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第十話 資料室

 二見と別れると、島崎は自分のデスクへと向かった。

「あ、島崎さん、本当に来た」

「何だよ。本当に来たって。俺が来ちゃいけねぇのか?」

 姿を見るなり声を掛けてきた山口に、島崎は悪態をついた。

「だって、いつもすぐにどこか行っちゃうじゃないですか」

 机の中を漁る島崎を眺めながら、山口は書類を繰る手を止め、じっと観察し始めた。刺さってくる視線がうっとうしくて島崎は椅子に腰掛けると山口に背を向けた。

「行っちゃ悪いか?」

「それも仕事なんですけど」

「だけど何だよ」

 島崎がちらりと覗くと、山口は小さく首をひねる。

「もしかして、島崎さん、機嫌悪いですか?」

「あ?」

 不機嫌に言い放ってから、確かに機嫌が悪いのかも知れない、と自身の行動を振り返る。

「何かあったんですか? あぁ、まぁ、ありましたけどね」

 問うてしまってから、山口は自分の口を塞いだ。

「でも、示談って別に悪いことじゃないでしょう?」

「悪かねぇよ。それで解決するならな」

「でも、示談って解決でしょう? お互いが同意するまで話して決着を付けるんだから」

「でもでもでもでもうるせぇなっ!」

 島崎は自分のデスクを拳で叩いてから、拳に走る痛みではっと我に返った。眼前にはシュンと身を縮める山口が見える。そっと視線を辺りに巡らせると、順に島崎避けて視線を外す気配を感じた。

 悪目立ちしてしまったと舌打ちしてから再び山口に視線を戻す。

「スマン。言い過ぎた」

「いえ、こちらこそ島崎さんの気持ちを推し量る事ができていなかったと猛省中です」

 へこたれた様子もなく、山口はむしろ感謝すら感じさせる眼差しを島崎に注いでいる。思いの外、山口のメンタルは強めらしい。思わず声を出して笑ってしまってから、島崎は誤魔化すように小さく咳払いした。

「結局のところ、山口の予想に違わずなんだが、資料室に行ってくる」

「分かりました。元々島崎さん非番ですもんね」

 言いながら、山口は書類に目を落とし、ていねいにそろえると両手いっぱいに抱えて立ち上がった。かと思うと、何か思いだしたように島崎を見やった。

「あ、そういえば、さっき外部のお客様見えてましたね」

「お客様?」

「一瞬モデルさんかと思うくらいの方だったんで、また一日何とかとかのイベントかと」

 島崎はあまり興味のない様子でふぅんと相槌をうつ。

「で、山口はどこに行くんだ?」

「資料室です。まとめが終わりましたんで。それに、資料室なら鍵が必要でしょう? 持ってますから安心してくださいね」

 嬉々とした様子で山口は島崎の隣に並んだ。自然と一緒に行く流れに追い込まれ、島崎は小さく唸りながら半眼で山口を見下ろした。

「どうしました?」

「何でもねぇ」

 歩き出した島崎を、山口は首をひねってから追い掛ける。

「そういえば、あのひったくり犯、その後も全然進展無しですね」

「金は取られたが、それ以外の物は見つかったし、それこそ示談という形も取れると思ったんだがな。自首してくれねぇならとっ捕まえたいところなんだがなぁ」

 島崎の頭の中に現場と近くの防犯カメラの配置が図に起こされた。その中に犯人の犯行経路、被害者の位置、目撃者の位置などが書き加えられていく。

「器物損壊が起こったとされる時点のカメラ映像は無し。これは橘の目撃証言だけだから何とも弱いな。逃走経路を考えて防カメの映像をアラったが、それらしい人物は写っていなかったんだよな」

「バッグって、民家に投げ込まれていたんでしたよね」

「あぁ。防カメのない路地のな。しかも人通りが少なく目撃証言も無し。計画的な犯行だったのかとも思うが、ガイシャはたまたま帰りが早かったと言っていたんだろう?」

 島崎の問いに、山口はコクンと頷いた。

「つまり、犯行自体は突発的だが、犯人はあの一帯を知り尽くしているということなんだろうな」

「そう考えるとある程度犯人像を絞り込めそうだと思うんですけど」

「その地区を知り尽くしている人間が、その地区に住んでいるとは限らねぇだろ」

 島崎に言われ、山口はうーんと高い声で唸った。

「難しいですね」

「んなに簡単だったら警察は要らねぇよ」

 ご尤もですね、と山口は眉根を寄せる。しばらくしてうんと頷くと、笑みを浮かべながら島崎を見上げてきた。

「だから地道に聞き込みして、頑張って頑張って、それから頑張らなきゃいけないんですね」

 島崎は山口の小学生のような言いように、思いきり吹き出した。

「なんだ? そのお子様発想は」

 資料室までたどり着くと、山口は「良いじゃないですか。でも、それが警察という存在の極致じゃないですか?」と言いながら鍵を探して扉を開けた。

「頑張る、の視点で言うなら、全ての人間の極致が『頑張る』なんじゃないか?」

 山口は持ち出した資料を戻すための棚に歩み寄っていく。その様子を目の端に捉えながら、島崎は過去の事件録の棚へと歩いて行った。一時期はその資料を目にすることさえためらった、『溶解者』事件。知らず島崎の手はそのファイルへと伸びていた。

