩香はテーブル越しに三月を幾ばくか凝視した後、その口を開いた。


「信じます」


 一瞬、三月の瞠目した表情が窺えた気がするが、それは彩香の中で確証に変わる前に三月の顔は逸らされた。


「そうか」


「それが……三月くんの抱える秘密の全てですか?」


「いや、半分」


 三月の短い返答が静かな空間に染み込んだ。


 彼の声には何の感情も含まれていない。淡々と、どうでもよさげに吐き捨てられるその即答は、まるでその答えが重要ではないと言っているようにも聞こえる。


 であれば、これ以上の詮索をしても意味を為さないだろうと、彩香は記者としての直感でそう感じ取る。


 そして、彩香は少しばかり息を呑むと、自らその話を切り出した。


「三月くん」


「?」


「──天将学園に入学しませんか?」


 彩香はさきほどの、横山との勝負で得た『天将印』をポケットから取り出すと、これ見よがしに三月に向けてチラつかせる。


「天将学園? なんだ、それは?」


 三月はわざとらしく尋ねる。


 今この日本で、天将の名を知らない者は存在しない。それほどのエリート校として名を馳せている。


 しかし、三月はあくまでも無知を演じる。いや、演じているのかどうかを確証付けさせないためのセリフであることを彩香は悟る。


 別な世界から来た者という設定を守るためなのか、それとも本当に知らないのか。三月の言葉が軽くなればなるほど、彩香は三月の存在に興味を惹かれる。まるで呪いのように。


「天将学園は将棋を中心に学ぶことのできる学校です。通常の学校と違い、年齢によるクラス分けをしておりません。──ただし、実力によるクラス分けは行われます」


「学校というより、養成機関のようなものか」


「あながち間違ってはいません。将棋の頂点を目指すのであれば、天将学園に入ることが一番の近道と言われています」


 三月は顎に手を添えて静かに考える。


(80年なのに奨励会が存在していないのか。いや、この時代は厳密には昭和じゃないんだったな。……にしても、将棋の学園か、いよいよファンタジー染みてきたな)


 そんな風に考える三月の表情を、彩香はさきほどからずっと見続ける。視線を三月から外さず、彼の心の奥底にあるものをなんとか覗き込もうとしていた。


 だが、表情に出さない三月の冷静な感情は、依然として掴みどころがない。


「どうですか? 三月くん。天将学園に行けば、もっと多くの強者と対局できる。君のような人なら、間違いなく上位に入れるはずです」


「と、いいつつ、俺の活躍を背に何かしようとしているだろ?」


「あはは……末恐ろしい少年ですね。もしかして、もう私の意図には気付かれてるのですか?」


「さぁ? 俺はこの世界に来たばかりで、何も分からない身だからな」


「……良い免罪符を手に入れましたね」


「俺は真実しか喋っていない」


「……嘘つき」


 苦し紛れにそう言い放つ彩香に、三月は鼻歌を歌って視線を外す。


 三月はその言葉通り事実しか喋っていないが、彩香にその真偽を見分けることはできない。


 元より突拍子もない真実を告げられ、彩香はそれを信じると前提を踏んでしまっているが故に、その後の三月のあらゆる異質な言葉に説得力を持たせてしまっている。


「それで、俺がその天将学園に入るとどうなる?」


「"生きる術"を手に入れられます」


「それは凄い。俺みたいに身分もなく、実績もなく、別の世界から来たどこの馬の骨とも知らない一文無しでも生きる術を手に入れられると」


「……とことん立場を利用しますね。ええ、そうですよ。そもそも学園に入学出来れば適切な身分証明書が発行されます。仮に身分の無い孤児であっても、天将学園への入学を果たせば十分に社会復帰が可能でしょう」


「そりゃ凄い、将棋が強ければ社会でも生き抜けるのか」


 将棋が強ければ何でもありに思える世界に、賭博の一端で生きてきた三月でさえ僅かに引いてしまう。


 その流れで、三月は今まで疑問に思ってきた最大の問題を問いかけた。


「そもそもだ、そもそも、なぜ将棋がこんなにも重要視されている? さっきの大金を賭けた勝負の時もそうだったが、まるで将棋の勝敗が全てを決めると言わんばかりの流れだった。……一体、この世界はどういう常識で成り立ってるんだ?」


 普通であれば、その問いは三月から投げかけることはできない。この世界にとって異常なのは三月の方であり、三月が尋ねたい疑問に真正面から答えてくれる聖人はきっと、探すだけでも苦労する。


 しかし、彩香との対話においては三月の問いは不思議ではない。何故なら三月は、話の前提として別な世界から来たことを明かしているのだから。


「……もしも本当に、三月くんが別の世界からやってきた人なのだとしたら、その真相は私の口から聞くべき話じゃないと思います」


「つまり、それほど重要な事柄だと」


「はい、とても。……そしておそらく、他の誰かに聞いても同じような答えが返ってくるでしょう」


 彩香の答えは、三月の疑問の根底を解決するものではなかったが、三月はそれで十分と判断する。


「……そうか、なら質問を変える。将棋の棋力、実力は、この世界においてどれほど重要なんだ?」


 どちらかと言えば、聞きたいのはこっちだった。この問いであれば単純明快な答えが返ってくる。


 そして、それは──最大の言葉となって彩香から返ってきた。


「──"最も"です」


 それを聞いた三月は鼻で笑って苦笑する。


「そうか、狂ってるな」


「……そうですね。そう思っていた時期が私にもありました」


 最も、最重要。つまりはさきほど三月が告げた通り、将棋が全てを決める世界ということである。


(概ね予想通りだが、こういう時の予想通りは大抵間違っていることが多いだろうな。変に考え出してドツボにハマることだけは避けたい。神を欺くには……なんて大層な欲を持っている内はダメだ)


 三月は俯瞰して自分の愚かさを心の中で咎める。


 そして、くだらないことを思いついて不敵に笑みを零した。


(平凡な学生を失敗し演じてみるのも悪くないか)


 迎合が求められる。余計な疑問は神への反逆イレギュラーになるだろう。


 ならば『将棋が全てを決める世界』を受け入れよう。受け入れるだけでいい。それで三月の前に広がるのは実に単純な世界になる。


「分かった。その『てんなんとか学園』に入ろう」


「『天将学園』です!」

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