●第六夜 舟幽霊 (その三)
夜の首都高を飛ばし、
すると待っていた警備員が、誘導棒を点けながらそのまま海浜公園へと乗り入れるように案内する。
「千神屋さんですね、都庁から連絡を受けています。あの幽霊には我々も困っておりまして……退治の方、よろしくお願い致します」
窓を開けると、警備員がそう告げて来る。どうやら本当に困っていたようだ。
車を止めると、新田は先に降りる。結衣は後部座席のカーテンを閉め、昼間と同じ水着に着替えていた。
新田も車の影で手早く水着に着替えると、先に河童を連れ砂浜へと向かう。
昼間は人でごった返していた浜辺だが、深夜の閉鎖された時間には誰もいない。
二十三区内だと言うのに東京の喧騒からは外れ、まあるい月明かりを海面に映し、静かで綺麗な海辺だ。
「ここで遊ぶ人たちを危険に晒す訳にはいかない……河童、頼むぞ」
そう横に立つ河童に話しかける新田。河童は任せろと胸を叩く。
「お待たせー! さあ、行こうか!」
赤いタンキニの水着に着替えた結衣は、折り畳み傘の他にライフジャケットを手に駆けて来る。
「これ、車に積んであったよ……新田が用意したんじゃないの?」
「……将門社長だな。ありがたく活用させて貰おう」
新田は結衣からライフジャケットを受け取ると、二人でそれを着込む。
これで万が一海に落ち溺れてしまっても、沈むことはない。
「係りの人にボートを用意して貰っている。それに乗って行くぞ」
「うん!」
そう言って新田と結衣、そして河童はボートへと乗り込むと、オールで沖へと向かい漕ぎ出す。
「さあ、舟幽霊退治だ!」
深夜の東京湾。街の灯りが遠くに煌めいている。
それを見ながら新田と結衣はその時を待つ。
「来たッ!」
最初に発見したのは、霊視の力に優れている結衣であった。
彼女の赤い瞳には、霊体が動く姿がハッキリと見える。
「まるで手のひらのよう……来るよ!」
ボートから乗り出して海中を視る結衣。彼女にはまるで海の中から握りつぶさんと手が伸びて来るように見えた。
「結衣、下がれ……古籠火、まずは燃やせ! もぐら叩きだ!!」
柄杓を手に、ボートを沈めようと腕が伸びて来る。それを古籠火……石灯籠のストラップに化けた式神が、灯りの部分から火を噴きだし燃やす。
「まるで殺虫剤みたい……唐傘、私たちもやるよ!」
舟幽霊の腕が伸びる傍から火炎で焼き尽くす新田の姿に、思わず害虫を駆除する殺虫剤のCMを思い出す結衣。
彼女も折り畳み傘を広げると、霊力を流し込み真の姿を取り戻させる。
和傘に一つ目、一本足に下駄……折り畳み傘の正体は唐傘お化け。結衣は唐傘に向けて霊力を流し込み、武器として振るう戦法を得意としていた。
「そーれ、どんどん潰しちゃうぞ!」
新田に背中を預け、結衣も唐傘でもぐら叩きに加わる。
だが次から次と伸びて来る柄杓を持った腕に、徐々に押されていく二人。
しかし、今回は前回と違い強い味方がいる……水中を自由自在に動ける式神、河童だ。
「河童、頼む!」
「河童ちゃん、お願い!」
新田と結衣の声に、頷いた河童はボートからドボンと海の中へと飛び込む。
『(……!)』
河童の目には、深夜の海でも昼間のように明るく視える。
新田たちを乗せたボートを沈めようと海中から次々と伸びる腕……それを追えば、確かに沈没船のようなモノが海の底を漂っていた。
『(!?)』
驚く河童に舟幽霊の手が絡まる。どうやら海の底へと沈めようと言うのだ。
だが河童は水生のあやかし。海中に沈められても問題はない。
逆にそれを利用し近づくと、河童の皿をブーメランのようにして投げつける。
『(!!)』
そのまま頭のお皿のブーメランで次々と舟幽霊の腕を斬り裂きながら、河童は舟幽霊の本体へと近寄る。
そして舟幽霊の本体……沈没船に河童はお皿のブーメランを投げ込む。
しかし、その攻撃はカツンと言う音と共に弾かれた。
『(!!!)』
何度も何度も繰り返しブーメラン攻撃を仕掛ける河童。だが攻撃は通らず、その隙に舟幽霊の腕が海上に向かって伸びていく。
河童は式神とは言え、携帯ストラップの古籠火や手に持たれている唐傘お化けとは異なり自立して行動している。
逆に言えば、主から霊力を流し込まれていない……その分、攻撃力が古籠火たちに比べ落ちるのだ。
