●第六夜 舟幽霊 (その一)
「海だーっ!」
東京都二十三区内唯一の海水浴場。葛西臨海公園の先にある葛西海浜公園の砂浜へと真っ先に飛び出したのは、白い髪と白い肌、そして赤い瞳を隠す黄色いレンズのサングラスを掛けた
彼女は着ていた服を脱ぎ捨て、下に着込んでいた赤いタンキニの水着姿になると、一目散に海へと向かおうとする。
「ダメだよー、結衣は準備が必要だからね」
そんな結衣を止めたのは、同じ鳳学園のクラスメイトであり友人の
そして追いついた同じくクラスメイトで友人の
「結衣はアルビノだからね。面倒でもちゃんと日焼け止めを塗らないと……」
「じゃないと帰りに真っ赤になって、痛い痛いになりますからねー」
まるで駄々っ子に言い聞かせるかのように、寝転ばせた結衣に向かい日焼け止めを塗りたくる二人。
その横では、飲み物などが入ったクーラーボックスとテントを担いだ
「あー、腰が痛い……」
「運転、ありがとうございます……荷物も運んでいただいて。良ければ腰、揉みますか?」
そう申し出る愛に、日焼け止めを塗られている結衣が声を上げる。
「そんなことしちゃダメ! 愛の手が穢れちゃう!!」
「「あらー? お兄さんにおさわりしていいのは私だけ、ですかー?」」
そう言いながら、舞と美唯が結衣の脇腹と足の裏をくすぐるように日焼け止めを塗る。
「ひゃひゃひゃひゃっ!? やめやめやめやめ……あっー!?」
悲鳴のような、よく分からない奇声を上げる結衣とその仲間たちを見ながら、新田は呆れ顔でテントを組み立て始めた。
先の鳳学園での事件で、新田と結衣の関係が愛たち三人にバレそうになった。
その時結衣が咄嗟に付いた嘘が、新田と結衣が兄妹であると言うこと。
それで二人が一緒に住んでいることまで吐き出させられたのは彼女の落ち度なのだが、まあこれで三人を部屋に呼べると彼女は前向きに考えていた。
「さて、私たちは結衣のように水着を下に着てはいないので、着替えて来ますねー」
文字通り頭の先から足の先まで日焼け止めを塗りたくられた結衣を解放し、愛、舞、美唯の三人は更衣室へと水着を持って向かう。
残された結衣と新田は、広げたビーチパラソルの下で女子高生のパワーに圧倒されていた。
「結衣。お前、毎日こうなのか?」
「うーん……今日は新田が居るから少しはしゃいでる感じがするけど、基本みんなこうだよ」
そうなのかー、と新田はクーラーボックスの中からコーラを取り出しつつ、レジャーシートに寝そべる。
「女子高生は元気だな……とか言うとおじさん臭くなるな」
「新田はまだ二十七なんだから、おじさんには早い早い……それより、水着の女子高生がここに一人いるんですけど、お褒めの言葉とかない訳?」
新田の手からコーラのペットボトルを奪った結衣は、べーっと舌を出すとぐびぐびと飲む。
「人の飲み物を奪うような奴は、褒めたりしない」
仕方ない奴……そう言いながら新田が次のペットボトルを取り出していると、愛たち三人が戻って来た。
腰まであるストレートの長い髪の愛は、大人しい白いワンピースの水着。
ボブカットの舞は、活発なツーピースの青い水着を着ている。
最後にポニーテールの美唯はと言うと、大胆に黒いビキニ……は流石に恥ずかしかったのか、水着の上にラッシュガードを羽織っていた。
「いやー、勢いで買ってみたけど、いざ着ると恥ずかしいよ!」
「それでおにーさんを悩殺するんじゃなかったの?」
「えっ、そんなつもりでそれ買ったの!?」
美唯の叫びに舞と愛が反応する。新田は悩殺される予定だったのか……と笑顔を浮かべながら内心肝を冷やす。
