●第九夜 鬼女(その四)
東京、秋葉原。電気街裏の雑居ビル。五階に到着したエレベーターから
そして廊下の突き当りにあるあやかし融資・保証『千紙屋』の扉を潜るのだが、誰もいない。
それどころか室内は荒れ果て、まるで争いがあったような痕跡が残っていた。
「将門社長、帰りましたー……あれ?」
「将門……社長?」
室内の惨状に驚く新田。結衣が社長室をノックして開くが、そこにも誰もいない。
嫌な予感がした新田は、あやかしの権能や能力を収めた大金庫へと走る。
「新田、そっちはどう?」
「やられた……金庫の中は空だ、全部奪われてる」
そこに広がっていたのは、開け放たれ空になった大金庫。預かっていたあやかしの力の源は一切合切、根こそぎ奪われていた。
「そんな……本当に空っぽだ、いったい誰が!?」
結衣が空っぽになった大金庫を眺め呆然とする。
ここに収蔵されていたあやかしの力の源……それは千紙屋で融資や保証を受けたあやかしが、自らの権能や力の一部、時には全部を代償に預けた物。
それは文字通りあやかしがあやかしである存在そのものであり、時には預けることであやかしとしての力を失ってしまう……それぐらいに大切な物なのだ。
「一体、誰がやったんだい?」
鬼女も流石に状況がおかしいと新田たちに話しかけて来る。
恐らくだが……と新田は状況証拠からの推理を彼女たちに話す。
「俺たちが東京を離れていた三日の間に、千紙屋に襲撃があった。そして将門社長は負け……預かっていたあやかしの力の源を奪われた」
敵は誰か分からないが、そうとしか考えられない。そう告げる新田に結衣が反論する。
「将門社長は……
平将門……ここ秋葉原と神田を守護する氏神であり、除災厄除の神。だがその本質は日本三大怨霊とも呼ばれるほどの高位存在。
それが負けるだなんて、結衣には信じられないと言った様子だ。
「結衣、鼬の時のことを覚えているか? アイツは将門社長に化けた……そしてその力も、最終的には暴走したが操っていた」
鼬……変化のあやかし。彼は何者かによって強化されたその能力で、新田や結衣に化け、そして平将門の姿と力まで得た。
あの時は結局神の力に耐え切れず自爆する結果となったが、もし制御出来ていたら……神の力を振るう敵が現れたと言うことになる。
「考えたくない……将門社長と同じ力を持った敵が現れるだなんて」
「だが、俺たちは今、それを考えないといけない」
信じたくないと言った表情を浮かべた結衣の呟きに、新田が真剣な目で答える。
化身とは言え、かつて東京を更地にした大妖怪の一体、大蜘蛛を寄せ付けなかった平将門。
それが敵に回ったとなると、その影響は将門の力で平穏を得ていた秋葉原のあやかしたちだけではない。千紙屋に力を預けていた東京中のあやかしにまで及ぶことになるだろう。
……場合によってはあやかしによる一斉蜂起、まで考えられる。
「神田明神に行こう。将門様を奉祀してる神田明神でなら、将門様の現状が分かるかも知れない」
平将門を祀る神田明神、そこでなら何か分かるかも知れない。そう新田が告げると、結衣と鬼女も同意する。
「そうだね……ここに居ても状況が分からないんじゃ仕方ない。神田明神に行こう」
「また、あのエレベーターとやらに乗るのか……仕方ない」
立ち上がると千紙屋を後にし、エレベーターホールへ向かう結衣に、頭上に気を付けて続く鬼女。
気を付け過ぎた結果、エレベーターの入り口にゴンと頭をぶつけ、涙目になった鬼女に結衣は思わず笑ってしまう。
同じように苦笑を漏らした新田は、一応入り口を施錠し、本日休業の札を下げると二人を追いかけエレベーターへと乗り込んだ。
