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第五話 情報と先入観 一

「助かったよ。山口くーん」

「今度は何に巻き込まれてたんですか?」

 汗を拭い、スマホから外部記憶装置を外しながら島崎は山口に声を掛けた。山口は呆れつつも慣れた様子で首を傾げて島崎に問いかける。山口の問いに対する最適な答えを考えながら、島崎が自分にあてがわれた椅子に勢いよく体を埋めると、年期の入ったキャスターが不快な金属音を立てた。

「えっと、縁談?」

「縁談? 本当に、何しに行ったんですか」

「馴染みの防カメユーザーにネタの提供を頼みに行ったら、あれやこれやで縁談に巻き込まれたんだが?」

「なんかラノベのタイトルみたいな状況ですね」

 ぼやいてから、山口はふと思い出したように島崎に向き直った。

「それで、そのネタって使えそうなんですか?」

「今、解析を頼んでいるところだ」

「島崎さんって、そういうところは早いですよね」

 島崎が「何がだ?」と聞き返すと、山口は慣れた様子で「何でもありません」と答えた。

「島崎」

 ねっとりと纏わり付くような声が二人の頭上から落ちてきた。島崎には覚えのあるものだが、山口にとっては馴染みのないものに違いない。視界の端で山口が声の主を探して振り返ったが、島崎は我関せずのまま、外部記憶装置を返却するための書類に記入を始めた。

「おい、島崎」

 声の主は、しびれを切らしたように苛立ちを声に滲ませた。

「あ、どーも。一課の栗田くりたさんでしたっけ」

粟田あわただ」

 島崎がわざと呼び間違えると、慣れた様子で粟田は否定した。

「三課の人間はなにか? 話をしている相手を見ないのか?」

 粟田に言われ、島崎はにやりと笑って手を止めると、ゆっくりと粟田を振り返り見上げた。粟田は痩せ型で長身。神経質そうな見た目だが、性格も全くその通りだ。

「で、一課の方が何の用で?」

「分かってんだろう? 映像の御礼だよ。ご協力ありがとうございますってな」

 お礼だというわりには、粟田の声は投げやりだった。一課の傷害事件の映像だからと、先刻解析に回したばかりだったが、既に粟田が映像の存在を知っているということは、彼が列車の傷害事件の担当なのだろう。

「五年も経つのに、まだ三課で相変わらずの下働きか? 準キャリア様ならそろそろ上に行かなきゃならないってのに、そんな成果も上げられないとは、よほど長居したいんだなぁ、そのポストに」

「は? 何でそうなるんだよ」

 粟田が煽るように問うてくるのを、島崎は半笑いで受け流した。

 ノンキャリアの粟田にとって、頭の上がらないキャリア組である二見は憧れの対象だろうが、粟田から半歩リードして出世街道を歩いていた、準キャリアでかつ同期の島崎は目の上のたんこぶでしかなかっただろう。しかし、子安の事件をきっかけに島崎自ら出世街道から転げ落ちてくれたのだ。しかも慣れない三課への異動はまた一からキャリアを積み直す必要があったことくらい、粟田にだって分かっただろう。これまでの鬱憤を晴らすかのように、わざわざ別の課にいる島崎のところまできて絡むようになった。

「そうだろう? 三課できっちり成果を上げられてないから一課に戻って来ることすらできないんだろう? 畑違いならなおのことくすぶってんだろうなぁ」

 粟田はヒヒっと不快に笑う。

「別に、戻る必要なんてねぇだろう? 俺は今のこの環境を気に入っているし。それともなにか? 栗田は俺に戻ってきて欲しいくらい俺のことが恋しくなっちまったのか?」

「栗田じゃない! 粟田だ!」

 マウントを取りに来ただろうに、粟田は思ったほど島崎がダメージを受けてくれない事に苛立ちが募ったのか、顔を真っ赤にして怒鳴った。思わず笑ってしまった山口に、粟田は鋭い眼光を向ける。

「二見さんに可愛がられてるからって、いい気になるなよ」

「いい気になってなんてないだろ? お前の目はどこについてんだよ」

 ここか? ここか? と島崎がふざけて体中を指し示すのを見て、粟田は眉間に皺を寄せ不快感を更に強めた。

「お前は小学生か」

「そんな小学生をうらやむなんて、栗田君は幼稚園児なのかなぁ?」

 粟田はにやにやと笑う島崎のネクタイを掴むと、強い力で引き上げた。

「うらやむ、だと?」

 島崎から離れた椅子が、ガタンと大きな音を立てた。少しからかってやるつもりが挑発しすぎてしまったか。三課の中で注目を浴びてしまったのは諦めるしかなさそうだ。

 背もたれから引き離され、強引に上を向かされた首が少しばかり痛み始めたが、頭に血が上っている粟田を見ると、どうせ痛いと言っても聞かないだろうなという諦めが先に行動を支配していた。

「ふざけるなよ、島崎」

「栗田君、これは恫喝ってヤツだよなぁ」

 変わらずニヤニヤ笑って言ってから、島崎はふぅ、と息をついて表情を改めた。

「正直、一課か三課かなんてどうでも良いし、俺にとっては昇進だって、今はどうでも良い」

「抜かせ。一課にいた頃は上に上にって必死だったくせによ」

「それは一課にいた頃の話であって今のではない」

 上に行けば指示系統になれる。指示系統になれば自分の思うがままに捜査もできるようになる。粟田の言うとおり、一課にいた頃には出世さえすればどうにかなると、島崎は思っていた。

「出世ルートを外れたから、望みもなくなって、そうやって強がってみてるだけだろ」

 粟田は島崎の体を放るようにしてネクタイから手を離した。力を失い、島崎は背中を背もたれにしたたかに打ち付ける。「痛ぇな」と島崎は心の中で悪態をつくが、勿論粟田はそんな事など知るよしもない。

