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第7話 記者彩香、犯罪現場に遭遇する

「はぁ……」


 ガラガラ、と音を立てて自身が抱える道場の扉を閉めた彩香あやかは、どんよりした顔色で街へと繰り出す。


 片手にはペン、後ろのポケットには自身の書いた新聞記事。そして財布にぶら下がる小さな将棋の駒がデザインされたキーホルダー。


 彩香は将棋関係の記者だった。


「これで14件目。フッ、いよいよ私の名折れも秒読みね」


 彩香は現状を悟って虚空に思いを馳せると、段々とその顔に影を落とし、やがて持っていたペンをバキッとへし折った。


「……なーにが秒読みじゃ、バカぁーー!!」


 ──窮地、彩香は窮地に立たされていた。


 順風に吹く風を追って得た仕事。将棋という立役者が自分を上へと引っ張ってくれる。


 かの万博による変革と時代の到来に、これ以上のチャンスがあっただろうか。


 先代の父に代わり受け継がれた希望。今や誰もが食い争う玉石混合ぎょくせきこんごうのこの時代で、彩香は父の背を通じて得た唯一といってもいいほどの"経験"を持っている。


 誰かが歴史に名を刻むには、誰かが書き記すためのペンを持つ必要がある。そしてそのペンを持つことが許された記者という存在は、今や携われること自体が奇跡と言ってもいい。


 それなのに──。


「仕事がなーーーいっ!!」


 彩香は叫ぶ、街の商店街にその声が轟くまで。


「地方の道場はがらんどう! 五大都市はプロ棋士同士の抗争で飽和状態! 唯一人材が集まってる天将てんしょう学園は我が物顔でのさばる音羽おとは派閥が牛耳る始末! こんな状態で他から引き抜きもできなければ、開拓の糸口となる道場破りすら夢のまた夢よ!」


