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最終夜 千紙屋(前編)

●最終夜 千紙屋(前編)

 群馬県の某所。山間にある温泉宿で、露天風呂の湯船に浸かりながら新田 周平あらた・しゅうへいは、長かった東京を護る戦いの疲れを癒す。

「ぷふぁー。いい湯だ……まさか、白さんの実家が温泉宿とはな」

 ここは白……新田の住むアパートの隣人であり、白蛇のあやかしの魂を持つ蛇迫 白じゃさこ・しろの実家。

大学生の彼女は進学のため東京に上京してきた。そして新田たちと共に天海僧正による東京の運命を左右する戦いに巻き込まれ、苦戦の末勝利を得た。

 そのご褒美と言う訳ではないが、彼らは大妖怪復活による大地震や、妖怪によって破壊された新宿駅と言ったあやかし災害から復興する東京を離れ、羽根を伸ばしに来た訳だ。

「あぁ……このまま東京に帰らずに温泉に浸かって過ごしたくなる……」

 ぶくぶくと頭半分まで乳白色の湯に沈みつつ、新田がそんなことを思っていると、ガラガラっと扉が開かれる音と共に、竹で出来た柵向こうの女湯が賑やかになる。

「いっちばーん! ふぅ、あったかーい!」

 身体に巻いていたタオルを開けはだけ、温泉に飛び込んだのは新田のパートナーである見習い陰陽師、芦屋 結衣あしや・ゆい……アルビノである彼女の白い肌が、湯に染まりみるみるとピンク色に変わっていく。

「結衣にゃん、身体をちゃんと流さないとダメなのにゃ……まあ、そらは五月蝿い方ではないから、見逃すけどにゃ」

 そう言ってきちんとかけ湯をしてから湯船に入るのは、猫又娘のあやかし、猫野目 そらねこのめ・そらだ。

 ここでは半分あやかしである白の実家と言うこともあって、あやかしの姿を隠さなくても良い……腰の付け根から伸びる二つに割れた尻尾をゆらゆらと動かしながら、二つの巨大な果実をお湯に浮かべさせる。

「実家のお風呂は久しぶりですね……脚を伸ばせる湯船は、やっぱり良いですね」

 続いて柵を背に湯に身体を沈ませたのは今回の旅行のある意味主役である白……彼女のおかげで、なんと今回の宿泊費はタダなのだ。

 勿論悪いと思った新田は、宿泊費を受け取って貰おうと宿に着いた時に挨拶に来た白のご両親に手渡そうとしたのだが……東京でお世話になっていると聞かされているのもあり、頑として受け取って貰えず、現在に至る。

