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第七夜 獏 (その四)

●第七夜 獏 (その四)

 東京の北から飛んできた物……秋葉原から投げ飛ばされた新田周平あらた・しゅうへいは、お台場の上空で朱色の翼を広げた存在に気が付く。

「あ、あれは……結衣か? だが、姿が変わっている……大人になってる!?」

 彼の相棒である芦屋結衣あしや・ゆいに似ているが、自分の知っている彼女は高校生。

だがハタチ前後の大学生ぐらいに見えるその女性は、まるで結衣の姉であると言われたら信じてしまいそうなぐらい風貌が似ていた。

しかし、この世界にいる人間は自分を除けば結衣だけ……そんな相棒の変わり切った姿に一瞬戸惑うが、新田はそう判断すると彼女に届けと大きく叫ぶ。

「結衣ぃぃぃっ!!」

『……あら、た?』

 朱雀の巫女に意識が奪われている結衣は、新田の姿にぼそりと呟く。

 そして一筋の涙を流しながら、必死に訴える。

『わた……し、を……とめ、て』

「止めて、って……結衣!?」

 結衣の言葉に彼は躊躇う。止めろとはどうするのだ。戦って止めるのか?

そうは言っても新田は仲間を、相棒を攻撃しろと言われてはいそうですか、と簡単に出来る男ではない。

 以前の鼬が化けた偽結衣の時とは違うのだ。

「結衣! しっかりしろ、結衣!!」

『あ、らた……とめ、て……』

 新田の必死の呼びかけにも結衣は止めてとしか返せない。両目から零れる涙で訴えるのみ。

 それでも結衣に向かい必死に呼びかける新田に対し、返事はこうだと朱雀の巫女は炎の弓に火の矢を番えた。

「古籠火! 迎撃しろっ!!」

 まるでロケットのように炎を吹き出しながら放たれた矢に向け、スマートフォンのストラップを向ける新田。

 石灯籠のストラップ、式神の古籠火。その灯りの部分から吐かれる炎が壁となり、結衣が放った炎の矢と拮抗する。

『とめて……とめて……!』

「なんて力だ……結衣! 結衣!! 目を覚ませ、結衣!!」

 その間も結衣に向かい叫び続ける新田であるが、だが彼の言葉は届かない。

それどころか新田に向かい次々と炎の矢が放たれ、拮抗していた古籠火の炎の壁は遂に射抜かれると、トスンと言う音と共に彼の胸へ炎の矢が突き刺さる。

「あっ……?」

『あら、た……!?』

 射抜かれた胸元を見る新田。同時に炎の壁は無くなり、残りの矢が次々とその身体に命中する。

炎の矢に撃墜された彼のその身は、地へと向かって急速に落ちていく。

「結衣……泣くな……」

『あらた、あらた、あらた、あらた……新田!!』

矢の雨に晒され墜ちる新田のその姿に、瞳を大きく見開き涙を流す結衣。

 強烈なショックにより、朱雀の束縛から自我を取り戻したのか、結衣は新田の名を叫びながら地上へと放たれた矢のように降下する。

「新田! 今いくから!!」

 着地のため広げた翼が大きく羽撃たいて両脚が大地を掴むのと同時に、結衣は新田の元へと一目散に駆けだした。


「新田、しっかりして、死んじゃ嫌!」

 夢の世界での……魂の状態での死は、現実世界での死を意味する。

 それを本能的に悟った結衣は、倒れた新田に駆け寄るとその身体に縋りつく。

「新田、新田!」

 だが新田からは返事がない……むしろ段々と冷たくなっていく身体に、最悪の事態を想像してしまった結衣は激しく取り乱す。

 そう、大事な人を自らの手で殺してしまった、と。

『我が巫女よ、人間一人死んだぐらいで狼狽えてどうします。あなたにはこれからこの東京を灰塵に化して貰わねばならぬのですよ』

「あんたみたいな神様には分からないんだ! 人間の気持ちが! 大切な人を失う気持ちが!!」

 体内から響く朱雀の声に、強く反論する結衣。

 だがそこで気付く。朱雀の力とは……不死鳥の力であると。

『何を考えているのですか、朱雀の巫女よ……そんなことをすれば、我が力を失うどころか、その者の魂も持ちませんよ!?』

 朱雀は結衣が何をしようとしているのか分かったのか、激しく反発する。

 だが彼女は止まらない。自由を取り戻した身体を動かし、新田の頭を膝に載せると大きく息を吸う。

「この前は新田からだったけど……今度は私から。私が助ける番だ」

 そう呟いた結衣は、体内に眠る朱雀のエネルギーを胸元に集めると新田の唇に自らの唇を重ねる。

 そして人工呼吸の要領で結衣の体内に巡る不死鳥の力を注ぎ込んだ。

「ん……」

 長い、長い口付け……結衣の背から伸びた翼が萎み、肩口から体内に収納されていく。

成長が解け、ハタチぐらいの外見から段々と元の年齢の結衣へと戻っていく。

