三月の心臓が高鳴った。今までにないほどの緊迫と焦燥を含んだ高鳴りだった。
「ははっ、悪い悪い。さすがに月日は分かるよ。でも王歴はたまに忘れるんだよな」
「まぁ、このご時世だしね。分からなくもないわ」
動揺ひとつ顔に出さずに会話を続ける三月だが、その内心は動揺どころではなかった。
(王歴ってなんだよ、ふざけてんのか? いや、この女が嘘をついていないことは知っている。知っているが、その上でふざけてるだろ)
三月は珍しく怒りを内に秘めながら叫びそうな気持ちを押し留める。
やがて川岸から上がったところにある通路を歩く学生が視界に映り、それを見た三月は腑に落ちたようにため息を吐いた。
(ああ、そう言うことか……クソが)
通学路を歩く学生たちはまさに十人十色。誰もかれもがバラバラの髪色。派手な色は少ないが、黒髪なんてそれこそ珍しい。茶髪や黒寄りの赤といった、まるでアニメにでも出てくるような髪と目をした学生が登下校していた。
(見覚えのある風景だから日本だと思っていた。思い込んでいた。喋ってる言語は日本語、風景も昭和の日本、あぁ、王歴が西暦のことだってんならまぁ分からなくもない時代背景だ。……だが、歴史は絶対に違っている。ここは俺の知っている歴史じゃない)
文明と文明が繋がっていない。チグハグで出来たような不自然な違和感。思えばさきほど見上げた街も、蔵造りの古い建築に混ざるように高層ビルのようなものが建っていた気がする。
まるで改革が起こっている最中とでも言わんばかりの世界だ。文明の途中で何かが革命し、そこに国家的な規模で思想が働いているかのような、そんな世界。
下手したら令和の言葉ですら伝わるような気がする。そんな風に三月は思ってしまう。
(ふざけやがって。一体何なんだここは? 悪夢でも見せられてんのか?)
三月は内心で現状をボロクソ吐き、それでも目の前の現実を受け入れるべく、少女に対しては常に柔らかい表情を見せ続けた。
しかし、血の気が引いているところは隠せるはずもなく。
「……アナタ、大丈夫? さっきから顔色悪いけど」
なんて、気を使われたりもした。
「あぁ、気にしないでくれ。さっきも言ったろ? 働きすぎてクタクタなんだ」
三月はそう言ってフードを被ると、少女に向き直る。
「それより悪かったな。俺はずっとここにいたのに、アンタの言う光る何かは見ていない。なんせ寝ていたからな」
それを聞いて少女は視線を下げたが、すぐに吹っ切れたような顔つきになった。
「そうね……私も変なことを聞いてごめんなさい。多分、何かの勘違いだったわ」
そんな結論を出す少女に対し、三月はその光るモノについての心当たりがあった。
(光るモノ……閃光か。どうせ俺がここに転生した時に生じたものだろうな。10分前とか言ってたし、俺が目覚めた時間と一致する)
今この場に少女しか来ていないということは、少なくともその閃光は強烈な光ではなかったのだろう。
そんなこんなで考えている内に、少女は背を向け道路のある方へと足を進めた。
「じゃあ、私は帰るわ」
「ああ、気を付けて」
(そう言えば、手に将棋の本を持っていたな。……話してる時はツッコまなかったが、わざわざ手に持っているということは読みながら下校してたのか。この時代に女子学生が将棋好きとは珍しい。……いや、ここは日本じゃないか)
何が起こっているのか分からない。何も分からない世界に三月は放り投げられた。
少なくともここは日本ではない。日本のような形をした何かだ。それだけは事実だった。
三月は川岸から離れて人々が集まっている街の方へ向けて歩き出す。
道路の歩道を見ればロングドレスやワンピース、スーツ姿の服装をした大人達が闊歩している。しかしその中にも三月がよく目にするような現代向けのファッションをした者も混ざっている。
文明の交錯、そこに差別的な視線がなく、低迷と混迷を極めている。それはこの世界に何か大きな"異物"を含んでおり、その影響下でこういう事象が引き起こされているのだろう。
どちらにしろ、今の三月はイレギュラーな存在である。
同じ言語を口にし、類似する歴史を学んできており、時代は違えど同じ日本という島国に立っている。
しかし、それは形だけの格好に過ぎないのだ。
今は慎重に動こう。誰よりも慎重に、綱渡りを渡り切るほどに慎重に。それがこの場におけるベストであり、それ以外の選択肢はない。
「……さて」
手持ちは何もなく、ポケットに入っていたスマホと財布すら消失している。まるで現代に適合するのは衣服だけだと言わんばかりに。
三月は軽く首を鳴らすと、段々と見えてくる街並みを見上げて口角を上げた。
「まずは犯罪でも犯すか」