 新田としては帰るまでに何とか渡したいところなのだが、好意を無碍にも出来ず、悩まし気に頭を抱えていた。

 そんな新田の悩みはさも知らず、結衣は大きな湯船にはしゃぐ。

「もう、結衣にゃん。泳いじゃダメにゃよ?」

「誰も見てないし、へーきへーき!」

 スラリとした、無駄な肉の無い肢体を動かし、縦横無尽に広い湯船を泳ぐ結衣。

 注意するそらの声を無視した結果……彼女は白にぶつかりそうになった。

「白さんごめん! ……って、傷、残っちゃったんだ」

「ふふ、気にしないで下さい……友達を護れた、名誉の勲章です」

 ぶつかりそうになった結衣は白に謝るが、その際に避けた彼女の背中に残る傷痕を見てしまう。

 その傷は、倒壊する新宿駅でそらを庇って受けた傷。結衣の治療術で傷は癒したのだが……傷痕までは消せなかったのだ。

「白にゃん……あの時は本当にありがとうだにゃ!」

 庇われたそらは、涙を浮かべながら白に抱き着く。その胸に挟まれながら、白は良いんですよと彼女の背中を優しく叩く。

「折角の綺麗な肌なのに……」

「そんなことを言ったら、結衣さんだって傷だらけですよ?」

 しょんぼりとする結衣に、白はそう告げる。

結衣の身体も細かい傷が無数にある……だがその一つ一つの傷が成長の証。戦いの記憶。彼女にとって誇り以外の何物でもない。

 だが、白はあやかしの魂を宿しているとはいえ、本来は普通の大学生。その身体に自分が未熟だったことで傷痕が残ったことを結衣は許せないのだ。

「そんなに言うなら……責任を取って、新田さんに貰って貰いましょうか?」

 あまりにも落ち込む結衣に、白はそう告げる。突然の無茶振りに、柵向こうで話しを聞いてしまっていた新田は思わず咽て声を出しそうになった。

 だが、新田が反応するより早く、結衣が口を開く。

「ダメ! それはダメ……新田は、新田は……その、そう! 私のパートナーなんだから!」

 バシャっと言う音を立てながら、勢いよく湯から立ち上がった結衣はそう宣言する。

 そんな彼女の姿に、白はにっこりと笑みを浮かべながら、柵の向こうに話しかける。

「だ、そうですよ、新田さん……残念でしたね」

「えっ? 新田、聞いてたの!?」

 ニコニコと微笑む白の視線の先で、温泉の湯だけではない……耳まで真っ赤に染めた結衣は、流れて来た湯桶を男湯に向けて投げ入れる。

「新田のえっち! すけべ! 変態!!」

「やめろ、結衣……! 物を投げるな!!」

 結衣が放つ鋭く回転する湯桶は、新田に向かい、まるで彼が何処に居るか見えているかのように狙いすまされ投擲される。

 慌てて交わす新田は、折角の温泉の情緒が台無しだ……と嘆きの声を上げるのであった。


 温泉で一波乱あったが、部屋に戻るとそこには豪勢な料理の山が用意されていた。

「お風呂、どうでしたか?」

「あぁ、誰かの所為で疲れたよ……」

 部屋に戻った新田にそう声を掛けるのは、獏のあやかしである夢見獏ゆめみ・ばく……彼女は長旅で疲れたのか、温泉には後で入ると部屋で休んでいた。

 同じように先に部屋で待っていたのは、雪女のあやかしである雪芽ユキゆきめ・ゆき

 彼女の場合はちょっと事情が異なり、雪女であるユキはお湯に入れば融けてしまう。なので、部屋の湯船で水風呂に浸かっていたと言う訳だ。

「さ、揃ったみたいですし、頂きましょう……お酒、飲んじゃダメですよね?」

「今のユキさんの身体じゃ、どう悪影響が出るか分かりませんので、残念ですが我慢して下さい」

 新田にそう言われ、残念そうな顔をするユキ……本来は二十八なのだが、秋葉原を護る戦いで妖力を使い果たし、彼女は小学五年生程度の姿になってしまっていた。

 そのため大好きなアルコールを我慢せざるを得ず、豪華な料理に添えられた日本酒を口惜しそうに見ている。

「ほら、結衣、いい加減機嫌直せ」

「……別に、怒ったりとかしてないもん」

 オレンジジュースの栓を開けた新田は、結衣に向かって瓶を差し出す……むくれた顔の彼女は、横を向いたままグラスを突き出した。

「やれやれ……」

 苦笑しつつもそれぞれのグラスにオレンジジュースを注ぐ新田に、日本酒の御猪口が渡される。

「新田さんも一献どうぞ。地元のお酒です」

 白にそう言われ、御猪口を受け取ると日本酒を注がれる新田。注がれた瞬間から米の芳醇な香りが広がり、食欲が増すかのようだ。

「白さんは……飲めますか?」

「はい、頂きますね」

 今度は新田が白の御猪口に日本酒を注ぐ。浴衣の袖元を抑えた彼女は盃を受け取ると、軽く新田に向けて掲げる。

「それでは、皆さん……頂きます」

「「「頂きます、かんぱーい!(にゃ!)」」」

 全員がグラスを掲げ、白の声で頂きますと乾杯を斉唱する。

 群馬の山の幸と川の幸を中心にした料理はとても美味しく、お酒も進む。

 新田は飲み過ぎないように……と注意していたのであったが、気付けば盃を重ねていた。

「もう……飲めない……」

「あらあら、新田さん……お眠みたいですね」

「もう、疲れてるのにお酒飲むから……」

 白と結衣が酔いつぶれた新田に呆れた顔をする。立ち上がろうとした結衣を制し、白が新田の肩を抱えて立ち上がる。

「結衣さんは折角の骨休めなんですから、楽しんでください。ここは幹事の私がお部屋まで運びます」

 そう言われ、結衣は上げかけた腰をムズムズとさせながら下ろす。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「ええ、任せて下さい」