女子高生、それも結衣の友達に鼻の下を伸ばしたりしたら、彼女に何をされるか分からない……砂浜に縦に埋められるぐらいなら優しい方だろう。
「……残念ね、おにーちゃん」
「何がだ、いやどっちがだ!?」
ぼそっと呟く結衣の言葉に、新田は何が……いやどっちが残念だったのか思わず声を上げる。
だが美唯がラッシュガードを着て来てくれて本当に良かった、そう神に感謝する新田であった。
「いっくよー!」
「そーれっ!」
砂浜に線を引いた即席のコート。結衣たちは二チームに分かれてビーチバレーを楽しんでいた。
その様子をボートに乗り、ダラダラと海から眺めていた新田であったが、ふと何かが海面から顔を出していることに気が付く。
それは柄杓を持つ青白い手……その手は次々と現れると、柄杓で海水を新田の乗るボートに流し込んで来た。
「ちっ、舟幽霊か! なんでこんなところに……」
舟幽霊……柄杓で海水を船内に注ぎ、船を沈めるあやかし。
こんな賑やかな場所に居ていい筈のないあやかしではあるが、現に堂々と昼間から現れている。
何か目的があるのか……反射的にスマートフォンのストラップ、石灯籠のあやかしであり、新田の式神である古籠火を構えるが、ここは海の上とは言え砂浜に近く、人の目が多い。
「ちっ、アレは車の中に置いて来てしまっている……そうなると古籠火だけが頼りか」
ここでは力を使えない……そう判断した新田は古籠火の代わりにオールを手に取ると、沖に向かい全力で漕ぎ出す。
少しでも人目に付かない場所へ行かないと、古籠火の力は目立つ。そう考えオールで漕ぐ新田の姿を、ビーチバレーをしていた結衣も気が付いた。
「みんな、ちょっとタイム! あら……お兄ちゃんが流されてるみたいだから、助けに行ってくるね!」
「流石体力お化け、いってらー!」
「私たちはテントで休んでるねー」
ビーチボールを愛たちに向け放ると、結衣は海へと走り出す。
膝まで海水に浸かったところで走るのを止め、今度は綺麗なクロールで泳ぎ始めた。
細く長い手足でバシャ、バシャと水を掻き、時折息継ぎをしながら新田の元へと泳ぐ結衣。
彼女が辿り着いた時には、ボートの中は舟幽霊たちによって半分以上海水で満ちていた。
「新田! 何やっているの!?」
「見て分かるだろ、襲われてるんだよ! それに、みんなの前じゃ古籠火は使えないだろ!」
そう言いつつも充分沖まで出たことを確認した新田は、今度こそスマートフォンを取り出すとストラップの石灯籠に明かりを灯す。
「古籠火、焼けっ!」
石灯籠……古籠火は主の声に灯りの部分から火炎を吹き出し、柄杓を持った舟幽霊の手を焼く。
だが、焼かれ崩れ落ちた先から次の手がせり上がって来て柄杓で海水を注ぐ。まるで堂々巡りであった。
「くそう、キリがない!」
「新田! オールを頂戴!」
船上の新田に結衣がそう告げると、彼は分かったとオールを一本放り投げる。
受け取った結衣は、オールを手に海中に潜ると舟幽霊の本体を探す。
新田の乗るボートへと伸びる手……その手の先を見ると沈んだ沈没船の姿があった。
「(唐傘とは違うけど……オールに霊力を込めて!)」
ぶくぶくと泡を吐き出しながら、沈没船に斬りかかる結衣。
このままでは新田が沈められてしまう。その前に片を付けないと。
そう焦る気持ちが表に出たのか……それとも海中と言う何時もの場所と違う環境に手間取ったのか、結衣は舟幽霊の手に足を引き摺られてしまう。
「不味い、息が……」
酸欠で朦朧とする意識。がぼっと最後の空気が体内から吐き出される。
力なく海中に引き摺られていく結衣のかすれた瞳に、飛び込んで来る新田の姿が最後に見えた気がした。