大通りから見覚えのある路地を一本入ったところに、年季の入った板金屋がある。こじんまりとした店で、住み込みの職人が一人、熟練の職人が一人、それと店長の長女である明奈と長男の善史の五人で経営しているアットホームな雰囲気だ。一本入ったところではあったが、数年前に大通り沿いの店が移転し、更地になってからは板金屋から架道橋を通る列車が、観光ガイドのチラシのように映えて見える。
店長はマニアではないものの、鉄道が好きで、毎日架道橋を渡る列車をカメラで撮影している。決定的瞬間が上手く撮れないからと、固定のカメラから防犯カメラによる二十四時間撮影へと切り替えたのである。まだ一課にいた頃、強盗犯の逃走経路の検証中に、偶然ここに防犯カメラがあることを知ることになった。その後、映像を利用させてもらったのが二回。防犯カメラの映像が捜査の役に立つならと、店長が撮影範囲を大通りまで映るように移動してくれたのだ。
「あれ? 刑事さん、おはようございます。もしかして、また事件でもあったんですか?」
店の表を掃いていた明奈が長い髪をかき上げながら顔を上げた。美人というより可愛いが似合う雰囲気で、いつも笑顔を浮かべている印象がある。
「そうなんですよ。なんか、俺イコール事件って感じですよね」
わずかにしっとりしたハンドタオルで汗を拭うと、再びポケットに押し込んだ。
「先日、あそこで電車が止まってたと思うんですけど、その時の映像を見せてもらえないかと思って」
「あ、待っていてくださいね。父を呼んできますので」
明奈は手元のほうきとちりとりをまとめると、入り口横の入れ物にしまい、島崎に会釈をして事務所の方へと姿を消した。簡素な事務所から、明奈の「お父さん、刑事さん来てるよ。防犯カメラの映像、見て欲しいって」という台詞がほとんど遮られる様子もなく耳に届く。一階部分は鉄筋でくみ上げられ、二階部分が住み込み可能な部分、三階が店長の住宅となっている。一階部分の外装はプレハブを利用し、簡素な構造となっている。声を張れば音は上にも周りにも筒抜けだ。塗装や板金を行う場所は別な建物で構成されており、接客と作業とが完全に隔離されている。この店長の住宅部分の三階に防犯カメラが設置されているのだ。店長の設定している画角であれば、十分に大通りと交差する架道橋が捉えられているはずだ。
防犯カメラの位置と大通りの上に見える架道橋の位置とを確認していると、程なくして少しばかり重たそうな足音が聞こえてきた。
「あぁ、やっぱり島崎君か。明奈のやつが『刑事さん』なんてよそよそしく言うから、てっきり別な人が来たかと思ったよ」
ガハハと豪快そうに笑いながら店主が店の正面から出てきた。
「お久しぶりです」
島崎は愛想よく見えるように笑みを貼り付けてから会釈をする。
「もう、お父さんってば、刑事さんなんだからそんな親しそうに呼んだらダメじゃない」
「なんだよ。刑事さんだったらなんか特別扱いしなくちゃいけないのか?」
「そうじゃないけど」
後ろからついてきた明奈が店長に隠れるようにして口ごもる。
「うちの明奈ちゃんは島崎君が好きだからなぁ」
「そ、そんな事言ってないじゃない」
店長は楽しそうに笑うが、明奈は顔を真っ赤にして否定する。島崎はどう返して良いものか分からず、店長の冗談に曖昧に笑うしかなかった。
「もう、お父さんてば、刑事さん困っちゃってるじゃないの」
赤い顔のままで明奈が「ねぇ」と同意を求めてくるのを、「いや、俺は全然」と答えると、再び店長はニヤニヤと笑って明奈をからかう。
「私は仕事に戻りますっ」
明奈はわずかに口をとがらせて店長を肘で小突くと、島崎に会釈をして、逃げるように事務所へと消えた。
「さて。防犯カメラの映像だったな。いつのだ?」
「あ、あの先日あの架道橋で列車が止まっていたときです」
明奈が姿を消すと、店長は一転して話題を切り替えた。島崎は一瞬反応が遅れたが、手帳を取り出しながら正確な日時を店長に伝える。
「あぁ、あの事件か。刃物で女の子襲ったってなぁ」
物騒だよなぁと店長は眉根を寄せながら事務所にある階段を上り、居住階へと向かった。
「あんなところで止まりやがるだろ? しかも逃走中だって? おっかなくてしょうがねぇや。早く捕まえてくれよ」
店長は玄関の鍵を開けながら、ぼやくように呟いた。
「ここからだと、あの列車の停車中の画像が撮れるので、店長があのカメラを動かしていたら、もしかしたら映り込んでいるかも知れないんです」
「かなり遠くないか?」
「店長のカメラ、結構良いヤツなんですよ」
そうなのかい? と店長が島崎を中に促しながら聞き返す。その声色が少しばかり嬉しそうだ。
