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第七夜 獏 (その二)

●第七夜 獏 (その二)

『結衣さん、心を平穏に! 闇に飲まれないでください!!』

 ……何処かからか声が聞こえる。

 黒雲が湧き、急な大雨に見舞われた東京ドームシティ。来場した観客たちは悲鳴を上げ、降り注ぐ雨から逃げ惑う。

 だが、その観客は一人、また一人と消えていく。

「これは夢……そう、夢なんだ。新田はこんなことしてくれない。新田はこんなことしてくれない。新田は……」

 黒い雨に濡れ、体温を失い冷たくなっていく白い肌と、それに比例するかのように冷めていく心。

 ずぶ濡れになった白い髪の少女、芦屋結衣あしや・ゆいは青ざめた唇で呟く。

「そうだ。全部、無くなっちゃえばいいんだ」

 そう呟いた次の瞬間だ。空が割れ、黒いモヤが広がっていく。

 モヤ……いや、闇だ。闇が空を覆い、黒い落雷が周りのビルを砕く。

 砕けたビルはモザイク状になり、砂のように消えていく。

 先程まで乗っていたジェットコースターも、ブンブンビーも、バイキング船も、次々と砂のように消えていく。

 この世界に残されたのは、新田周平あらた・しゅうへいと芦屋結衣の二人。

 荒廃とした夢の世界に、傘を差した新田と、差し出された傘に入らずずぶ濡れの結衣、二人だけが残った。

「結衣……他を消したように、俺も消すのか?」

 新田が結衣に問いかける。問いかけられた結衣は少し悩んで……うん、と頷く。

 それは、彼が望んだ新田であって、本物の新田ではないから。

「あなたは新田だけど新田じゃない。私の理想通りの新田だけど……現実の、本当の新田じゃない」

 申し訳なさそうにそう告げた結衣に、新田はいいよと笑顔で頷く。

「それで、これからどうするんだ? 外から声が掛けられているが……」

 何時の間にか身体の半分を砂に変えながら、新田は結衣に話しかける。

 確かに意識の外から、獏のあやかしである夢見獏ゆめみ・ばくの声が聞こえるが……だが、心が上手くコントロール出来ない。

 感情の赴くままに全てを炎で薙ぎ払い、全てを一掃しなくてはこの夢からは起きられない。そんな気がしていた。

「炎を使うのは新田、アンタなのにね」

「炎か。それは……そうだな、自分自身に聞いてみることだ。時間のようだ」

 最後に新田は意味不明なことを結衣に告げると、サラサラと砂に崩れていく。

 その姿を悲しそうに見送ってから、結衣はもう一度起きようと、夢の世界から目を覚まそうと念じてみるが……どうやっても上手くいかない。

「ならいいわよ! この世界に何があるのか……果てがあるなら、見させて貰いましょう」

 そして、結衣は崩壊した世界を歩き出す。目的もなく、ただ心の赴くままに。

 一方、現実世界では焦ったように獏が新田に呼びかけていた。


 新田の部屋に飛び込んだ獏は、寝ようとしていた彼を叩き起こす。

「新田さん、結衣さんが起きないんです……悪夢を吸おうとしたんですが、ボクの力が弾かれて」

 そう言われ、新田と獏は結衣の部屋へと向かう。そこではすやすやと寝息を立て、ベッドで眠る結衣の姿があった。

 見る限りでは深く、とても深く眠っているとしか見えない。

 だが獏によると、彼女の意識……魂は結界のようなモノに包まれ、外部からの干渉を防いでいるのだと言う。

「熱っ! 結衣、起きろ、結衣! ……どうすりゃいいんだ?」

 思い切って肩を掴み、大きく揺する新田であったが、まったくと言って良いほど結衣は起きる気配がない。

 そして触れた肌は、火傷しそうなほど熱かった。確かに彼女の中で、何かが起こっていることは間違いない。

「仕方ありません……ボクの力で、新田さんを結衣さんの夢の中へ送り込みます。そして結衣さんを夢から起こして下さい」

 獏の提案は、彼女の力で夢の……魂の中へと新田の意識を送り込み、そして何とかして結衣を起こして欲しい……正直言えば、賭けにもならない提案であった。

 だが、放っておけば結衣が何時目覚めるのかは分からない。

 この調子が続くのであれば、五分後かも知れないし、明日の朝かも知れないし……十年後まで眠ったままなのかも知れない。

「まるで眠り姫だな……」

「だとしたら毒リンゴを食べさせてしまい、ごめんなさい」

 新田の呟きに、獏が申し訳なさそうに告げる。

