朝までにらめっこをしていた防犯カメラの映像を、再び入念に見返してみるが、どこにもそれらしい姿は映っていなかった。
捜査支援分析センターに映像解析を依頼した分の残りで十分なはずだったが、人物を追跡するにもあまりに犯人の情報が少なすぎた。
SNSに目撃情報が投稿されてはいないかと、キーワードを打ち込んで検索をかけてみたが、表示された情報はどれも似たような文章で、一時期事件の話がトレンドに上がっていたのだろうと推測された。氾濫する情報から絞り込んでいくのは至難の業だったが、犯行時間や最寄り駅や停車した場所などは、ある程度割り出すことは可能だ。事件を体験したらしいコメントから状況を把握できそうな位置にあるカメラを想定し、対応する角度にある映像は特に入念にチェック済みだ。なんだったら逃走する怪しい人影がないか、他の映像だって確認してみたが、挙動不審な人物は特に見当たらない。
今では国内の至る所に防犯カメラの目があると言っても過言ではない状況の中、ここまで姿が映らないことがあるのか。たまたまあの列車が停車した位置が悪かったとでも言うのだろうか。恐らく入念に計画を練ったひったくり犯でさえも、全ての防犯カメラの目から逃れることはできなかったというのに。それとも計画的な犯行だったとでもいうのだろうか。
目撃者の情報を詳細に訊き出すことのできない立場が恨めしい。
島崎は舌打ちしてからあちこちで集めてきた映像データの保存されたSDカードやUSBをジップロックにまとめた。三課の足で稼いだデータをそのまま一課が吸い上げることも、一課から傷害事件の資料を拝借する事ができないことも、心の中にわだかまりしか作ることができなかったが、全て個人の感情でしかない。
溜息をつきながら島崎は自分のスマホをポケットから取り出した。シンプルな黒いケースは、妙に厳つく存在感を放っていた。
せめてあの停車している映像の反対側にカメラがあれば。
そこまで考えてから、島崎はスマホで地図情報を確認した。列車の停車していた位置から、既にデータを入手してある防犯カメラの位置を追加していく。その中から不足しているデータを補える位置を囲い、拡大する。その中に知っている名前が見えて、島崎の口元が緩んだ。
「なんだよ。ここならデータ持ってんじゃねぇか」
島崎はスマホを胸ポケットに押し込み、映像データの入ったジップロックを握った。
「あ、島崎さん、一課から」
「おっ! ちょうど良いところに山口君」
島崎を探しに来た山口が、管理室の入り口から顔を覗かせた。島崎は顔をほころばせたが、一方で伝言を遮られた山口は一瞬で眉根を寄せ、疑いの眼差しを島崎へと向けた。
「ちょうど良いところにって、まさか、パシらせようとかしてませんよね」
「やぁ、さすが山口君は察しが良いね」
島崎は言いながら山口の手を取り、ジップロックを握らせる。
「ちょっと、証拠品に対して無責任過ぎません?」
「いや、俺よりも更に責任感の強い山口君に任せているんだから、むしろ責任を全うしていると言っても過言ではない」
「過言ですよね」
ジップロックを突き返そうとする山口の両肩に両手を添えると、島崎はご機嫌を取るように肩をもんだ。山口はそれを邪険に振り払う。
「こっちも暇じゃないんですからね? ひったくりの件も分析終わったらちゃんとホシあげてくださいよ」
「分かってる。分かってるって。もうちょっと情報入れてきたいだけだからさ」
「もう昼ですからね。コレ、一課が午後からこれアラうことになってるんですから」
山口はジップロックを掲げて見せた。
「お、マジか。ギリ間に合ったか」
「アウトですよ。一課の人がウチに取りに来てる時点でアウトです」
言葉では突き返しながらも、山口は溜息をついてからジップロックの中身を寄せ、几帳面に折りたたんでジャケットの内側にしまった。
「何か掴めたんですか?」
「あ? ひったくりの件は分析に回したって」
「そうじゃないですよ」
聞き返そうとする島崎に、なぜか山口は大げさにガッカリした表情を見せた。
「何年島崎さんの下についてると思ってるんですか? またなんか変な事件に首突っ込もうとしてるんでしょ?」
腕を組み、口をへの字にして、山口はわずかに背の高い島崎を見上げた。
「島崎さんの暴走は止められませんから? ホント余計な事はしないでくださいって、怪我はしないようにしてくださいって、見てるしかないんですからね」
かつての同僚の姿に重なって見えて、島崎は思わず「スマン」と小さく呟いた。
「じゃ、一課の人に届けておきますから。ちゃんとキリをつけて三課の仕事も励んでくださいよ」
仕方ないなぁと苦笑して山口は部屋を出ると、扉を支えながら右手を差し出してきた。
「ん? 金か」
「違いますよ。ホント島崎さん、事件以外は察しが悪いから」
わざとらしく溜息をつく。
「鍵ですよ、鍵。どうせ直行したいんでしょう?」
島崎はヘラヘラと笑うと「じゃ、よろしく」とズボンのポケットから管理室の鍵を取り出すと、山口はもぎ取るように受け取って、島崎に早く外に出るようにとジェスチャーで促した。静かに鍵を閉め、山口は参加へと踵を返す。島崎はそんな山口の後ろ姿に両手を合わせてから、くたびれた上着を丸めて外へと走ろうとした。
「廊下は歩いてくださいよ!」
「はいはーい」
全てを見透かした山口の言葉に、島崎はおどけた返事を返し、肩をすくめてから足早に外へと向かった。
外は見事なくらいに晴れ渡っていた。
ビル街では、遮る物のない昼の日差しが、痛いほどに身を刺してくる。ゆっくりと額から汗がもみあげから顎へと伝っていくのを感じながら、そろそろ上着をクリーニングに出すかと、抱えた上着に視線を落とした。余計な皺の寄っているジャケットは、まるで疲れた島崎の姿を映しているかのように、なんとも情けなく見えた。
かれこれ五年は誤魔化しながら着ている。三課に配属されてから買った物だ。配属されて間もなくの頃は、同僚を失った喪失感からやる気も生気も感じられない状態だったらしく、いい加減にしろと上司から怒鳴られ、心機一転を狙って買い直した。自分の着そうなスーツではなく、かつての同僚が好みそうな物にしたのは、彼を風化させないための島崎の意地だ。
かつての同僚は子安透という名で、今でもSNSで検索すると上位で事件の内容がヒットする。二人で追いかけていた事件だったが、なかなか相手が尻尾を出してくれないことにしびれを切らしていた。そこで単身でおとりとして捜査に向かうことを決め、子安が犯人側に探りを入れる中、捕まり、残忍な手口で殺された。
なぜ単身で向かったはずの子安の死の状況が分かったのか。
というのも、犯人は子安になにがしかの薬品をかけ、体が溶解していく様を撮影し、SNSに流したのである。それは犯行声明であり、島崎ら警察への警告であったのだろうと島崎は考えている。
子安の代わりに自分が行けば良かったという後悔と、その後の捜査が迷宮入りして「未解決事件」として処理された事への落胆から、抜け殻のようになってしまった島崎は、捜査にいって張り切りすぎて空回りしたり、逆に無気力に何もしなくなったりと、躁鬱の状態を繰り返し、一課の雰囲気を乱したために配属の変更を余儀なくされた。
三課に転換されてからもしばらくはその状態が続いたが、上司からの一喝を機に心を入れ替えた島崎は、二度と同じような悲劇が起きないように、警察として任務に当たり続けることを決めたのだ。
情けなく、くたびれたジャケットではあったが、島崎にとって、どんなに色あせようとも手放すことのできない一着だった。