●第二十八夜 天海僧正(その一)
霊的防御都市、東京。幾重にも重ねられた結界のうち、最大級の物が朱雀、白虎、玄武、青龍による四神結界。山手線・中央線による仏の手結界。そして江戸城……皇居を中心にし、裏鬼門を日枝神社、鬼門を寛永寺と神田明神で護る江戸城結界である。
だが江戸城結界は日枝神社、寛永寺と破壊され、そのうえ三重に施された東京結界の最期の護り、神田明神も東京破壊を企む天海僧正とその配下、こなきじじいのあやかしである小名木によって破壊された。
これにより、機能を停止している四神結界と、山手線と中央線の結節点である新宿駅を破壊され仏の手結界の効力を失った東京の街は裸になったような物である。
東京を護る、神田明神の祭神である
しかし、天海僧正たちの目的は霊的防御を失った東京の街で『百鬼夜行』を起こすこと。
それだけは阻止しなくてはならない。
……東京の街を賭けた、最後の戦いが始まろうとしていた。
神田明神の境内で、小名木と新田がにらみ合う。
「言いたいことは言い終わりましたか?」
「小名木……お前を倒す。そして百鬼夜行を阻止する。それ以外の言葉はない」
では……始めましょう。そう言い、小名木が重量と質量を操る力で、新田の全身を重くする。
だが、それに負けず新田はスマートフォンを向けると、ストラップに吊るされた石灯籠の式神、古籠火から火柱を吹き出させた。
「燃やせ、古籠火っ!」
「おっと、そうはさせません!」
小名木は新田に掛けていた重量操作を解除すると、スマートフォンの重量を一気に重く雨する。
片手で支えられなくなったスマートフォンは、下を向き、同時に吐き出された炎も明後日の方角を向く。
「くっ、ならばこれでどうだ!」
新田は背中に背負った鞄から陰陽師で使う陰陽五行説が描かれた太極盤を取り出すと、術を唱える。
「木は土の養分を吸い取る、それ相克也! 陰陽五行が木行、鳴神招来!!」
小名木はこなきじじいのあやかし……その正体は石、つまりは土属性。
土属性の相手に対しては、陰陽術では土に反する木属性の攻撃、雷の攻撃が有効である。
鳴神……雷神を召喚し落雷を呼ぶ術により、流石の小名木と雖もその身体が吹き飛ぶ。
「皇居の地下では空が見えなくて使えなかったからな……バラバラになったか?」
「……危なく、ですかね。残念ながら」
落雷で砕けた両腕を、脚で踏み抜き砕いた敷石を使い再生する小名木。
「そう言えば、石のあやかしだったな……修理素材は豊富、と言う訳か」
「そう言うことです。そして……この術もまだ使えますよ!」
新田の言葉に小名木はそう言ってズボンのポケットから黒いビー玉状の呪具を取り出す。
小名木の力で超質量を与えることで、小さなブラックホールを生み出す呪具……新田はブラックホール弾と呼んでいた。
「まだ残ってるのか……」
「残念ながら、まだ弾切れはしてませんよ」
とは言っても、小名木は残弾が殆どないことは知っている。寛永寺を巡る戦いで等活地獄の鬼、鬼女の
だからこそ、使い切るつもりで使う。だが残弾が少ないことが新田に露見しないように、小名木は表情筋を石化させ冷静な顔つきで固定するのを忘れない。
「そっちがブラックホールを使うなら、こっちは白虎で相殺させて貰う!」
新田はスマートフォンにぶら下がっているもう一つのストラップ……彼の家に代々伝わる呪具、白虎の牙に霊力を注ぐ。そして増幅した白虎の力を古籠火から出力する。
「いでよ、炎の白虎よっ!」
「爆ぜろ、ブラックホールよっ!」
新田と小名木は同時に動く。指弾でブラックホール弾を弾く小名木。その放たれた呪具に向けエネルギーの塊である炎の白虎を放ち相殺する新田。
「ふむ、江戸城では四体の白虎をぶつけてやっとでしたのに……この短時間に何かしましたか?」
流石の小名木も驚いたのか、表情は変えずに新田に尋ねる。