だがここは海の底……新田や結衣を連れて来る訳にはいかない。
だからこそ、自分で何とかしないと。そう河童は決意する。
霊力を高め、海水を頭の皿から吸収する河童。そして沈没船の周りを高速で旋回し、渦を作る。
『(……!!)』
脱水中の洗濯機のように高速回転をし、河童は頭の皿を投げる。
それはまるで分身したかのように幾つもの皿が飛び、沈没船を斬り裂いて行く。
やったか、河童がそう思ったかは分からない……だが回転を緩めた河童の前で、巨大な蟹のあやかしが沈没船に憑りつく。
『(……っ!!)』
驚く河童の前で、巨大蟹と融合した沈没船は、今まで以上の硬度を持ってしまう。
再び高速旋回を始め、渦を作り分身する河童の皿を投擲したが……蟹の甲羅で弾かれてしまった。
しかし、海の底で戦えるのは自分だけ……河童は戦うことを選ぶ。
そう河童が決意してる姿を、結衣は海上から視ていた。
「河童の攻撃が通じないみたい!」
海面から海の底を視る結衣の言葉に、新田はどうするか考える。
河童に霊力が流し込めないのが問題なのは分かった。
直ぐに思いついた方法は二つ。河童に直接触れ霊力を流し込むか、結衣か自分の攻撃を海の底の舟幽霊の本体に叩き込むか。
どちらの場合も海水に阻まれ届かないと言う問題が出て来る。
海水をどうにか出来れば……その時だ、新田は古籠火の炎が海水を押していることに気が付いたのは。
「結衣、俺の全霊力を使うかも知れないが……賭けるか?」
結衣にそう語り掛ける新田は、一か八かのアイデアを思い付いていた。
だが、それは彼女を危険に晒すことに繋がる……だからこそ、結衣に決断を委ねる。
「賭けるか? じゃないわよ……信じろ、でしょ!」
しかし、そんな新田に結衣は全幅の信頼を置いていた。
彼女の力強い言葉に、新田はヨシッ! と声を上げる。
「いいか結衣。古籠火の力で海底まで道を作る……そうしたら河童に霊力を注げ」
「わかった!」
どう道を作るかなんて聞かない。新田が道を作ると言ったのだ、結衣はそれを信じるだけ。
「古籠火! 全霊力をくれてやる! 俺の霊力を吸い尽くせ!!」
海底に向け、古籠火の炎を吹き出す新田。右手に持ったスマートフォン、その先で揺れる古籠火へと力が吸われる……彼の身に宿る莫大な霊力が一気に抜け、貧血を起こした時のように視界が白黒のノイズとなり、同時にガクッと膝を付くが、まだ海底まで炎は届かない。
「新田、力を貸すよっ!」
その光景に、結衣が動く……彼女はそう告げると、新田のライフジャケットから剥き出しになった肩に自らの手を重ねる。
驚く新田の前で結衣は強く念じる……そして彼女の霊力が彼の身に流された。
「(炎……!?)」
まるで焼かれるような熱さの霊力が新田の肩を通じて体内に広がる。これが結衣の霊力なのか。
彼女から伝わる熱はそのまま力になり、古籠火の火力が戻る……いや、先程までよりも強くなる。
「……結衣、行けっ!」
「了解っ!」
二人の力で海底まで炎の道が出来たことを確認すると、新田は叫ぶ。
全力を出したためか、白い肌を真っ赤に染めた結衣も海面へと向くと、一気に海底まで空いた穴に向かい飛び込む。
結衣が飛び込むために古籠火の炎が消え、押しのけられた海水が戻り始める……海水が戻るまでのその僅かな時間で海底の河童に力を注がねばならない。
「河童ちゃん!」
『……!!』
海底へと自由落下した結衣は、転がるように河童の背……甲羅へと手を当てる。
そして霊力を流し込む……力を受け入れた河童は、頭のお皿のブーメランを巨大化させると舟幽霊の本体、沈没船に向かい投擲する。
「いっけーっ!」
結衣が、河童が声を上げるなか、お皿のブーメランは海水の中を飛ぶように進み幽霊船を斬り裂く。
同時に海水が戻り、ライフジャケットを着た結衣と、彼女に掴まれた河童はエレベーターのように一気に海面へと運ばれた。
「……お疲れ、結衣」
河童を抱き、ボーっとする結衣にボートから新田が手を伸ばす。
「う、うん……お疲れ様」
結衣はその手を掴み……その大きさに改めて驚く。
自分とは違う、男の人なんだ。そう改めて思わされた結衣は、ボートが砂浜へ戻るまでの間、彼の方を向けなかった。