『島崎さん! 発表見ましたか!?』
休日明けの頭を山口の焦った声で叩き起こされ、島崎はスマホに向かって唸るような声を上げた。
『もしまだ確認されてないなら、新聞でもテレビでも良いです。確認してください。あ、スマホは止めてくださいねっ! 通話が切れちゃうのでっ!』
島崎の状況を悟った山口が、耳から離してスマホをタップしようとしていた島崎を制止する。
「山口には透視能力があるのか?」
『そんな事、今はどうでも良いですから、とりあえずパソコンでも何でも良いので確認してください。でも、深呼吸しながらで』
「何なんだよ」
島崎はボソボソと呟き、辺りを見回した。居間の丸テーブルに置かれた橘のタブレットに電源を入れると、パスコードに橘の誕生日を打ち込む。ゲームが立ち上がりそうになるのをタスクキルしてからネットのニュースを開いた。
「で、何を調べろと?」
『非常に言いにくいことなんですけど』
「何だよ。気持ち悪ぃな。ハッキリ言えよ」
次第に起きてきた頭が、言い淀む山口に苛立ちを覚えた。良くないなと息をつき、丸テーブルに散在する飲み物の中から、炭酸飲料を選んで蓋を開けた。シュッっという音と共にわずかに残された炭酸が空気中に消えていく。
『あの一課のヤマ、ネットニュースにも出ていますが、凶器が発見されたという事です。でも、ガイシャの証言により、事件性の根本が覆りそうです』
島崎は山口の言葉に首をひねった。
手が凶器に変形したという、あの女性の証言を信じるならば、凶器が発見される訳がない。ならば、結局あの事件は偽者とは無関係だったのだろうか。
「ガイシャの証言ってのは?」
頭の中でつらつらと傷害事件のことを考えながら、島崎は反射に近い形で山口に問いかけた。
『あれは彼とのゲームだったと主張しているそうです』
山口の言葉に、島崎の頭は疑問符で埋め尽くされる。
「は? ゲーム? ナイフで刺されることのあるゲームって何だよ」
島崎はネットニュースのヘッドラインをスクロールしながら目で追った。
『ですから』
スクロールして行く中に「車内でナイフを振り回す」「痴情のもつれか」という文字が見える。
『傷害事件ではありますが、事件性を失うかもしれません』
「つまり、あの事件を示談にする可能性が出てきたって事か? あんな怪我したってのに?」
『そうなりますね』
目撃証言も多数存在する中、事件の痕跡を全て消すのは難しい。記憶は、時間の経過と新たな刺激によって薄れていくかも知れないが、ネットで囁かれた言葉は記録として残るはずだ。
「そっち行って確認したいものがある。切るぞ」
『分かりました』
島崎は通話を終えると、即座にスマホのタブで開きっぱなしにしていたSNSの情報を確認しようとした。が、情報の書かれていたページがアクセス不能になっていたり、前後の物を含め、発言が消されてしまったりしていた。
スクショしておけば良かったと、島崎は過去の自分に舌打ちし、丸テーブルの上の缶を、近くに落ちていたビニールに流し込んだ。
「あぁ、もう、朝からうるさいなぁ」
缶がぶつかり合う音で目覚めさせられた橘が不快そうに唸った。
「仕事だ」
「休日出勤か。お疲れ様やな」
大きく欠伸を一つしてから、橘も片付けに加わる。
「あのひったくりの件か?」
橘の問いに、島崎は首を横に振って答えた。
「なんや、担当しとる事件、多いんやな。頑張りぃや」
「言われなくてもな」
別件に首を突っ込んで調べているという事が、純粋な気持ちで応援してくれる橘に対してどこか後ろめたく感じられる。正直に話すことができないまま、島崎は曖昧に笑って誤魔化した。
警察署に顔を出すと、厳しい表情のまま、受付の後ろを横切っていく二見の姿を見つけた。
「二見さん!」
島崎は二見に駆け寄るが、二見の方はどこか気まずそうに「あぁ」と答えて右手を挙げた。島崎にはその仕草が挨拶なのか、それとも近寄るなというジェスチャーなのか判別がつかず、思案するように速度を緩めた。
「島崎には申し訳ないことをしたね」
「何がですか?」
少しためらってから、二見は島崎を見た。
「少し話そうか。時間はあるか?」
「はい。自分は今日非番ですので」
「そうか」
二見は一通り辺りを見やってから、わずかに笑みを浮かべた。
「少し、外の空気を吸おうか」
「はい」
外を指し示した二見は、島崎が頷いたのを確認してから受付に立ち寄る。