秋葉原駅から徒歩七分。本郷通りを西へと歩き、階段で作られた短い参道を登ったところに神田明神はある。
手水舎で手と口を清めてから随神門を潜り、境内を歩くと平将門命こと、まさかど様が祀られている三之宮へと新田たち三人は参る。
「将門社長! 無事ですか!?」
『新田君。それに結衣君と……そちらは地獄の獄卒だね』
新田の呼びかけに、何処からともなく将門の声が響く。
『二人とも。すまないね……どうやら私の現身(うつしみ)は捕らわれたようだ』
「まさかど様、いったい何があったんですか?」
将門の言葉に結衣が尋ねる。帰ってきたら荒らされた千紙屋の姿を見たのだ、当然の疑問だろう。
『現身からの最後の伝達によると、狼藉者が侵入して来たようだ……それに敗れ、私は捕らわれ、そして大金庫の中身を奪われた』
「犯人の特徴とか、将門様の現身が今どこに居るのか、分からないのですか?」
そう話す将門に、今度は新田が問う。犯人が何処にいるのか分かれば、取り返すことも出来る。
だが……期待した答えは返ってこなかった。
『すまない……どうやら私の力が及ぶ範囲から離れてしまっているようだ。だが、預かり品は千紙屋を信じて預けてくれた物。何としても取り返して欲しい』
将門公の力が及ぶのは神田と秋葉原……それ以外の場所に現身が連れ去られてしまっては、動けない将門には探知することが出来ない。
しかし、将門の言う通り千紙屋に預けてくれた妖力の源は、あやかしたちが千紙屋を信じてくれたからの物……奪われたままにしておいて良いものではない。
それにあやかしの力が無秩序にばら撒かれるようなことがあれば、そして鼬の時のようにそれが改造されていたら、東京の街に大混乱を招きかねないのだ。
火の手があがる東京の街を想像した新田と結衣は、そうはさせまいと奮い立つ。
「千紙屋に戻ろう。調べ直したら、何か情報があるかも知れない」
『すまないね、新田君……結衣君。それと獄卒さん、彼らを助け協力してやって欲しい』
新田の言葉に、将門がそう告げる。いや、頼むと言うべきか……その言葉に、結衣も鬼女も即答する。
「もっちろん! 新田だけじゃ頼りないからね!」
「あんたが居ないと私は帰れないらしいからね、協力させて貰うさ」
こうして、新田たち三人は残された手掛かりを探すために、神田明神を後にして再び千紙屋へと戻る。
一方。お台場にある、とある高層マンション。その最上階の一室では、こなきじじいのあやかしである小名木と、九尾の狐のあやかしである妲己、そしてもう一体のあやかしが祝宴を上げていた。
「いやはや、こうも上手く行くとは……見習いの小僧どもが居なかったのは残念だが、これで千紙屋も終わりですかな」
「そうね、信頼を失った千紙屋は終わり。そして奪ったこのあやかしの力、東京の混乱に使わせて貰いましょう。凶化したあやかしの力を授け、暴れさせ、東京を無秩序な世界にする……そして四神結界が破れば、更なる混乱が巻き起こる。それを僧正様が鎮めるのよ」
盃を傾ける小名木と妲己。二人の後ろには千紙屋から奪ったあやかしの力の源が無造作に積み上げられている。
キラキラと色とりどりに煌めくそれらは、まるで宝石箱をひっくり返したような輝きを発していた。
「あんたも一杯どうだね、力を振るい疲れたろ? なに、酒は百薬の長だ」
小名木が徳利と盃を、窓辺で外を見ていたあやかしに勧める。
東京の夜景を見ていたそのあやかしはふっ、と振り返ると、小名木の差し出した徳利を奪うように受け取り一気に飲み干す。
「おおっ、いい飲みっぷりじゃないか」
小名木が喜ぶなか、あやかしは酒で濡れた口元をぐいっと手の甲で拭う。
その姿は、捕らわれた筈の千紙屋の主……平将門の姿をしていた。