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第4話 最強の真剣師、転生する

 ドサッ──。


 大きなバッグが近藤の前に置かれた。


「……クソ、クソぉッ!!」


 怒号と喚き、悔しさと憎しみの渦巻く声色で感情を露わにする近藤。


 3時間、たった3時間の出来事だった。


 飛車を3枚持った状態から始めた対局、圧倒的有利な状況で始まった勝負。その結末は、魔法にでもかけられたかのような逆転劇によって三月の勝利が確定した。


 あれだけ堅く囲った近藤の守り、最強の『ビッグ4』はただそこに形を作って座しているだけ。


 その周りの兵は全て狩られ、焼き尽くされ、ただ最強の囲いだけがポツンとその場に残っている。


 城から突然足が生えるわけもなく、扉から砲台が出現するわけもなく、籠城に持ち込まれ手も足も出せなくなった時点で近藤は投了をやむを得なくなった。


 そうして終わりを告げる大金を賭けた勝負。──誰もがそう思っていた。


 近藤はそこで止まらなかった。止まっておけばいいものを、止まることができなかった。


 相手はトバリの三月。真剣師界の鬼神とまで呼ばれる勝負師である。


 ただで勝てる相手じゃないことは近藤も理解していた。だが、理解した上で再戦を申し込んだ。


 心のどこかで、勝てると思ってしまったのだ。


 それはギャンブルの世界で誰しも陥りがちな最悪の判断。勝負の中で根拠のない勝算を見出してしまい、そこに全てをベットしてしまう人の心理──。


 近藤は懐にしまっていたカードを立会人に渡すと、再び駒の購入を命じた。


 その額なんと1億5000万。さきほどの飛車3枚に加え、角1枚を増やした4連続の駒の購入である。


 1つ目で1000万、2つ目で2000万、3つ目で4000万、4つ目で8000万。倍々に増えていくこの『駒の購入』という特殊ルールをフルに活用すべく、近藤は計1億5000万円もの大金をはたいて4枚の大駒を購入したのだ。


 しかし、結果は変わらなかった。


 どれだけ駒が増えようとも、どれだけ戦線が有利になろうとも、結果は変わらない。


 2回目の勝負も三月の圧勝で終わる。そして近藤は狂ったような笑みを浮かべながら3回目の勝負を挑んだ。


 今度は駒5枚の購入。3億1000万円である。近藤は目を血走らせながら飛車5枚を購入した。


 もはや狂気、狂行である。周りにいた連中もさすがに引きつった顔で視線を向けていた。


 しかし、それほどまでの狂気を前にしても、三月は表情一つ崩さなかった。


 いや、そもそもこうして近藤を狂った判断へと導いているのは──。


「うそだ……ありえない……このオレが、この、オレ、が……」


 そうして幾度繰り返しただろうか。


 近藤の王様が完膚なきまでに詰まされている盤面がそこにはあった。


 時間にしてたった3時間の勝負。まだ夜は続いている檻の中で、近藤の資産は泡となって消えた。


「あ、ああ……あああっ……そんな……そんな、バカな……っ」


 絶望する近藤。そんな近藤の前に、立会人が腰を下ろす。


「確かに確認しました。こちらが三月様の報酬になります」


 立会人が近藤に一筆書かせた紙を懐にしまうと、現金にして5億3000万もの大金が入ったバッグを三月に渡した。


 近藤がそれまでに賭けた、全財産である。


 それは本来、勝った近藤の手に戻ってくるはずだった。


「返せよ……オレの金……かえせよ……」


 うつろな目をした近藤が手を伸ばす。しかし、そのバッグの持ち主はもう三月へと移り変わっている。


「かえせよ……返せよォ──ッッ!!」


 近藤は発狂しながら三月の側に置かれたバッグに飛び掛かろうとした。


 しかし、近藤の行為はすぐにその場にいた運営の関係者に抑えられた。


「どけ! 邪魔だぁッ──!!」


 荒れ狂う指先が三月の目元を掠めようと伸ばされる。


 それでも、その手が三月に届くことはなかった。


「あああああぁぁぁァッッ!! 俺の金がァァァぁ"あ"あ"──ッッ!!」


 喚く声、泣き叫び、怒り狂い、嗚咽と絶叫が賭博場に響き渡る。まるで人生の終点を見てしまったかのような絶望の発狂。


 しかし、ここでは日常茶飯事である。真価に見合う賭け事とは、人生を、命を、天秤に乗せる行為に等しい。


 覚悟がなければ挑む資格もなく、度胸がなければ勝つこともない。


 零楽三月──その少年には、確かにその才能があった。


(あれが、トバリの三月……)