「このヤマは俺があてがわれた俺達一課の仕事だ。三課のお前は口も手も出してくるな」

 粟田はフンと鼻を鳴らして踵を返した。部屋を出て間もなく近くにいる人にぶつかりかけたのか、粟田の「危ないなぁ!」と吠え散らかす声と、足を踏みならすような音が耳に届いた。島崎はまたかと苦笑いしたが、山口は音の度に身をすくめた。

「なんだったんですか?」

 それまで沈黙を貫き続けた山口が島崎に小声で耳打ちした。

「大方、俺が持って帰ってきたネタの話を聞いて焦ったんだろうな。粟田が担当になったのに、俺に手柄を持って行かれるかも知れないって思ったんだろうよ。もしかしたら一課に返り咲くんじゃないかとか思ったのかも知れねぇな」

 島崎は言って肩をすくめて笑った。

「粟田さんのこと、ちゃんと正しい名字で覚えているんじゃないですか」

「あいつはからかうと面白れぇんだよ。って、山口、お前、俺が同期の名前も覚えられないとでも思ってんのか?」

「まぁ、そうは思ってませんけど。でも、なんかああいういじめみたいなの、良くないですよ」

「いじめじゃねぇよ。傷害事件に関しての、一課の方の状況の探りを入れたかっただけだ。あいつ、怒ると情報がダダ漏れだし」

「一課の情報を探ろうとしてるって、要するに、今、島崎さんが手を出そうとしているのは一課のヤマって事ですか?」

 山口がわざとらしく溜息をついた。

「なんだよ。悪いか?」

「悪いか? じゃないですよ。どうしてそんなにかき回すようなことするんですか」

「わざとじゃねぇし」

 目を伏せ、肩をすくめてみせる島崎に、山口は再び溜息をついた。

「何だよ。今回に限って言えば、手を出してきたのはあいつだろ? まぁ、ちょっとたしかにそのせいで人様に迷惑かけちまったみたいだが」

 自分は悪くないとばかりに言いながら、島崎は粟田のストレスのはけ口になってしまった人物に謝ろうと、廊下に顔を出した。と、壁に女性が貼り付いているのが目に入った。

「あれ? マルモクさんじゃないですか」

「もう、あの人行きました?」

「行きましたよ」

 島崎が壁に貼り付く女性に声を掛けると、女性は安堵したように笑みをこぼしてから壁から離れ、左右を見渡してから、大げさなくらいに胸をなで下ろす仕草を見せた。

「大丈夫ですか?」

「なんだか急に怒られてびっくりしました。すっごく苛々しているみたいで。これ以上は関わりたくないって避けたんですけど、こっちに足音立てて来るから、限界まで逃げるしかなくって」

 答えてから、ふと思い出したように女性は首を傾げた。

「ところで、まるもくって言ってましたけど、まるもくって何ですか?」

「あぁ、こっちの呼び方ですよ。目撃者さんって意味です。ところで、こんなところで何しているんです? 調書なんてとっくに終わったでしょう?」

 島崎は相手に威圧感を与えないようにと、慣れない笑みを再び貼り付ける。

「あ、そうなんですけど、スマホを忘れてしまって。それで会社を早退して取りに伺ったんですけど」

 女性は言葉を濁した。

「もしかして、迷子ですか?」

 精一杯優しく声を掛ける島崎の背中を、ちょいちょいと山口がつつく。

「なんだよ」

「島崎さん、その笑顔、気持ち悪いんですけど」

 半眼で睨み付け、山口を威圧で黙らせてから部屋の中に押し戻し、表情を改めてから女性の方に向き直った。

「俺で良かったら、署の出口まで案内しましょうか?」

「良いんですか?」

 女性が表情をぱっと明るくすると、山口が小さく「またですか」とぼやいているのが耳に入ったが、聞こえないふりで「じゃ、ちょっと出るな」とデスクに向かう山口の肩を叩いた。

「分かりましたよ。でも、帰ってきたらちゃんと手伝ってくださいよ」

 島崎を振り返り、山口が声を掛けてくる。

「ん? 手伝うって何をだ?」

「えぇ? もしかして本気で忘れてます? 島崎さんが言ったじゃないですか。もう三日も前ですよ? 島崎さんに別件が入ってきたから一人で頑張ってたのに」

 山口が口をとがらせて机の上にある書類の束を指し示す。そういえば山口の抱えていた案件が、あまりに資料が多くて可哀想になり、手伝ってやると言った気がする。

「忘れていた」

「忘れてたんですかぁ?」

 こっちはいろいろと協力してるのに。と山口がぼやくのを、島崎は「スマンスマン」と笑ってのけた。山口は肩をすくめて自分のデスクへと向き直る。機嫌はしばらく直りそうにないなと感じ、島崎はどうしたものかと考えながら粟田に歪められたネクタイを直した。と言っても真っ直ぐに直しただけで、緩んだ見た目はあまり変わっていないが。

 そんな二人のやりとりを見て、女性は声を出して笑い出した。島崎は女性の存在を思い出し、苦笑いを浮かべる。

「すみません。みっともないところを」

「いえ。むしろ親近感が湧きました。どこも一緒なのかなって」

「まぁ、そんなもんだと思いますよ。じゃぁ、案内しますよ。山口、もう少し一人で頑張ってろ」

 島崎の視線の先で、山口は返事の代わりにうなり声を上げ、何か呟きながら机の上の資料をめくり始めた。機嫌を取るのは時間がかかりそうだと、島崎は山口のことは後回しにして女性を警察署の外へ繋がる廊下へと促した。女性は部屋の中の山口に会釈をしてから、先に歩き出した島崎を追いかけた。

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