「犯人が映っていれば、警察で解析かけられるんで、有力な情報になると思います」
店長は島崎の言葉に「へぇ」と相槌を打ちながら、防犯カメラの屋内モニターを島崎の前に差し出した。
「撮っているのは良いんだが、さっぱり分からんでね」
店長は豪快に笑う。
「じゃぁ、普段映像はどうしてるんです?」
「エモい夕焼けの日とかあったら、善史に頼んでコピーするんだ」
そういえばこれまでは善史が付き添って動画を取り出してくれていた気がする。若干店長から発された「エモい」に引っかかりを覚えつつ、島崎は「なるほど」と呟きながらモニターの前に腰を下ろした。
「すみません。じゃぁ、検証させてもらいますね」
タッチパネル式のモニターをタップし事件の日の映像を探し出す。
「今日、善史さんは?」
「有給でデートに出かけた」
店長は端的にそれだけを告げる。
「有給でデートなんて、なかなか贅沢な使い方ですね」
「やっぱり警察は大変なのかね」
「まぁ、大変といえば大変ですけど、それはどの職でも同じだと思いますし」
当たり障りのない返答をしながら、島崎はメモ帳の時間と映像の時間を照らし合わせて動画番号を選んでいく。
「ところで、島崎君は彼女はおらんのかね」
「はい?」
突然の問いかけに島崎の声が裏返る。
「うちの明奈はどうかね」
モニターから視線を外し、店長を見上げると随分と接近したところで島崎に声を掛けてきていた。思わず身をのけぞらせた。
「あ、と、とても可愛い方だと思いますよ。はい」
だろう? と店長は表情を緩ませる。
「亡くなった家内に似てな。とてもしっかりしてるし、可愛いし、ウチの会計や保険とか、全部やってくれてるんだよ」
先刻明奈をからかっていたのは、そうなって欲しいという店長の願いも加算されていたのかも知れない。
「家事も全部やってくれて、料理も旨いし、何より可愛いだろう?」
昼間からアルコールでも入っているのかと思うくらい「可愛い」を力説してくる。
「あ、このデータです」
島崎は、日付と時間からはじき出された映像データをタップし、モニターを店長にも見えるように角度を変えた。店長はどれどれと画面を覗き込む。
速度を落とした列車が停止する様子が島崎の角度からも見て取れた。
「しかし、この小さい映像が役に立つのか? 解析にかければとか言っていたが」
すっかり店長の興味は警察の捜査へと戻っていた。
「かなり拡大して解析できるんですよ。ましてや店長さんの防犯カメラ、画素数が高いので拡大に耐えられますし」
島崎は言いながら自分にも見えるようにモニターの角度を整える。動画を巻き戻してみると、確かに列車から何か出てきているように見えた。恐らくこれがSNSに流れていた犯人ということだろう。島崎の心が久しぶりに高揚感で満ちていた。
「じゃぁ、これ、コピーさせてもらって良いですか?」
「あぁ。これで捕まえるきっかけになるなら、いくらでも協力するさ」
「捜査へのご協力、ありがとうございます」
島崎は頭を下げるとモニターの横からSDカードを抜き出すと、スマホの裏に接続してあった外部記憶装置を取り外し、スロットに差し込んだ。
「ところでさっきの話だが」
外部記憶装置が読み取りサインの点滅を繰り返す中、店長は話を蒸し返そうとする。と、タイミング良く、島崎のスマホが振動した。
「明奈もそろそろ結婚適齢期だと思うんだが、こんな板金屋にやってくる客なんて、そんなに幅広いわけじゃないだろう?」
取り出したスマホの画面には「山口」と表示されている。島崎は心の奥で手を合わせてスマホの画面に拝みながら「すみません、ちょっと連絡が来たので」とタップした。
「はい、島崎です」
『島崎さん? なんか対応違いません?』
「あ、はい。分かりました。はい。データは頂きましたんで、これから戻ります」
『島崎さん、上手いこと利用』
「はい。失礼します」
電話の向こうから聞こえる山口の台詞を遮って、島崎は一方的に話して電話を切った。既にデータの取得を終えた外部記憶装置からSDカードを抜き取り、防犯カメラのモニターに戻し、現在撮影中の映像に表示を切り替えた。数日前の事件を感じさせない日常がそこには映し出されていた。
「やっぱり忙しいのかね」
島崎の外面にすっかり騙された店長は、少しばかり残念そうに島崎の差し出したモニターを受け取る。
「すみません。他部署との連携もありますし」
「そうか。いつでも捜査に協力するから、またできる事があったら来てくれたら良いさ」
店長の人の良さに少しばかり良心を痛めつつ、島崎は外部記憶装置をスマホに装着すると、再びポケットにしまい込んだ。
「ご協力、感謝いたします」
形式通りの台詞をおいて、島崎は板金屋からそそくさと退出した。