体内に宿る朱雀のエネルギーを殆ど全て注ぎ込んだ時、新田の眉がピクリと動いた。

「新田!」

 唇を放し呼びかけると、ゆっくりと新田が目を覚ます。

「……結衣、おはよう」

「おはようじゃないよ、バカ……」

 目覚めた新田の言葉に、結衣はボロボロと溢れる涙を拭う。

 蘇った新田の姿に、結衣の体内に残る朱雀はあり得ん、と驚きの声を上げた。

『そんなバカな!? 巫女でもない者が我が力を受け入れて無事ですと……あり得ません!』

「あり得るんだな、それが……」

 ヨロヨロとだが、しっかりとした足取りで起き上がった新田は、結衣の手を取りながら彼女から聞こえる朱雀の声に答える。

「答えは単純……将門社長に、魂の器を強化する術を掛けて貰ったのさ」

 平将門たいらのまさかどによる手助け……一つはここに新田を飛ばすこと。そして残る二つの加護のうち一つが、新田の魂を強化すること。

 元々新田は陰陽師の家系……霊能者としての素質があった。

 ただ、あやかしから逃げていたため、霊力……魂の器には、言わば広い土台だけが残って何も建っていない状態で放置されていた。

 『千紙屋』に来てから、その魂はゆっくりとだが成長していく。その広大な基礎を活かし蛇女である白蛇朔夜しろへび・さくやの妖力を奪っても見せた。

 将門はそれに目を付け、新田の広い魂の器に強固な外壁を築いたのだ。

 ……結衣の中に眠る朱雀を閉じ込める結界として。

「結衣、お前に宿る朱雀は俺が預かった。外の朱雀とは関係ないから安心しろ」

『巫女の力が使えねば、東京の再生が……おのれ、人間如きが!』

「人間じゃねぇ……陰陽師、新田周平だ」

 ピーピーとまるで小鳥のように喚く朱雀に新田はそう言い捨てると、驚く結衣へ将門から託された最後の力を使う。

「それじゃあ起きよう。起きて朝ごはんを食べよう……おはようございます」

「うん……おはようございます」

 新田に頭を撫でられると、その手を取り頬へと擦り付ける結衣。

 暖かい温もりが移ったのか、灰色だった夢の世界が朱色に染まっていく。

 そして、結衣は眠りから覚めた。


「おはよう、結衣」

「おはようございます、結衣さん」

 ゆっくりと瞼を開けると、横を見る結衣。そこには新田と、夢見獏ゆめみ・ばくの優し気な笑顔があった。

「新田……獏さん……おはよう」

 結衣は上半身を起こすと、うーんと伸びをする。

 そしておもむろに長い抱き枕を手に取ると、新田の頭へと向かってフルスイングした。

「なっ……!? や、やめ……!!」

「助けて貰ったのはお礼を言うけど! 乙女の寝顔を勝手に見た罰は受けろ!!」

 問答無用と何度も振り下ろされる枕に、新田と何故か一緒に獏の二人は慌てて結衣の部屋を後にすると、急いで閉められたドアに向け、ドーンと言う大きな音を立て枕がぶつけられた。

「結衣、俺が悪かった。だから機嫌直せ」

「そうです結衣さん。ボクも悪かったです」

 寝室のドア越しに新田と獏が謝罪の声を上げる。

 二人が耳をそばだてると、少し時間を置き……ドアの向こうから結衣の声が聞こえる。

「……朝ごはん。ベーコンエッグ。玉子は半熟ね。あとミルクティー、砂糖は三つで」

「了解だ。獏も食ってくだろ?」

 そう新田が告げると、獏も喜んだ表情を見せる。

 二人が朝食の準備をするためにキッチンへと向かう足音を確認すると、結衣はシャツの首元を掴み自らの胸元へと話しかける。

「朱雀、いるんでしょ?」

『……気付いていましたか』

「そりゃ、まあ……私に宿る力の根本が、そっくり新田に持って行かれる筈がないもの」

 ……朱雀は返事をしない。それは肯定と言うことだろうと結衣は判断する。

「言っておくけど、私は東京を……今の、この賑やかで混沌とした東京を護る。朱雀の力は使わせない」

『泣いて頼っても知りませんよ?』

 結衣の決意に、朱雀はふぅとため息を漏らす。

『分かりました。私は結界の維持に務めましょう……ですが、言ったからには東京の守護は任せますよ。逃げ出すことは許されません』

 もし逃げ出したその時は、今度こそその身体を奪い東京を再生させる……そう告げる朱雀に、結衣は逃げ出すものかと強気で返す。

「この結衣ちゃんに任せなさい……この東京もあなたも護る。私の愛するものを害する奴は、殴ってでも止めてみせるから」

 その返事に満足したのか、今度こそ朱雀は結衣の中で眠りにつく。

 朱雀の眠りを確認した結衣は、着替えるべく寝間着代わりの丈の長いTシャツを脱ぐのであった。


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