 結衣にそう告げると、新田を抱え部屋を後にする白。その後ろ姿に、結衣は危機感を隠せない。

 そんな時だ。現世の食事を取ると黄泉戸喫よもつへぐいになり地獄へ帰れなくなるため、食事を食べられない鬼女の鬼灯ほおずきが、露天風呂から部屋に戻って来たのは。

「ふー、いい湯だった……地獄に仏とはああ言うことを言うのかねぇ。まああたしは鬼な訳だけど……結衣、どうしたんだい?」

「それがですねぇ……新田さんが酔いつぶれたんですけど、白さんが部屋に運んだことで……」

 獏の言葉に、あぁ、納得……と鬼灯は呟く。そして結衣の背中をバンっと叩く。

「気になるなら、行って来ればいいじゃないか? 行動力の化身みたいなのがお前さんの良いところだろ?」

 鬼灯の言葉に、燻ぶっていた結衣の導火線に火が点く。あとは爆発して走り出すだけだ。

「うん……気になるし、心配だし、ちょっと行って来る!」

 サッと立ち上がり、バタバタと駆け出す結衣を見送った鬼灯は、日本酒の入った徳利を手にすると一気に飲み干す。

「ふぅ、良いことをした後の酒は旨いね……っ!」

「あーっ……飲んじゃったんですか?」

「お供え、まだなのに……」

 獏とユキの言葉に、ハッとした表情をする鬼灯……先も述べたが、現世の食べ物を食べると黄泉戸喫になるため地獄には帰れない。

 そのため鬼灯が食べる物は一度仏壇や神棚に供え、供物としてから飲み食いしないといけないのだ。

 ……禁を破ってしまった鬼灯は、もう自棄だと残りの幸を食べつくすのであった。


 酔いつぶれた新田は、白に支えられ部屋へと戻る。

 そこは既に布団が敷かれており、白は新田をその上に寝かそうとするのだが、バランスを崩して一緒に倒れ込んでしまう。

「新田さん、大丈夫ですか?」

「あぁ……大丈夫……んんっ……」

 酩酊している新田に抱きしめられる形になった白は、どうしようか少し悩む。

 このまま腕に包まれているのも幸せだし、今ならば……。

『(今ならば、唇を奪うのも簡単だからのう)』

「朔夜!?」

 魂の内側から語り掛けるのは、白の体内に宿るもう一つの魂……白蛇のあやかしである白蛇朔夜しろへび・さくやの声。

 彼女は常人よりも量も質も勝る新田の霊力を欲しており、事あるごとに奪おうと唇を狙っていた。

 だが、今の彼女は、霊力よりも白の想いを叶えるチャンス……そう白を誘惑する。

『(今のシューヘーならば、手を出すのは容易……子を孕めるかは運として、肉体だけでも奪い取るチャンスやぞ)』

 確かに、新田の想いは……本人は気付いてないフリをしているが、結衣に向けられている。

 気持ちでは彼女に勝ち目がないことも分かっている。

 だが、結衣はまだ子どもだ……それに対して自分は大人。責任を取れる歳だ。

 一夜の過ち……それでも、それだけでも良いのではないか? そう白の脳裏に朔夜は囁く。

「新田……さん……」

 白は抱きしめられた新田の胸元に顔を埋める。ドクンドクンと言う鼓動を奏でる心臓の音。身体に染みついた温泉の残り香。口にした日本酒のほのかな香り……自分も彼も酔っている。過ちを犯したとしても言い訳は立つ。

 白は身体を起こすと、そっと新田の唇を指でなぞる。

 そして……。

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