 結局のところ、必要になるのは優秀な人材だ。


 英雄譚を築くには、英雄に近づく必要がある。しかし、英雄の周りには既に自分と同じ記者ライバルが飛びついており、近づくことは容易ではない。


 そのうえ、今の彩香の持つ名の力では英雄に近づくことすら許可されない。どの時代であってもコネは下々を一蹴する力、彩香にはそれがない。


 ならば、自分で英雄を作るしかない。記者でも、師範でも、大抵の人間はそういう結論に行きつく。


 ……が、見ての通り、今の彩香にはその肝心な"人材"が存在していなかった。


 どこもかしこも引き抜かれる。終いには英雄を呼び寄せる学園まで設立され、地方の道場はもぬけの殻。


 誰かが思いつく案など、とっくの昔に誰かがやっている。そんな当たり前の現実が今日も今日とて彩香を苦しめる。


「ああっ、もおぉーーっ!! こんなの詰みよ詰みぃーー!!」


 彩香の絶叫が街に響いた。


 すると──。


「おいゴラァ! ふざけてんのかテメェ!!」


 奥の方から物凄い怒声が放たれた。


「ひぃっ!? す、すみませんっ! ……って、ん?」


 一瞬自分に向けられたものかと委縮してしまう彩香だったが、その怒鳴り声は彩香に対して向けられたものではなかった。


 彩香は目を凝らして怒鳴り声の向けられた先をよく見ると、そこには若い青年、いや少年が立っていた。


 少年は手にパンを持っており、それを店の店長が問い詰めるように怒鳴っていた。


 どうやら、少年が窃盗を働いたらしい。


「何勝手にうちの商品盗んでんだゴラァ!」

「盗んでないぞ」

「いや盗んでんだろ!? その食べかけのパンはなんだよ!?」

「空から降ってきた。天の恵み?」

「んな恵みあるか! てか空からパンが降ってくるかァ!」


 そう言い合っている間にも、少年は手に持った食べかけのパンを躊躇いもせずに口に放り込んだ。


「ああっ!? てめっ……!?」

「ごめん。いや、本当にすまないと思っている。死にそうなほど空腹だったんだ。この詫びは将来倍にして返すことを約束する。パン2つ、倍の4つだ」

「お前2つも食ったのかよ!?」


 なにやら不思議な言い合いである。


 しかし、周りの通行人はそれほど興味を向けなかった。


 急激な改革のせいもあってか、こういう事態が起こることはそれほど珍しくはない。価値観が大きく変わったせいで、それを認めたくない層は未だに一定数いる。


 だが、それは彩香の判断にはなんら関係なかった。


 何故なら、その一歩は既に踏み出されていたから──。


「店長っ!」


 その声に、周りの視線が一瞬だけ彩香に向けられる。


「ん? ……なんだ、誰かと思えば学園の──」

「小林記者の彩香です! 店長、すみません。私が彼の盗んだ分の代金を支払うので、ここはなんとかおさめてはくれないでしょうか?」


 突然割って入った彩香の行為に、少年は待っていたと言わんばかりの顔をする。


 当然、二人は話したこともない初対面である。


「ダメだ! コイツはうちのシマのモンじゃねぇ、そんな奴をここで見逃せばまたどこかで誰かが被害にあう。こういうヤツはサツに突き出して一度しょっぴかれるべきだろう!」


