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第2話 その少年の解

 将棋を端的たんてきに表すのであれば、駒という武器を持って相手を先に倒すボードゲームである。


 持っている駒の数が多ければ当然有利。だが逆に、どれだけの駒を持っていようと先に命を取られてしまえばただの宝の持ち腐れだ。


 ゆえに将棋とは、ただ駒を多く持っていれば勝てるというわけではない。


「それでは、対局を始めてください」


 立会人の合図の元、対局時計チェスクロックが押され、近藤と少年──零楽三月の対局が始まる。


 不気味な空間。煙草の煙が天井を包み、賭博者達の下衆な笑い声と、金ヅルにされた初心者の発狂した声が響く賭博場。


 そんな中で始まった二人の対局は、何故か傍目から見ると異質とも思える雰囲気を生み出していた。


 対局が開始され、まだ駒も動かしていないというのに、近藤の持ち駒には既に飛車が3枚もある。大金をはたいて購入した大駒おおごまだ。


 これがどれだけの価値を見出しているのか、将棋をする者であれば一目瞭然だ。


 近藤の駒台にある飛車はいわば拳銃。決まれば相手を一撃で仕留めるほどの殺傷力を持った武器である。


 両者が向き合い、対立し、命を奪い合う戦場に立つ。


 少年、三月の飛車は盤上に置いてある。これもまた拳銃とするのなら、今の三月はその拳銃を腰にげている状態だ。


 目の前の標的である近藤を撃つためには、腰から拳銃を抜き、安全装置セーフティを外し、照準を定め、その上で引き金を引かなければならない。


 対する近藤は、既にその手に拳銃が握られている。後は狙いさえ定めればいつでも発砲できる状態だ。


 これが"盤上の駒"と"持ち駒の差"である。


 しかも3枚。これはもはや弾切れの心配がない。無数に放てる攻撃と手数てかずに等しい。三月にそれを上回る武器は存在しない。


(クハハッ、手持ちがちげぇんだよ。クソガキ──!)


 序盤から颯爽さっそう、勢いづいた近藤の指し手が加速する。


 最初から手持ちに入る3枚の飛車。それも置かれている場所はただの盤上ではなく、さらに上の天空──駒台だ。


 将棋における持ち駒は強力、どんな場所にも打つことができる。


 近藤の持つ飛車3枚は常に三月の陣地に照準を合わせている。一体いつ、どんな瞬間に三月の陣地に降り注ぐか分からない。


 そのため、三月は自分の陣地に隙が生まれないよう常に神経を張り巡らせて駒組こまぐみを行う必要がある。


 そして、神経を張り巡らせるということは時間を消費するということ。時間を消費するということは、持ち時間が減り、終盤に考える時間が減るということ。


 そして、終盤に考える時間が減るということは、ケアレスミスが多発し、逆転の可能性を生んでしまう結果に繋がる。


 たった一つのハンデ。それが二人に決定的な差を付ける。


 ──『将棋』とは、それほどまでに残酷なボードゲームだ。


「……ククク、そんな軟弱な囲いでいいのか?」


 近藤は巨悪に満ちた感情をむき出して、心底嬉しそうに嘲笑あざわらう。


 近藤の飛車3枚を警戒して思うように守りを築けない三月は、自然とその陣形を『バランス型』に移行する。


 理屈は単純だ。右や左に寄ったかたい囲いを作ってしまうと、その逆の空いたスペースに飛車を打たれてしまう。そのため三月は、バランスよく守って近藤に飛車打ちの隙を与えない形を作った。


 しかし、対する近藤は三月に対する警戒がない。当然だ。三月は飛車3枚持っている近藤と違って駒台には何もない、戦いすら始まっていないのだから持ち駒が皆無だ。


 つまり近藤は、三月と違って一点に集中した堅い囲いを作ることができる。


「そんじゃまぁ──こっちは自由に動かせてもらうぞ?」


 近藤は三月の守り一辺倒の指し回しを利用し、自身の囲いを最大限に強化する。


 金銀桂香きんぎんけいきょう、全ての小駒を密集させ、その中に自身の命である王様を閉じ込める。


 金庫のように固く、深淵のように深く、決して届かないはしはし、そこに堅固けんごの囲いを築き上げる。


 ──『穴熊あなぐま』。将棋におけるもっとも堅い囲いの誕生である。


 いな、そこで近藤の欲が止まることはない。


(なに囲い終わったような顔してんだよ、オレの手はまだ終わんねェぞ!)


