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第9話 容赦無き死体蹴り

 鈍器で殴られたかのような衝撃だった。


「なんだ、アレ……!?」


 三月の放つ戦法、横山の棒銀を逆利用するかのように振りかぶったカウンターの棒銀。それはいわゆる『逆棒銀』と呼ばれる高等戦術である。


 通常、相手の飛車筋に自身の飛車を転換する"線対称"のような戦法を『向かい飛車』と呼ぶ。


 三月が行ったのはまさにこの『向かい飛車』だった。


 相手の飛車先、横山の大砲の直線状に自らもまた大砲を設置する。互いの大砲が向かい合う究極の衝突陣形。


 誰もが知る、誰でも使える一般的な戦法──『向かい飛車』。それだけなら、誰も驚きはしなかった。


 三月がやったのはその逆利用、自らの意思による戦術の要として指したのではなく、事象の必然、一連の手順の一部として向かい飛車を放ったのだ。


 横山の砲撃が、打った大砲の弾が、見たこともない"高等な手順"によって起爆しないままキャッチされ、自身の砲台にその弾を装填し、横山に狙いを定めている。


 意味が分からない。一体どういう理屈でそれが成り立っているのか、理解できない。


 三月の放つ向かい飛車の逆棒銀は、横山の攻勢を壊滅させている。横山の大砲は潰れ、火花を散らして大破している。


 ──観衆達は、言葉を失っていた。


 天将学園の生徒ならいざ知らず、どこの馬の骨とも知らない少年の一手など、相対する価値すら生まれないはずである。


 ましてやこの"黄金時代"に盗人を働くような貧民など、知性があるとは到底思えない。


 そう、すべては三月に対する侮り。それは何も横山に限った話ではない。この対局を観戦する周りの者達、野次馬のように一瞥する通行人達、そのすべての者達がただの少年を侮っていた。


 それは三月を支持する記者の彩香も同様である。彼女が三月に対して送る視線は期待であって願いではない。あくまで、少しでも何かが堀りだせれば、自身の状況が好転し何かが生まれればと、大穴にチップを投げ入れたに過ぎない。


 故に知らなかった。目の前の少年がどの程度の棋力を秘めているのかなど、彼らには知る由もなかった。


 観戦者達の口が閉じる。いや、開いている。開いた口から言葉のひとつも出てこない、欠片すら言葉を紡げず、息すら吐くのを忘れている。


「…………ウソ……」


 彩香の絶句が雨粒のように落ちていった。


「な、なんだ……これは…………」


 三月と対局している横山も、同様の驚きを見せる。いや、驚いているなんてレベルではない。目が死んでいる。


 綺麗になった盤面を目指すべく、落ちてるゴミでも拾うかのような行為。ちり取りでゴミを回収し、駒台に1つ、また1つと乗せていく。


 なんだこれは──?


 どうなっている──?


 どうして、こんなことになっている──?