 当然の理屈がその男、店長から告げられる。


 しかし、彩香は引き下がらなかった。


「でしたら! ──VSブイエスで決めませんか?」

「……!」

「なんだとぉ?」


 VS──それは将棋において一対一の対局を示す単語。その単語を聞いた少年がピクリと反応した。


 彩香は少年の方に向き直ると、そのフードの中を覗くように尋ねる。


「少年、名前は?」

「……」


 少年は少しだけ思案するような表情を浮かべ、僅かな沈黙の後にその名を口にした。


「──三月だ」

「そう、三月くん。将棋はできるかい?」

「……まぁ、多少はできるが」

「そうかい!」


 彩香はにこやかに微笑む。


 別に、こんな少年に期待しているわけではない。将棋は知と才を重んじる『競技』。盗みを働くような子に秀でる素質はないだろう。


 ただ、彩香は何かを感じていた。


 フードの奥に隠れた瞳から渦巻く果てしない欲望。今こうして自分が追いつめられている立場であることを自覚しているのに、何故か全くの焦燥を浮かべていない。


 きっと何かがある。それは久しく彩香が感じていなかった直感だった。


「横山さん、貴方がこの商店街で名の売れた名手であることは小耳にはさんでいます。──その腕、まだ引退はされてはいないのでしょう?」


 彩香がそう告げると、店長は額に撒いていたハチマキを取って袖をまくる。


「フン。オレのことを知っているとは随分と物好きじゃないか。つっても、オレが活躍してたのは万博前だ。今の時代に迎合できる腕じゃねぇ」


 そう、この店の店長──いや、横山は街でもかなりの腕利きとして恐れられた将棋指しだった。


 しかし、それも十数年前のこと。せっかくのが到来したというのに、横山は将棋を指さなくなった。


「だがまあ、こんな小僧一人に気後れしているようじゃ話にならねぇな。いいだろう、そのVS受けて立つ。アンタの要求はそこの小僧を見逃すことだろ?」

「ええ……!」

「なら、オレが勝ったらアンタとそこの小僧に金銭を要求する。……額は、300万円だ」


 周りにいた者達がざわつきだす。


 これから始まるのはただの将棋の対局である。言ってしまえば遊びゲームである。


 その勝敗として支払うべき報酬が300万円。ただの一局を条件に求めるにはあまりにも法外な額。──などではない。


「マジかよ、あの横山さんが指すらしいぞ!」

「復帰戦ってところか?」

「相手誰だぁ? 見かけねぇ兄ちゃんだな」


 周りは金額に対する反応など微塵もしていなかった。むしろそれが当たり前、妥当であるかのような反応。


 そして、それは彩香も同じだった。


「分かりました。その条件飲みましょう」


 交渉成立。互いのチップが天秤に乗せられた。


「どういうことだ……?」


 あまりにもスムーズに話が進む状況に、少年、三月は誰にも聞こえないよう小さく呟く。


「いや、考えるのは後か。──おい、そこの女記者」


 三月の声に彩香が振り返る。


「私は小林彩香ですよ。なにかな?」

「将棋のルールを教えてくれ」

「えっ!?」


 さきほど、"多少はできる"。と告げていた三月から唐突に放たれた真実に、彩香は思わず声を上げる。


「ぷっ、あはははっ! この時代に将棋を知らない奴なんかいるのか!? あはははっ! 小僧、面白い冗談だな!」


 三月のあまりの失言に周りからは嘲笑が飛び交う。


 それは彩香も頭を抱えるほどだった。


「……分かりました。教えるのでちゃんと聞いてください」

「ああ」


 選択を間違えたかな、と……そう思う彩香だったが、それでも彩香は懇切丁寧に駒の動きから将棋のルール全般、そして何をやったら反則になるのかまで細かく教えた。


 三月はそれを聞き流すように首肯し続けるため、彩香はさらに不安になっていく。


「なるほど、分かった。もういい」

「い、いや。まだ『定跡じょうせき』とか教えてないんだけど! じゃなくて、いいかい三月くん? 将棋には『定跡』っていう決まった形があって──」

「必要ない」

「必要ない!?」


 せっかく丁寧に教えていた彩香の言葉をぶった切って、三月は用意された盤上へと向かい合う。


「オッサン、無知な俺にはこの勝負がどれほど重要なものなのかは分からない。だが、盗みを働いたとはいえ、たかが小僧との一局に300万円は高すぎないか?」


 その言葉に、横山は鼻で笑う。


「ハッ、本当に無知蒙昧な小僧だな。この程度の額なら相場だろうが」

「そーだそーだ。ビビってんじゃねーぞ!」

「将棋も出来ねぇ野郎は必要ねぇ!」

「男なら知略で負かしてみろー!」


 外野から罵声を浴びせられる三月。


「なるほど、これが"異物"か。本当にわけのわからない世界に来たものだな……」


 そんな言葉を呟き、三月は横山にひとつの提案をする。


「ひとつ、条件を加えたい」

「条件? 悪いがこっちが不利になるルールにするつもりはないぞ?」

「そんなことはしない」


 三月は横山よりも慣れた手つきで駒を並べると、その条件を口にした。


「この対局は互いの王様が詰みになって初めて勝敗を決するものとする。──つまり、事前の投了は受け付けない」


 その発言にポカンとする周りの者達。


(どういうこと? 三月くん、覚えたばかりの単語だから意味をよく分かってない……?)


 三月の言い分をかみ砕くと、途中で自分から負けましたと降参することはできないが、相手に負かされる分には良い。というルールである。


 つまるところ、特に何の意味を為さないルール。少なくとも負け方が変わるだけで勝負には全く影響しないものである。


「はぁ? それに何の意味があるんだ?」

「意味なんて無い。言っただろ? そっちが不利になるルールは作らないと」


 本当に意味の分からない条件に、横山は呆れた顔で承諾する。


「まぁいい、その程度勝手にしろ。あー、アレか? 敗勢になったら投了するのが礼儀だから、詰まされているかどうか分からない自分の負け恥をかかないようにするためか? 始める前から負けた時のことを考えるなんて男らしくねぇな」


 そんな横山の挑発に三月は全く動じることなく、むしろその目は自身の目的を果たさんとする強い意志に染まっていた。


「三月くん、初めてだろうけど気張らなくていいんだよ。負けた時のことは考えなくていいから、自分のペースで頑張って!」


 後ろから応援してくる彩香の言葉に、三月は少しだけイラついた表情で聞き流す。


「……どいつもこいつも金には無頓着か」


 そこで初めてフードを脱いだ三月は、まるで今の自分の境遇を叩きつけるかの如くその気迫を溢れ出させた。


「──金を賭ける将棋がどういうものか、教えてやる」


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