 近藤は攻めに使うはずだった銀を戦場から引き離し、自らの王様のある場所へと吸収させる。


 僅か3手、三月が様子を見ている間に近藤はバフを積みまくる。一瞬の間合いを見切らねばならない将棋にて様子見など言語道断。


 だが、三月にはそうするしかなかった。下手に攻めようと駒を動かしてしまえば、陣形が崩れて近藤の飛車打ちの隙を与えてしまう。だから動くことができない。警戒し続けるしかない。


 しかし、そうやって警戒していればいるほど近藤の守りは強化されていく、手が完成されていく。


 ジリ貧どころの騒ぎではない。猛毒で身動きが取れないようなもの。死ぬまでじっくりと命が削られていくようなもの。


 終わりだ。手も足ももがれた虫のように、地面を這うことすら許されない。


「……完成だァ……!」


 悪魔のような声色と共に告げられたその囲いは、穴熊に先程の攻めの銀をくっつけて強化された本当の意味での最強の囲い。


 ──『ビッグ4フォー』。金銀4枚のむちゃくちゃな防壁、これでもかというほど駒を密着させた堅すぎる囲い。……穴熊の上位互換が誕生した。


「こりゃあ終わりだな」


 観戦者の一人がそう呟く。呟かざるを得ない。


 三月の囲いはバランスが良いだけで堅さは全くない。逆に近藤の囲いはバランスこそ悪いものの、囲いの堅さは最強である。


 今の三月が近藤のバランスの悪さをとがめるのであれば、持ち駒を使って駒の無い隙だらけの場所に打ち込み、り駒を作ることでしか方法がない。


 しかし、今の三月にその持ち駒はない。まだお互いに攻めていないからだ。


 だが、攻めてしまうと三月のバランスよく囲われた陣形が崩壊する。そしてそれは同時に、近藤の飛車3枚の打ち込みを許すことになる。


 何をやっても敗北しか待っていない。どこをどう考えても勝ち筋が見えない。


 序盤にして終点、誰もが三月の敗北を悟る。


(この形、この大差、序盤にして圧倒的だ。初めから分かっていたことなんだよクソガキ。オレはさっきの対局で手を抜いてたんだ。お前みたいな風貌のガキでも将棋が強い奴は巨万といるからな。油断はできねぇモンだ。……だがこんな世界に身を落とすようなクズは、たとえ将棋であっても他のギャンブルであっても同じように狩られ食いつくされる。──そういう運命にあるんだよ!)


 最強の囲いであるビッグ4を完成させた近藤は悠々とその手を盤上に伸ばし、三月の陣地に向けて攻撃を始めた。


 序盤戦の終了、中盤戦への移行である。


 それもただの移行ではない。圧倒的大差での移行。三月の守備が、囲いが、瞬く間に崩壊する図が浮かんでくる。


(どうだハッタリの若造、これが真剣師の本質だ。将棋の真理だ。お子様にはまだ早かったかな?)


 哀れんだ視線を送る近藤に、三月は静寂を貫く。


 絶体絶命のピンチに人はどうするのか。拳銃を向けられた相手にどう対処するのか。


 ポケットに手を突っ込んだ三月の動作に、近藤は警戒を高める。ヤケになって暴れてくるだろうと予測を立て、煽りながらも冷静な対処を怠らない。


 そんな近藤の余裕が消えたのは、たった1手の出来事だった。


「……!」


 暗がりに包まれた一夜に欠けた月の光が差し込む。雰囲気が変わる。


 三月は、その王様いのちを弾丸として扱った。


「は……?」


 掴み取る大駒、浮遊する指先。『開戦は歩の突き捨てから』と、そんな先人たちの教えを無視するかのように三月は動く。


 死生観の欠如。常識外れの選択。いや、それこそが真剣師として生きる様なのだろう。


 将棋は王様が詰まされたら負けるゲームである。どんなに駒を取ろうとも、どんなに戦況が良くなろうとも、王様を詰まされたら負け、逆に王様を詰ませれば勝ち。ただそれだけの明快な勝敗だ。


 だから、将棋を指すときは王様を最も安全なところに置いておかなければならない。最も戦場から遠い場所にいなければならない。


 こういった最善の道筋を将棋では『定跡じょうせき』という。


 近藤は常に定跡を踏襲していた。王様を最も遠い端に逃げさせ、それを4枚の金銀で密集させ、自分が飛車3枚を持っているというアドバンテージを最大限に生かしている。実に合理的な判断だ。


(なっ──!?)


 そんな近藤の目が見開く。驚愕し、瞠目し、ありえないと首を振る。


 負ければ人権をはく奪される。事実上の死の宣告。そんなプレッシャーの中でその判断はあまりにもトチ狂っている。


 ──三月は、自らの王様を戦場のど真ん中に放り投げた。



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