「もし誰かわたしを訪ねてきた時には、すぐに戻ると伝えておいてくれないか」
「承知いたしました」
受付の二人が敬礼するのに敬礼を返してから、二見は島崎を外に促した。
「島崎は、非番の日は何をしているんだ?」
「あぁ、自分は寝ていることがほとんどですね。若い頃は休みがあればゲームなどもしていましたが、やはり歳を重ねると、徹夜は仕事の中だけで良いと思いますね」
島崎が苦笑いすると、二見は「まだ若いじゃないか」と肩を叩いた。
「でも三十代ですよ」
「おいおい。まだ十分若いだろう。わたしは自分がまだ若いと信じていたいがね。まぁ、無理をしろと言いたい訳じゃぁない。無茶はほどほどには。――そういえば島崎、タバコはどうした」
二見は胸ポケットに手を当ててから、思い出したように問う。
「止めました」
「ほぅ。子安効果か?」
「あいつの言葉は、今となっては自分には戒めです」
肩をすくめ、「まぁ、わたしもだがね」と付け加えてから人の気配のない喫煙スペースへと歩いて行く二見を、島崎は置いて行かれないように足早に追い掛けた。
「懐かしいな。この景色」
喫煙スペースに到着するなり、二見は話し始めた。
思えば、二見に初めて声を掛けられたのは喫煙スペースだった。同期の中で昇進が早く、二見が地方で経験を積んで帰って来るなり、力になってくれないかと島崎に声を掛けたのだ。
「自分としては、警部の命令なんて断れませんからね」
「おいおい。あの時二つ返事で了承してくれたのはそんな事が理由だったのか?」
「自分は権力に逆らいませんよ」
島崎が笑うと、二見は肩をすくめた。
「だが、今は島崎も警部だろ?」
「二見さんが場所を空けてくれたおかげですからね」
「別に島崎のために空けた訳じゃないが」
小さく笑ってから二見は空を見上げた。
「わたしたちの中で一番に昇進したのは誰よりも子安だったのは意外だったな。もっと安パイを選ぶと思っていた」
二見の言葉に島崎の笑みが消える。
「わたしが彼もあのチームに誘ったこと、島崎が悔やんではいやしないかと心配はしていた。あるいはわたしを恨んではいないかと」
「そんな。選んだのは自分達です。そして作戦を受け入れたのも」
頷きしばらく目を伏せてから、二見はさりげなく口元をかくした。
「今回は『偽者』が噛んでいると踏んだんだがね」
突然話題を変えられて、島崎は「へ?」と裏返った声で聞き返した。二見からそんな話しを持ちかけられるとは思ってもいなかった。
「目撃証言は『偽者』を指し示しているというのに、映像では出てこない。ネットではそれらしい記事もあったというのに、上から公式に発表が行われてからはその記事も次々と削除されてしまったようだ」
目を伏せ、溜息をつきながら二見が続ける。
「それらしい道筋が見えたと思ったら、すぐにそれを打ち砕かれる」
「自分が持ち込んだ映像なら、解析すればまだ使えるはずです」
島崎の言葉に、二見は首を横に振る。
「本当ですって。かなり小さいですが、あの機種ならかなりの拡大に耐えられるはずですよ」
「違うんだ島崎。お前の持ち込んだ映像にはノイズが入っていた」
思わず二見に「はぁ?」と言い返しそうになり、島崎は慌ててそれを飲み込んだ。
「いやいや、入ってませんって。自分、現地で確認しましたから」
「であるとするなら、恐らくノイズは入れられたんだ」
「いや、待ってくださいよ」
島崎は理解が追いつかずに半笑いになった。
「わたしが思っていたより『偽者』は近くまで入り込んでいるようだな。まるで人狼ゲームだ。誰が『偽者』で、人間の皮を被っているか判別がつかない。その中を生き抜いていかなければならない、と」
「その『偽者』を手助けしている人間もいる、という事ですか?」
島崎の問いに二見は「そうだな」と頷く。
「しかもそれが自分達の身近にいる可能性が高いということですよね」
「そうなるな」
『偽者』が関わった可能性の高い事件で、証言を越える形で犯罪を覆し、証拠に手を加えることのできる存在が『偽者』という存在を擁護しているのならば、今後どうやって『偽者』を調査していけばよいのか。
「難しいもんだな」
二見は再び空を見上げた。倣って島崎も見上げる。
「そろそろ時間だ。会って話さなければならない人がいてね。わたしは戻るが、島崎は自由にすると良い」
「え? あ、はい」
二見は小さく笑い、会釈代わりに右手を挙げると、来た道を足早に戻っていった。