 ポロッ──と1つの駒が駒台から落ちていき、彩香の足元に転がり落ちる。


「あぁ、悪い。取ってくれるか?」

「……え? あ、は、はいっ」


 彩香は慌てたように駒を拾うと、両手を広げてその駒を乗せ、まるで神に供物でも捧げるかのような姿勢と態度で三月に返した。


 まるで別人、まるで異様。それはもはや人に対する尊厳の有無などではなく、何か別の、自分達より上の種に対する絶対的な敬服を示す態度だ。


 ──そう、絶対である。


 この世界では『将棋ソレ』が絶対である。


 三月は知らない。この世界がどういうルールで成り立っているのかを。ただ三月は目の前の対局に全力を費やし、横山を己が力でねじ伏せることしか考えていない。


 だが、周りは違った。三月に対する印象が激変した。


「おい、マジかよ……」

「どうなってんだよ、あの少年の将棋……!」


 開始当初、なぜあんなにもガヤが集まり、大金が平然と賭けられ、将棋について疎ければ罵声が飛び交っていたのか。


 答えは──それが『正義』だから。それこそが世界の根幹と為しているから。


 あり得ない。とのたまう時代は数年も前に終わりを告げ、新たな改革に強制的な迎合を求められた。


 時代は変わった、変わったのだ。確かな日常と共にあった常識ある世界は、10年も前のとある事件で崩壊した。


 今やそのことに疑問を抱く者はいない。いたとしても、生き残れない。


 将棋だ。将棋がすべてだ。そんな喝采と共に生まれ出た世界の一端で、今日も新しい一局が始まりを告げる。


 少年の顛末になど興味はない。主役は別だ。ベーカリーこそ仮の姿、かつての世界が形成される以前に猛威を振るった男、横山。


 一時は身を引いても、その実力は確かに残っている。


 初見相手なら絶対に潰せると言ってもいい『棒銀』を手に、横山は大鎌を振りかぶった。自らの利益を追求するために、全力で少年に襲い掛かったのだ。


 これが将棋だと、これがこの世界の理不尽だと、そう告げるために。


 ──三月はそれを、ホコリでも吹き飛ばすかのように一掃した。


 一掃し、反撃を加え、横山の知らない手の応酬をもって場を縦横無尽に荒らしまくった。


(悪いな、あまりに出来レースだ)


 三月は横山の駒を1枚、また1枚とはぎ取っていく。


「ぐぅ……ッ!?」


 その度に横山はまるで痛みでも伴っているかのようなキツイ表情を浮かべ、三月の攻めに悶絶していた。


(ここが昭和の時代だと確定したわけじゃないが、指し方の"クセ"があまりにも古すぎる。平成、令和と100年近くも紡いできた将棋の歴史の中、俺とアンタの知識量には膨大な差がある。それはつまり──)


 三月の背後、その一部始終を観察していた彩香は、手に持っていたペンを落とす勢いで我を忘れていた。


(す、素晴らしい……素晴らしすぎる! こんな将棋は今まで見たことがない!)


 恒久的に平凡な動きで巻かれていたネジが、狂い始める。


(確かに単純な戦法である棒銀の咎め方はいくつも対策が存在している。けれど、そのどれもが低姿勢での防御、謝るような格好の受けばかり。こんな、こんな真っ向から派手に受ける対策があるなんて……私は知らない……!)


 そう、知らない。逆棒銀を繰り出した三月の"高等な手順"。それは彩香を含めたすべての者が知らない対策である。


(三月くん、一体どこでこんな対策を知ったのかな……!)


 知とは叡知、叡知とは結晶。万物の中から限りなく正解に近い答えを作りだすには、普通なら膨大な時間を必要とする。


 三月が振り回すもの──知識、知恵、知略、そのすべてに根源はない。


 何故なら、その対策が生まれたのは未来の話。未来で作られる知の結晶体である。


 今この世界には、三月の振るう武器の情報が全くもって存在していない。


 故に、知り得ることなど不可能である。


「クソ……っ!」


 横山の表情が絶望に染まる。知を振るう者にとって最も露わにしてはならない"感情"が全身を駆け巡り、汗となって流れ落ちる。


 ──三月の駒台には、駒が20枚以上乗せられている。


 将棋の駒は全部含めて40枚しかないというのに、そのうちの20枚を三月は駒台に所有しているのだ。


 あり得ない光景だった。


「……わ、わかった。小僧……お前が強いのはよく分かった! オレの負けだ!」


 横山は悔しがりながらもその頭を下げた。


 こんな小童風情に負けたとなれば、そのプライドは大きな痛手を負うだろう。だがこの状況、この惨状、横山にはもう勝つ手立てがなかった。


 少年の棋力はあまりにも大きい。自分の戦法を一瞬で跳ねのけた時点で、勝敗は決まっていたのだ。


「──何言ってんだ?」


 頭を下げた横山に、そんな冷たい声が吐き捨てられる。


「投了は無しだと、そう決めただろ?」

「は……?」


 真剣師──トバリの三月の独壇場が、始まろうとしていた。

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