「毒リンゴは白雪姫だな。いや、気にするな。きっとこいつが頑固なだけさ。で、どうすればいい?」

 落ち込む獏へ向かい、新田は間違いを含めて気にすることは無いと告げると、結衣の夢の中に入るにはどうすれば良いか尋ねる。

「はりゃ、眠り姫って毒リングじゃなかったでしたっけ? ……え、えっとですね、物理的な接触……そうですね、結衣さんの手を握ってあげてください」

「こうか?」

 眠り姫は糸巻きの針だな……そう告げながら、新田は眠る結衣の横に座り、彼女の手を握る。すると獏が新田の背中に手を当てたかと思うと、グッと力を注ぎ込む。

「うおっ!?」

 その直後だ。新田の意識……魂だけが剥がされ、結衣の手を通し彼女の中へと流れ込んでいく。

 まるで宇宙空間に裸で放り出されたかのよう……全てが融けてしまいそうな感覚に、新田が恐怖を感じていると、そんな新田に獏の声が響く。

『新田さん、意識を強く持ってください! 今の結衣さんに負けると、魂が吸収されてしまいます!』

「そう言うことは先に言ってくれ……意識すれば良いんだな」

 光りの球体……魂だけになった新田は、まずは自らの姿をイメージする。

 頭……胴体……心臓……腕……脚……光が四肢を形作ると、次は鏡に映る自分の姿を意識する。

 髪型、スーツ、革靴……そして式神である古籠火。

 持ち込めるかは分からない。だがバディと言う意味であれば相棒は結衣だが、古籠火も今の自分になくてはならないもう一つの相棒。

 そうして自分自身をイメージしきった新田は、現実と同じように肉体を取り戻した。

だが、今度は壁のようなモノにぶつかる。

「これが……」

『そうです、結衣さんの魂……夢の結界です。ここに無理やり穴を開けて、新田さんを送り込みます……ボクに出来るのはそこまで。後は新田さんにお任せします』

 そう獏の声が聞こえる。同時に結界が裂けたかと思うと、その隙間から光が溢れる。

「結衣、起きろっ!」

 そう叫びながら、結界の中へと向かって新田は飛び込んでいった。


「んっ? 今、何か聞こえたような……気のせいかな?」

 新田が結衣の夢の……魂の中へと入り込んだ時、荒廃した東京の街……廃墟となったその街の中を結衣は歩いていた。

 目的地は決めていない。ただ何となく彼女は隅田川に沿って川下へと向かっていた。

「どれだけ歩いても疲れない。夢の中って便利ね」

 そう言う結衣は、歩くことを楽しんでいた。

きっと乗り物を……例えば自転車とかをイメージすれば、電動アシスト付きでもロードレーサーでも、好きな物が生み出せると感覚的に分かってはいたが、この世界を探検するなら自らの足で、そう結衣は考えていた。

「それに、誰かが呼んでいる気がするんだよね……多分きっと、この先で待ってる」

 確認に近い予感を感じながら、結衣は川沿いの道を歩く。

 そこで待っているのが良い物なのか悪い物なのかは分からない。

 ただ、どちらにせよ、この先で待っている物は……きっと自分にとってはとても大事な物なんだと言う確信がある。

 そうして浜離宮の横を通り、お台場が対岸に見えたところで結衣は途方に暮れることになる。

 お台場に渡るため目の前に掛かる橋が、途中でぽっきりと崩れているのだ。

「レインボーブリッジが落ちてる……うーん、どうしよう」

 勝鬨まで戻らないとお台場へ徒歩で渡る道は無い。

 せっかくなので誰もいない、そして徒歩では渡れないレインボーブリッジを歩いてみようと思ったのが裏目に出たか。

 少し考えると……彼女は海の上へと踏み出す。

「やっぱり、歩ける」

 海面も地面だと思い込むことで、結衣は沈まずに海の上を歩くことが出来た。

 ここは夢の世界、結衣の世界なのだ。だから彼女が出来ると思ったことは何でも出来る。

「モーゼのように、海を割っても面白かったかな?」

 海を渡りきり、おだいばビーチの砂浜に到着した結衣は、後ろを振り返りながらそう告げる。

 その瞬間、今まで歩いてきた海面が海底まで裂け、一直線の道が現れた。

「ホントに出来た……まあ、帰りに渡ればいいか」

 流石に海が割れたことに結衣は驚くが、ここ彼女の夢の世界……言わば結衣はこの世界の神なのだから、不思議ではないと思うことにする。

 そのまま今度は人気のないお台場を歩くと、お台場にある彼女が通う学校……鳳学園へと向かうのであった。


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