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第七話 旧友 一

 分析センターに外部記憶装置を返却しに行ったついでに、分析の結果を知ることができるかと問い合わせたところ、センターからの返答は「担当外に情報を漏らすことはできないので、懸案を担当する課に問い合わせてください」と突っぱねられた。ネタを持ち込んだのは自分なのにと、島崎はその返答に苦笑いせざるを得ない。

 先刻のあの態度だ。粟田は教えてくれる訳がないだろう。

 もう慣れてしまった事ではあるが、また行き詰まった。

 今度こそ手が届くかもしれないと思う度に、『偽者』の影はするりと手を抜けて、また遠くから島崎の事をあざ笑っているかのようだ。

「疲れてんのかな」

「え? 島崎さんが、ですか?」

 山口はわざとらしく驚いてみせる。

「お前、もう手伝わねぇぞ」

「あ、ごめんなさい」

 数日山口を苦しめ続けた資料を半日で島崎が片付けた恩を思い出したのか、山口は島崎に向かって深々と頭を下げてくる。島崎は「よろしい」と右手を挙げ、山口はその仕草に対して「有り難き幸せ」と返すなど、ふざけたやりとりをひとしきり終えてから、島崎は背もたれに身を預けて自身のスマホを取り出した。

 振り分けられた業務もなく、間もなく就業時間。わずかな隙を突いて島崎は傷害事件と『偽者』に因果関係などがないか、SNSに目撃情報等が落ちていないか、検索をかける事にした。

 日付と路線名を入れ、傷害事件のキーワードでは、ある一定数の件数がヒットした。さすがに全部を検証はできないだろうと、キーワードに「偽者」を足すと、表示件数は一気に減り、合成画像のような画像が混在した検索結果が表示された。

 求める物はこれではないんだよな、と心の中で独りごち、「偽者」を消して「凶器」と打ち込む。表示件数は更に絞られ、他の傷害事件が紛れ込む。

 確かに電車での傷害事件は多いとは言えないまでも、決してない訳ではない。この表示件数からあの日の傷害事件をピックアップするのは骨が折れるな、と思いながらも、それっぽい画像をタップしてチェックすることにした。

「おい、山口、島崎」

「はい」

「はーい」

 上司の呼び声に二人で揃って返事をするが、島崎の返事はスマホを確認しながらの間延びした物だった。

「島崎!」

 上司の怒声が飛ぶが、島崎はさほど気にした様子でもなく、右手を上げながら、「はーい」と再び間延びした返事を返す。上司は怒りのこもった溜息をつくと、二人の元へ急ぎ足で近づき、「島崎の好物のひったくり案件だ。二人で行ってこい!」と詳細の書かれた書類をたたきつけた。夕刻も迫るこの時間からの業務。本日も残業確定である。

「はい。承知しました」

「はーい。承知の助」

 スマホを胸のポケットにねじ込み、島崎は書類にざっと目を通す。と、名前の部分で小さく首を傾げた。

「同姓同名か?」

「何がです?」

「いや、気にすんな。行くぞ」

 島崎は背もたれに掛けたしわの寄った上着を抱えると、素早く立ち上がって部屋の外へと出ていく。

「はやっ。ちょっと待ってくださいよ島崎さん」

 山口は机の上に広げていた書類をまとめると、引き出しの中に押し込んでから島崎を追いかけた。


 現地に到着すると、現場は一直線の上り坂で、大通りに近い住宅街とは言え、右折し、両側を壁や駐車場に囲まれ、人通りも多いとは言いがたい場所だった。巡査を含めて三人が話をしていた。巡査は若い男で、書類には交通課と書かれている。もう一人は女性。落胆を隠せない様子で巡査の質問に力なく返事を返している。もう一人は見覚えのある、スーツ姿の小太りの男で、いち早くこちらに気づいて手を振って近寄ってきた。正確には小太りと言うよりビール腹で、局所的に腹が存在感を主張している。

「本当に橘だったか。資料にお前の名前があって、なんか嫌な予感がしたが。お前が犯人か?」

「ちゃうちゃう。つうか、こんな陽気な犯人、おったら嫌や。俺は通報しただけ。通報者。むしろ参考人に近いな」

 橘は細い一重を、更に細めて言い募ると、後半は顎に右手を当て、かっこつけているつもりのようだ。島崎が来たことに気づいた巡査が島崎の方に深々と頭を下げ、女性に向き直る。一言、二言声を掛け、巡査は島崎の元へと駆け寄った。