「あ、島崎さん、呼び出されたんで先に戻ります。鍵、お願いして良いですか?」

 スマホを片手に山口がキョロキョロと辺りを探しながら出口に向かう様子が見えた。

「あぁ、預かる」

 棚から山口に見えるように手だけを出して手招きすると、山口のわざとらしい溜息が聞こえた。

「もう、本当に扱いが酷い」

 伸ばされた手に鍵が乗る。

「じゃぁ、お願いしますよ」

「はいはーい」

 扉の開かれる音が聞こえ、ゆっくりと閉じられる。山口のものと思しき足音が遠のいていくのを確認してから島崎は意を決して『溶解者』事件のファイルを開いた。

 未解決として処理されて五年。証拠品はほとんど残っていない。いや、残されていなかった。

 ページをめくっていくと、事件の概要、担当部署、被害者や参考人などの羅列が続いて調書や押収品、現場や証拠の写真が目に入った。島崎は喉元にこみ上げてくる物を堪えながら、一枚、また一枚と読み進めていった。

 ファイルの文字面の上に島崎の意識が作りあげる映像が重なり、鮮明に流れていく。目撃情報から絞り込んでいった人物像、SNSに踊った文字群。人型をなくして溶けていく姿と、その人型の口が何かを語ったように見えた。

「クソっ」

 島崎は頭の中に流れ込んでくる残像達を、強く頭を振って追い出した。客観的に資料を確認したかったというのに、雑念が多すぎて情報が頭に入ってこない。実際に調べた内容と資料との相違点を確認したいというのに。

「はぁ。クソったれが」

 島崎は再び吐き捨ててから、『溶解者』事件が収められているファイルを閉じた。しんと静まりかえる空間に、パタンという音が消えていく。

 まだ向き合える時期ではないのかも知れない。五年も経ったというのに、と自身が情けなくなる。島崎はファイルをしまいながら、同じ並びのファイルを幾つかなぞるように手を横にスライドさせた。無作為に手の止まったファイルを取り出すと、おもむろに開いた。

 ふと目に飛び込んできた誘拐事件と銘打たれたタイトルは、横線で消されている。捜査中に修正が入ったか、解決したのかも知れない。好奇心を刺激され、パラパラとページをめくっていくと、誘拐されたはずの女の子が突然帰宅したのだという。しかも記憶がなくなってしまっているのか、箸も使いこなせなくなったらしい。自分の名前は覚えており、誘拐ではなく自作自演だったと主張していたため、母親は精神科医と相談の上、様子を見ることにしたのだという。解決したというより、これは未解決に近い気がする。

 島崎は続けて他の事件も読みあさったが、示談や奇妙な展開、凄惨な終焉を見せてお蔵入りした物など、どれもこれももやもやと胸の辺りにわだかまる物があった。

「資料室は開けっぱなしで利用して良かったんてしたっけ?」

「あ、すみません」

 不意に注意され、島崎は急に現実に引き戻された。

 慌ててファイルを棚に戻し、声のした方へと急ぎ足で向かうと、すらりとした長身の眼鏡を掛けた男が入り口にもたれかかっていた。

 しっかりとアイロンのかかったシャツに、皺一つないスーツ。磨き上げられた靴の先は少し尖っており、実用性より見た目を重視しているのが一目瞭然だ。髪は栗色で細いスクエア型の眼鏡のフレームは透明感のあるブラウン。色白の肌にそれらが良くマッチしていた。 

整った顔立ちは芸能人といっても良いだろう。わずかに笑みを湛えた表情は年齢も考えも読み取れなかった。

 別世界の人間だな。

 島崎はひとしきり男を観察すると、ふと山口の「モデルさんかと思うくらいの方」という表現が頭に蘇る。

「部外者の方は立ち入り禁止ですが?」

「えぇ。ですから立ち入っていませんよ。ほら」

 男は悪びれた様子もなく、足元を示した。確かにその靴は少しもドアのフレームから内側には入っていないが、そんな事を言いたかった訳ではない。

「そういう事ではなく、ですねぇ」

「あはは。ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったんですよ。少し、どんな人か探りを入れたかったんです」

 苛立ちを顕にして島崎が言い募ろうとすると、男は軽い調子で笑いながら遮り、「自己紹介しますね」と胸ポケットに手を入れた。

「斉藤朔太と申します。以後、お見知りおきを」

 男が差し出した名刺には、「警察庁治安部偽者対策課」と書かれているが、既に十年近く務めているが、そんな部署は聞いたことがない。ましてや、偽者をメインで扱う部署など、存在するとは思えない。

「何だこれは」

 からかわれているのかと、島崎は探るように斉藤を睨んだ。

「ご存じないのも無理はありません。我々の活動は表だったものではありませんし、何より警察の中でもこの部署をご存じない方の方が圧倒的多数です」

「じゃぁ、知っている奴もいる、という事なのか?」

「おやおや? 偽物対策課について、興味が湧いてきてしまった感じですかね? 良いですね。良いですね」

 島崎が問い返すと、斉藤はしたり顔で微笑みながら小首を傾げた。その仕草がより島崎を苛立たせる。

「おや失敬。怒らせるつもりは本当にありませんからね」

 斉藤は困ったというように眉根を寄せた。どの表情も仕草も絵になってしまうが故に、どこまでも腹立たしい。本気度の探りにくい表情もあいまって、島崎は、ただただ掴みにくい雰囲気にどう自分のペースを合わせていったものかと、こめかみに指を添えて目を伏せた。

「とりあえず、我々について知っていただきたいので、まずは僕の話を聞いていただけませんかね」

 思案する島崎に対し、プレゼンでもしようかと言わんばかりにニコニコと笑う斉藤。その様子を感じ取り、島崎は渋々首を縦に振った。

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