(なんなんだよ、あれ……)

(明らかにやべぇって……)


 周りの視線は恐怖と疑惑の籠ったもの。何十年もの歳月を賭博に費やしたわけでもなく、プロ棋士のように超人的な棋力を持っているわけでもない。


 だが、三月は事実として成したのだ。


 人権すら危うかったはずの無一文が、たった数時間で5億3000万円もの大金を奪い取った。


 それは将棋の強さはもちろんのこと、どんな逆境からでも逆転する術と、どんな相手からでも金をむしり取る悪魔のような知略を持っている。


 まさに勝負師、まさに真剣師たる所業だ。


「前の社長の方がもう少し気前良かったな」


 大金の入ったバッグを手に持った三月は、恐ろしいことにそんな言葉を吐き捨てた。


(トバリの三月なんて誰かがでっち上げたものだとばかり思っていたのに……)

(あの噂は本当だったのか……)

(あんな奴が、世の中にいていいはずないだろ……!)


 こうして噂は加速する。今日も一人の犠牲を払って。


「またのご来店を心よりお待ちしております」


 受付に札束を放り投げて手数料を支払った三月は、そのまま夜の世界へと消えていく。


 月の光が薄れていき、夜の世界が終わりを告げようとする午前3時。三月は大金の入ったバッグを肩に掛けて信号機の前で立ち止まっていた。


 繁華街を出ればそこは車が飛び交う大通り。夜中と言えど交通は激しく、目をこすりながら運転している者も窓越しに見える。


「……」


 頭皮で感じる水音に、三月は無言でフードを被る。


 上空で立ち込める雲は先程までの小雨を悪化させ、数分も経たないうちに土砂降りの雨へと変わっていく。


 視界が悪くなり、耳も雨音で消えていた三月は、いつものように研ぎ澄まされた五感が薄れつつあった。


「──、──、……──ッ」


 信号機が点滅する。遠目から何とか通過しようとアクセルを踏むトラックの影が見えるが、その場で静止している三月には関係のないこと。


「──ッ、はぁっ、はァッ……!」


 誰かの息が乱れる音が聞こえる。誰かが走ってくる足音が聞こえる。


 止まることなく一直線に近づいていき、消えるはずの場所を通り越しても未だ聞こえてくる。


 何に急いでいるのか。何に焦っているのか。一歩、また一歩と焦燥が背後から伝わっていき。


「──!?」

「死ねェ!! 零楽三月ィ──ッ!!」


 その真意に気づいた時には、もう遅かった。


 ドン! と勢いよく突き飛ばされた三月は、感じたこともない浮遊感に身を投げ出される。


 突き飛ばした犯人は、さきほど三月から根こそぎ金を取られた真剣師の一人。


 ──近藤だった。


「は、ははっ、ははははっ──!!」


 土砂降りの雨でブレーキも効かない中、道路に身を投げ出される三月。


 その目の前を物凄い勢いで通過しようとするトラック。


 キィィィィィ──ッッ!!


 甲高い音は耳を割り、感じたこともない衝撃は身を焼き、最後の瞬間まで灯していた思考はテレビのチャンネルを切られたかのようにプツンと意識を飛ばした。


 ※


 眠っている間は意識がないと言われるが、起きる瞬間に突然意識が覚醒するわけではない。


 夢の中からぼんやりと意識が戻っていき、グラデーション状に自分が寝ていることを少しずつ自覚していく。


 それを引き戻すように睡魔が襲い、何度も寝返りを打ち、起きようとする思考とそのまま寝ようとする思考が反発を起こす。


 ──今の三月は、そんな状態だった。


(……? どういう、ことだ……?)


 おぼろげでぼんやりとする意識の中、三月は思考が完全に起きる前に、自分がどうなったのかをゆっくりと整合していく。


(俺は、確か……殺されて……)


 そこまで言葉を紡いだあたりでハッとする。その強制的な意識の覚醒が三月の瞳を開眼させた。


「……!」


 水音が聞こえる。草花の揺れる音が聞こえる。大地の風が頬をかすめる感触が伝わってくる。


 ──異世界。その思考に真っ先に行きついたのは、三月が現代の娯楽をある程度触れている影響だろう。


 しかし、三月の前に映った現実はもっと驚くべきものだった。


「……本当にどうなってんだ、これ」


 三月の目の前に広がっていたのは既視感のある光景。


 ──それは、日本の景色そのものだった。



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