「お疲れ様です!」

 巡査が島崎に敬礼しようとするのを、島崎は「いらん」と首と手を振って遮った。

「あの方、島崎さんのお知り合いですか?」

 島崎の背後から山口が問いかける。

「お知り合いたくないレベルの知り合いだ」

「どんな紹介?」

 両手を広げ、橘は眉根を寄せて首を振った。ガッカリのアピールらしいが、島崎は素知らぬふりで巡査のメモを覗き込んだ。ひったくられたのは二十代の女性。刃物でショルダーバックの紐を切られ、持ち去られたとのこと。ちらりと女性に視線をやると、スマホも手元に残せなかったせいか、所在なさげに視線を彷徨わせていた。

「傷害はなし、と」

「はい。抵抗する間もなく走り去ったとのことです」

 制服も帽子もきっちりと着込み、ハキハキとした口調で若手の巡査が答えてくる。姿を見ると、自分もこんな頃があったなとポンポンとねぎらいを込めてその肩を叩いた。

「山口、ガイシャの証言を、えっと」

 名前を聞いていなかったと、島崎が巡査に視線を向けると、察した巡査が敬礼してみせる。

「自分は飯田です」

「じゃぁ、山口は飯田巡査と調書の整理を頼む」

「はい」

 山口は返事と同時に頷き、飯田に説明を促して被害者の女性の元へと駆け寄った。

「で、橘は俺が聞き取り、と」

 言って島崎は上着を漁ってメモ帳を取り出した。

「で、橘は何してたんだ?」

「新規店舗用地のための下見」

 そういえば前に飲んだ時にマーケティングどうのこうの言っていた気がした。

「んで、駅前店でのメリット、デメリット調べて、それから大通り行って、そっから居抜きいけるとことか目で見て調べとった」

「で、この道に出くわした、と」

「大通り歩きよったら、あの人がキャー言うのが聞こえて、こっちの道見たら、座り込んでるあの人の先を走ってく人がおったけん、なんやろって走って追っかけたんやけど、そいつ、足速くてなぁ」

「橘が遅すぎなんじゃねぇの? この腹、どうにかしろよ」

 島崎はペシンと橘の前に突き出す腹を叩いてみせた。

「いくら脂肪の塊でも痛いって」

 橘は必死にシャツの上から腹をさすった。

「で、逃げたホシの特徴とか、覚えていることとか、何かあるのか?」

 島崎に問われ、橘はうーんとしばらくうなり声を上げた。

「結構細身だったかなぁ」

「お前から見ればみんな細身だろう」

「こっちが真面目に協力しとるのに」

「はいはい。で、他に覚えていることとか、あるか?」

 目が開いているのか開いていないのか分からない状態で中空を見上げ、橘は「なんかあったけなぁ」と呟き、しばらく考えを巡らせていたかと思うと、不意にマンガのように手を打った。

「あ、思い出した。あれは太めのクローやったね」

「は? 太めのクロー?」

 問い返すと、橘はうんうんと頷いた。

「ザキもやっとったろ? オンラインゲーム。あれのクローみたいやった」

「あぁ、ショルダーバックの紐を切ったやつな。逃げたヤツがそういうの持ってたって事な」

 再び橘はうんうんと頷いた。その様子を横目に、島崎は橘の証言をメモして視線を被害者へと向けた。女性は大通りを指し示し、山口が女性の話を書き取っているようだった。

「ところでさ、ザキ、お前、顔色悪いけど、大丈夫か?」

「あぁ、多分昨日が徹夜だったのに、また今日も徹夜かも知れねぇって事への恐怖かもな」

 言って島崎は笑ってみせる。橘はふぅん、とそれに返事をしてから何かを閃いたようにぱっと顔を明るくした。

「こんどの休み、いつ?」

「あぁ? 伝えたところで休日返上もあるぞ」

「えぇよ。そん時は出直すけ。どうせお前の事や。家汚いやろ? ついでに直したるわ」

 島崎はふっと笑ってスマホをタップし、今月のスケジュールを表示させた。

「さすがに分かった時点で連絡するさ。しかし、汚部屋の片付けにわざわざ来るなんざ、相変わらず物好きだな」

「ちゃうちゃう。それはメインやないから。人が生存できる程度に片付ける。メインはさっき言ってたオンラインゲーム。仕事ばっかりやなくて、ちゃんと息抜きせんとな」

「まぁ、そこも相変わらずだな」

「そりゃそうやろ。完全週休二日制の仕事を選んだんは、一生ゲームするためやもん」

 橘のこの立派な腹は週末に育成されているようだ。島崎はもう一度橘のビール腹を叩くと、不平を漏らす橘を連れ、被害者の聞き取りの状況を確認しに行った。

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