「なに、白虎が守護する東海道からちょっとエネルギーを分けて貰っただけだ」
何でもないかのように答える新田……そう、彼は大妖怪、土蜘蛛と戦うのに、芝公園に隣接していた国道一号、白虎が守護する東海道から力を分けて貰っていたのだ。
「なる程、土蜘蛛様に増上寺を狙わせたのが裏目に出たと言う訳ですか。まあ良いでしょう……その力が尽きるのが早いか、ブラックホールに飲み込まれるのが早いか、試してみますか」
小名木はそう告げると、次のブラックホール弾の準備をする。新田も応えるようにスマートフォンを……ストラップの白虎の牙と古籠火を小名木に向ける。
「行きますよ……っ!」
「来い、小名木っ!!」
新田と小名木の雄叫びが境内に響く。
一方その頃、救出したユキと獏の二人を、神田明神へと続く参道を下ったところまで連れて来た結衣は、そこで鬼灯と合流した
「結衣にゃん!!」
「結衣さん! ……ご無事で何よりです」
「うぷっ……そ、そらちゃん、苦しい……。それに白さんも無事で良かった」
新宿駅で別れて以来の再会に、思わずそらは結衣を抱きしめ、メイド服の上からでも大きく主張するその豊かな胸部で頭を包む。
だが元気そうな結衣の様子に、恋のライバルとは言えども、白も涙を目尻に浮かべていた。
「ほら、何時まで抱き合っているんだ……時間が惜しいんじゃないのか?」
ぎゅーっと抱きしめてくるそらを引き剥がせない結衣に助け舟を出したのは、呆れ顔の鬼灯であった。
彼女はそう言うと強引にそらの腕の中から結衣を引き剥がし、彼女たちを軽く小突く。
「ふ、ふぅー……みんな。みんなにお願いしたいことがあるんだ」
「……新田さんですか?」
お願いと言われ、思わずこの場にいない……恐らく戦っているのであろう新田の名前を上げる白。
だが、結衣の答えは違った。
「みんなには、将門社長の救出をお願いしたいの」
神田明神の御神殿が消失したことで、祀られている平将門は現世との繋がりを失いかけている。
そのため現在は境内で倒れ、無防備な状態……そこを襲われればひとたまりもない。
「安全な場所……出来れば千紙屋が無事なら、お店まで運んでくれると助かるよ」
秋葉原は電気街裏の雑居ビル、その五階に平将門が社長を務めるあやかし向けの融資・保証の『千紙屋』があった。
結衣、そして新田はそこで働くバイトと従業員……そして裏ではあやかしトラブル解決の『千神屋』の見習い陰陽師として働いているのだ。
「千紙屋は無事にゃ! 恐らく将門社長の神通力じゃないかにゃ?」
そうそらが告げる……そらと白は、ユキと獏が攫われた時に千紙屋を確認していた。
「なら、頼めるかな? ……私は、天海僧正を止めないと」
結衣の言葉に、そらたち五人は任せてと頷き返す。
「それじゃ、私は先に行くね!」
朱雀の翼を広げて、結衣が飛び立つ。今度こそ間に合わせないと、と決意を胸に。
「いっちゃったにゃー」
「さて、こちらも出番じゃのう……のう、猫や」
何時の間にか入れ替わっていたのか、白の姿が、下半身が白蛇の尻尾になり全身が鱗で覆われている。二つの魂をもつ白のもう一つの姿……白蛇のあやかし、
朔夜の声と同時に、周囲に魚の身体に人間の手足が生えた半魚人の集団が現れる。
どうやら……そう簡単に通してはくれない様子。だが、その手に握られた刀を見て、鬼灯はニヤリと笑う。
「良い物持ってるじゃねぇか……ちょっと貸して貰おうか!」
鬼に金棒、とは言うが、金棒だけではない。武芸百般、それが地獄の鬼。
刀を持った半魚人に一気に踏み込むと殴りつけ、その刀を奪った鬼灯は、仲間たちの先頭に立つ。
「邪魔するなら、邪魔しないでも三枚に下ろしてやるよ……さぁ、掛かって来な!」
鬼灯の横には爪を伸ばした猫又娘のそらが、雪女のユキは冷気を塊にして振りかざす。
「ボクは戦えないので、護ってくださいね?」
「仕方ないのぅ……ほれ、皆は気にせず戦うのじゃ」
朔夜は獏をその白蛇の胴で巻くと、鬼灯たちに声を掛ける。
将門救出作戦はこうして始まった。
そして、先に飛び立った結衣はと言うと、神田明神の頭上から術を唱える黒い影……天海僧正の姿を捉える。
式神の唐傘お化けを朱雀の力で変化させた浄化の剣を構え、一気に降下する結衣。
「天海僧正! 百鬼夜行はやらせない!!」
「くっ、千神屋か! 小名木はどうした!?」
黒い影は驚き、術を止める……飛行出来る結衣は、新田と小名木が戦っているのを良いことに、二人の頭上を飛び越え、直接天海僧正の元へと向かったのだ。
「小名木なら、新田が止めてくれてる……あんたの相手は私だっ!」
炎の剣を横薙ぎに振るう結衣に、黒い影はその形を僧侶から鎧武者の影へと姿を変え、黒い刃で受け止める。
「鎧武者……やっぱり天海僧正が明智光秀だったのは、本当だったんだ」
「そうだ。本来、この日の元の天下は儂の物……この江戸も儂のために造った街じゃ。だからこそ儂の元へ返して貰う!」
黒い刀で結衣の炎の剣を弾き返す天海僧正……いや、明智光秀は、そのまま結衣を袈裟斬りにしようと刀を振り上げる。
「朱雀! 炎の羽根っ!!」
結衣は朱色の翼を広げると、炎で出来た無数の羽根を光秀に向けて飛ばす。
「ぬっ、目くらましか!?」
羽根で覆われ、視界を潰されながらも刀を振るう光秀の影……だが手応えは無く、結衣は宙返りでクレーターの端へと飛んでいた。
「残念、当たらないよーだ!」
赤いセーラー服のミニスカートをフワッとさせながら、結衣は黒い影に向かって勝ち誇る。
「それぐらいで勝ち誇るとは、若造が!」
突き刺さる羽根を振り払い、黒い刃を続けて振る。剣撃が真空の刃を生み出し、結衣に迫る。
「娘よ、なぜ百鬼夜行を拒む! あやかしがこの世の理となる世界! 強さがすべて、完全な自由だぞ!!」
「私は、東京の混沌が好き! 不自由だけど、それがかけがえのないこの街! だから……不自由を愛して、愛するためにこの街を護るのよ!!」
三日月のような炎の刃を生み出し、光秀の放った真空波を打ち消す結衣。
「炎月斬……どう、炎の三日月もなかなかでしょ?」
「ふむ。確かになかなかやるようだな。では、こういうのはどうだ!」
無数の影の槍を生み出し、それを結衣に向かい投げ放つ光秀に、結衣はと言うと、今度は炎の槍を同じ数だけ作り出し相殺してみせる。
「貫け、槍衾!!」
「いけっ、炎槍嵐!」
ほう……と頭を撫でた光秀は、影の分身を呼び出すと、一列に並んだ分身に種子島銃を構えさせる。
「刀に槍にと来れば、次は銃であろう? さて、今度は受けられるかな!」
「受けきってみせる……天裂剣舞! 炎の渦よ、風で舞えっ!!」
光秀による放て、の号令に、ドパパパパと火薬が連続して爆ぜる音が響く。
結衣も刃を振るい無数の回転する火球を生み出すと、肩口から伸びる朱雀の翼で羽撃たかせ、巻き起こした突風に乗せ放つ。
空中で結衣と光秀が放った火球と弾丸がぶつかり、お互いがお互いを打ち消し合った。
「……やるな、小娘。いや、朱雀の巫女よ」
「あんたもね……天海僧正。それとも、明智光秀と呼んだ方が良いかな?」
一つの影に戻った光秀はご自由に、と結衣に向かい笑いながら告げると、右手に大槍、左手に種子島銃を持ち構える。
「どうやら、朱雀の巫女……そなたを倒さないと、百鬼夜行を起こすことが出来ないらしいの」
本格的に敵対感を露わにした光秀に、結衣の背筋にゾクっと冷や汗が流れる。
本能的に、怒らせてはいけないモノを怒らせた……だが、その冷や汗を気合いで堰き止める。
「倒さないと、東京を護れない……明智光秀、悪いけど倒させて貰うよっ!」
「来い、朱雀の巫女っ!!」
浄化の剣を構え、朱雀の翼を広げると光秀目掛けて飛び立つ。
おおおぉぉぉっ!! と、雄叫びを上げる結衣は、全力で影の明智光秀に斬りかかるのであった。